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43.古くて新しい価値観

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2019年4月30日、平成最後の夜。
私は新幹線で名古屋に向かっていた。

伏見ミリオン座さんでの「改元オールナイト上映」に参加するためである。

一生に一度あるかないかという、元号をまたぐスペシャルなイベント。
全国から秘密結社(木朱)マサラの精鋭隊が集結した。

紙吹雪を段ボール単位で作ってくる者、ドン・キホーテで売場のクラッカーをありったけ買い占めてくる者、謎のぬいぐるみやかわいい手作りフィギュアを持ち込み記念撮影する者、インド風の装束でキメて来る者、ロビーでご挨拶のお菓子(自作の絵付き)を配る者…
おおむね、無法地帯である。

ハイ、最前列で紙吹雪撒いて令和を迎えました!

【注】映画館における、映画の多様な楽しみ方を愛する人は、誰でも勝手に(木朱)マサラの構成員を名乗ってよいことになっている。(我々は決して映画館で「騒いで」いるのではありません。映画を「楽しんで鑑賞」しているのです!)

それにしても、中日新聞の記者さんが取材に訪れ、令和改元の記事として取り上げられたのは、想定外のハプニングだった…

テレビでのロードショーやビデオ(ブルーレイ・DVD)、ネット配信等の普及で、映画館でなくても映画が気軽に観られるようになった。
映画館産業は今、厳しい環境にあることは否めない。
そんな中、新しい映画鑑賞の形として「絶叫上映」「応援上映」「マサラ上映」などのイベント型上映が、話題になっている。

映画館で映画を静かに観ることがマナーになったのは、それほど古い話ではない。
テレビが普及する前、映画産業は大衆娯楽として発展、多くの人々が気軽に映画館に足を運んでいた。
その頃、映画を見ることはもっと自由だった。コミカルなシーンでは声を出して笑うし、時代劇で主役がカッコよく登場するシーンでは「待ってました!」と声が飛ぶ。作品数が今より格段に少なかったこともあるけれど、好きな映画は何度も見て、セリフを覚えている人もたくさんいた。
地元の映画館に来る常連客は、だいたい顔見知り。偶然映画館で出くわし、そのまま飲みに行くこともあったかもしれない。
地域コミュニティの場のひとつとして、映画館は存在した。

…そうだ。
私もさすがにその頃は生まれていないので、人生の大先輩方からの伝聞である。

1990年代、平成初頭に本格的なシネコン(シネマ・コンプレックス)時代が到来した。郊外の大型ショッピングセンターに併設された、複数のシアターを持つ最新式の映画館。全国ネットの大手資本企業によって運営され、地域のコミュニティから切り離された存在だった。
隣の座席に見知らぬ人が座ることがフツウになると、他人に迷惑をかけないため、「静かに見る」マナーが主流になった。

イベント上映を愛する人々は、普段は「上映中にスマホ触ってるボケがいたらつまみ出す(比喩)」「上映中に会話してるヤツラがいると『映画に集中しろや!』とドヤしつける(あくまで比喩)」ような、静かに観るのが大好きな映画ファンばかりである(うっしー調べ)。
と同時に、真剣に見ているからこその笑いや、こらえきれぬ嗚咽、怒り、絶望、恐怖の叫びをもまた、こよなく愛している。
ライブ会場で、ファン同士が空間と時間とを共有し、一緒に盛り上がる高揚感と同じだ。

イベント上映の価値は、「古くて新しい」といえるかもしれない。
かつて映画館が担っていた「コミュニティの場」としての役割が、形を変えて「映画を愛する人たちのコミュニティの場」として甦りつつあるのだ。

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前回の『42.特異点』にて、2019年の春に筑波大学陸上競技部の長距離パートに加入した新入生たちについての印象を記した。

“『筑波大学箱根駅伝復活プロジェクト』は、ある意識を持った学生さん達にとって、特別な価値を持ちつつある。”

弘山さんがコーチとして就任して5年め。
箱根駅伝予選会では、予選通過校とのタイム差がついに10分以内になった。
それでも、予選会を走る10人全員が1分ずつ記録を縮める必要があるタイム差である。冷静に考えれば、それがどんなに困難な道のりかわかる。
後に知り合った、ある学生さんの保護者の方の「進路を決めた時『なんで筑波!?』と他の保護者の方々に言われました(笑)」という話が今でも印象に残っている。
「筑波大学で長距離やって箱根出場を目指します」と言ったら、そう聞き返されるくらい、当時の陸上界では非常識だったのだ。
それでも、彼らは筑波大学にやってきた。

なぜ学生スポーツは存在するのか。
その命題を掘り下げて考えたとき、根本的には大学の存在意義にまでたどり着くだろう。

広く、美しく、洗練されたシネコンは、映画業界に革命を起こしたけれど、一方では、映画を見る人々の心を分断してしまった。分断された個人は、代替となるビデオやネット配信の普及により、映画館にわざわざ足を運ばなくなっていった。映画館の存在意義を根底から揺るがす事態である。

関東エリアの大学限定だったはずの箱根駅伝は、テレビ中継の技術革新(移動通信技術の進歩が、臨場感あふれる番組構成を可能にした)もあって、お正月の風物詩とまで言われる怪物コンテンツとなった。一方で学生さんの大学進学の動機を左右するほど、教育の根幹を揺るがしかねない、途方もない影響力を持つようになってしまった。

映画館も箱根駅伝も、もう昔に戻ることはできない。
だが、これから新しい価値を与え直すことはできる。

箱根駅伝出場の道のりはまだ遠く見えるにも関わらず、私は筑波大学箱根駅伝復活プロジェクトは、所期の目的を達成したのではないかと思った。
令和の筑波大学に、「新しいプライド」が生まれつつあった。


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