目的があるから耐えられる
辛いことを乗り越えたり、苦しいことを我慢できないときは、その方法に問題があるか、目的の設定に問題があるのではないかと思っています。
特に目的がないことに、人間は弱いのではないかと思います。ドストエフスキーもこう言っています。「もっとも残酷な刑罰は徹底的に無益で無意味な労働をさせることだ」と。
ですので、目的がなければ、苦しいことを乗り越えることができないのは当たり前ではないかと思います。その先に希望(目的)があるから、目先の苦しみを乗り越えたり、一時的な怠け心を我慢できるのではないかと思います。
したがって、何かに挫折したり、怠けてしまった時は、自分の性格が悪いからとか、自分がダメだからというような自己否定に帰結させてはいけないと思います。
まずは、目的が何かを意識する。そして、その目的が本当に自分のためになっているかを再考することが大事だと思います。きっと「自分のためになる目的」があるから辛いことも耐えられるんですね。
例えば、「会社のため」と思って働く人は、会社に対する不信感や不満が溜まれば、会社にいくのさえ苦痛に感じてしまいます。なぜなら「会社のため」という目的に意味を感じなくなるからです。一方で「お金を稼ぐため」「スキルアップするため」という目的であれば、特に影響を受けることもないでしょう。
このように、目的をどこに設定するかということは、とても重要なのではないかと思います。これは、人生についても、同じことを言えそうです。(人それぞれ
なので、これっていう答えはないと思います。)
考えれば考えるほど、シンプルですよね。にんじんをぶら下げるから馬は走れるのであって、これがこんにゃくとか、しいたけだったら馬が走らないのは当たり前ではないでしょうか。目的が適切であれば、体は勝手に動くと思います。
ちなみに去年死んでしまったハムスターはその道のプロでしたね。臭くならないように、おしっこする場所を自分で決めていましたし、巣の中には、いつもふわふわの巣材を持ち込んで快適空間を自分で作っていました。ひまわりの種を美味しそうに食べたり、そのあとは、きちんと回転車で運動もしていました。
あんなに小さなハムスターでも必死に楽しんで生きるために工夫していたんですね。多分、寿命が2〜3年だということも、感覚的に知っていたのでしょうし。短い人生だから、なるべく楽しく快適に生きる!ということを実践しながら、幸せそうな顔で永眠していました。
そして、「自分を大事にする」という感覚があるからこそ、「自分を楽しませたい」「自分を幸せにさせたい」という気持ちがわきますし、そういった目的があるからこそ、辛いことにも耐えられるんだと思います。
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