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エッセイ『ファイト!闘う君の唄』

”普通”という言葉が嫌いだ。そもそも個性も考え方も生き方もみんな違うのに、普通の人と普通じゃない人という区別がおかしいだろう。私は昔から、普通じゃない、と周りから言われ続けた。確かに女だけど、男っぽい所があったり、性別にとらわれたくなかったり、集団が苦手でなじめなかったり、芸術や文学が大好きだから、今はその理由が何となくわかる。しかし学生時代や20代は、必死で反発していたし、心が荒んでいた。

今でこそ、LGBTQが話題になっているが、私が学生だった頃は、まだ『男』とか『女』の定義が根強くて、とても堅苦しかった。男らしくとか女らしく、という表現にも、ずっと違和感があった。『男』=大黒柱として働く、『女』=結婚して家庭に入る、家事や育児をして当たり前という図式に小さい頃から違和感があった。女だけが料理や家事をして、できないものは恥ずかしいみたいな風潮も嫌だった。

ランドセルの色や制服、トイレのマークにも、違和感があった。今の子供は、色んなカラーからランドセルが選べて羨ましい。しかし他の子供と違うカラーだと色々言われるみたいだ。それから今でも、男女共に、日によって、人によって、制服がズボンかスカートか選べたら良いのにと思う。それに私はわざと青と赤の色の組み合わせの服を着たり、わざと女だけどネクタイを締めるファッションをしている。ささやかな抵抗だ。

一番嫌なのは、差別や偏見よりも、普通とか当たり前という目に見えない思想の浸透だ。疑問に思わないという恐怖だ。常識という物差しの凶器だ。男尊女卑も男側だけの問題じゃない。女側の『女』はこうあるべきというステレオタイプも問題だと常々感じている。実際、女側から『女』の定義を押しつけられることがある。『なぜ結婚しないの?』という質問や『女の幸福』についての押し売りだ。

高3の時に、合唱祭に出るのを拒否して、クラス中からブーイングを浴びたことがある。みんなで同じ衣装を着て、同じ歌を歌うことがどうしても耐えられなかった。しかも男女別のおそろいの衣装。さらに”『女子』が男女の衣装を作りまーす”という女子の宣言と押しつけ。私の堪忍袋の緒は切れた。クラスのアンケートに、『男尊女卑は男だけが作るのではない、女側の『女』はこうあるべきという思いこみも男尊女卑を作る』とびっしり抗議文を書き、練習も出場も衣装も徹底的に拒否した。今でこそ、ネタとして、笑って話せるが、当時はかなり辛かった。何度も挫けそうになったが、きついブーイングを浴びれば浴びる程、反発心が芽生えたものだった。

ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ

中島みゆき『ファイト』より

中島みゆきの『ファイト』の歌詞を初めて、全部、読んだ時、涙が止まらなかった。ぽろぽろ、ぽろぽろ、堰を切って、ため込んでいたあらゆる感情があふれ出した。(全文、読んだことがない方は、是非、検索して、読んでみて下さい!)

傷ついても、傷ついても、毎日、闘わなければならなかった。自分らしく生きるために。他人も自分も家族も学校も職場もみんな大嫌いだった。芸術や文学と出会って、何とか生きていけるようになった。100%ではないけれど、ここ何年かで、ようやく少しずつ自分を肯定できるようになってきた。これは終わりではない。新しい始まりだ。

すべての闘っているひとたちへ

『ファイト!』


photo:見出し画像(みんなのフォトギャラリーより、鐘井ユウさん)
photo2:Unsplash
design:未来の味蕾
word:未来の味蕾

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