普通の女の子=生きづらさ
「無理してない?」そう言われたのが、私のきっかけでした。
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私は手術後のリハビリで、足が不自由でもなんとか歩けるようになりました。
しかし、みんなのように走ったり階段を登ったり降りたりができなくなり、
左顔、首から下の右半身の身体の感覚がほとんどありませんでした。
音楽が人生の支えだと思っていたような私は、片耳が聞こえなくなりました。大好きだったギターも昔のように弾こうとすればするほどに、虚しさが私を襲いました。
激アツのお風呂に右足を入れてもあつさがわかりません。
アイロンでおでこに火傷ができても気づきません。
メイクに挑戦しようと、ビューラーをしてまぶたから血がでても痛くありません。
口の中から血がでて、初めて口の中を噛んでしまっていることを知ります。
そんなことが起こるたびに退院してからも、パニックで救急車を呼んだり泣いたことがたくさんあります。
自分の中で頭で理解していても、「心がついていかない」そんな状況に悩んで、生き苦しさを感じてました。
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そんなある日、病気の話を深くはしていない知り合い方とカフェに行った日のこと
彼女はしばらくしてから私に「足何かあったの?」と一言聞きました。
私は、その時はっとして
「あぁこの人は、ずっとわかってたのに、この瞬間まで私に足のことを聞かないでいてくれていたんだ。他の人と同じように接してくれていたのか・・・」
と強く思いました。
同時に私の中で障がいを「バレたくない、人と違うと思われたくない。」「普通の女の子でいたい」という感情が「自分自身を長きにわたって苦しめていたんだ」と気づいた瞬間でもありました。
手術後街へ出ると、多くの偏見や思いやりのない言葉に、傷つけられてきたことはありました。そして、その度に人との違いにショックを受け、パニック状態になっていました。
手を差し伸べてくれる、大切な人の言葉を忘れて
今考えると、そもそも「普通の女の子」の定義が、何なのかって感じですよね。「平均=普通」なのかって話。もしそうであったら、当たり障りのない存在になりたかったんですかね私は。
人ってどうなりたいのかって、夢や目標を立てることは大切になっていくのだと思いますが、きっと自分自身の「パーソナリティ」を無理に失くしてまでする必要はないんですよね。
人と比べることなんて必要ないんですよ。その人は、その人生で、私は私の人生を歩んでいるのだから。
本で人の成功例がいくつあったとしても、それがあなたの正解とは限らない。
正解なんて、そもそも人生に必要ないんですよ。
あなたの存在がもう「世界に一人の特別な存在」なんだから。
今日も、あなたにとって素敵な一日になりますように。
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