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59.迷いながら

見学から戻ってくると、陸上競技場では練習が始まっていた。
用具小屋の前に折り畳み椅子を準備くださったので、そこに座って見学させていただくことにした。
とはいえ、長距離競技の練習を初めて見る私には、どんな目的のトレーニングなのか、全くわからない(汗)。
今思うと、10kmのペース走…だと思う。
いくつかのグループに分かれて走っていた。グループごとに設定タイムがあるらしく、コーチ陣がストップウォッチを持って、声をかけている。
合宿後のお休み明けなので、彼らにとっては軽い運動なのだろう。
けれど素人の私にとって、10キロもの距離を同じペースで走り続けるというのは、それだけで驚異的過ぎる。
駅伝で沿道応援をするとき、自分の目の前を選手が走り抜けていくのは、本当に一瞬である。けれど、そこに至るまで、長い、ながい道のりを走り続ける努力が必要なのだ、と実感する。

しばらく見学していると、一人の学生さんが競技場にやってきた。
川瀬くんだ。
医学生の彼は、練習時間を確保するのも大変だろう。
トラックの内側にいる弘山さんのところに行き、何か話をしている。
今日の自分の練習メニューについて説明しているようだ。弘山さんは、ほとんどうなずいているだけだった。
彼は、2週間後に岐阜県で開催される「日本学生陸上競技対校選手権大会(通称・日本インカレ)」の3000m障害レースに出場することになっている。
そのためか、他の学生さんとは別の練習を始めた。

当時の私にはわからなかったが、インターバル走だろう。コーチにタイムを声がけしてもらいながら、1周ごとに、速く走ったりジョギングしたりを繰り返していた。

(当日の練習風景。筆者撮影。関係者の許可を得て掲載しています)

競技場周辺の木々から、蝉の声がシャワーのようにトラックに降り注いでいる。
夏の夕暮れが、ゆっくりと過ぎていった。

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この見学で、私は思いがけないプレゼントをもらった。
遅れてきた川瀬くんが、弘山さんの元に行って話していたとき、突然くるりとこちらを向いた。真っすぐ駆けてきたので、私は驚いて椅子から立ちあがった。

「こんにちは、川瀬です!弘山さんから聞きました!来てくれてありがとうございます!!!」
こちらこそ勝手に押しかけてしまい、かえってご迷惑じゃなかったかと。
「いえ、そんなことないです。」
彼は、興奮したように言葉を続けた。
僕たちも、今回のことが正しかったかどうかわからないし、正直不安でした。でも、こうして会いに来てくれて、本当にうれしいです。」

胸が熱くなった。
彼らは、わかっている。正しい道なんてどこにもない。
自分たち全員で決めたことに迷いながら、その不安に必死に立ち向かおうとしている。

乗り越えられない壁にぶつかったとき、今まで大切にしていたもの(物理的なモノだけでなく価値観や概念も含む)を手放さねばならないときがある。
人間が有限な存在である限り、個人のキャパシティ(容量)には限界がある。今の自分のキャパシティを超えてしまったとき、解決する方法は二種類しかない。
一つはキャパシティを大きくすること。しかし自分の器を大きくするなんて、一朝一夕にできるわけがない。よって、新しいことを受け入れるには、今持っている何かを手放す勇気が必要になるのだ。

変化しつづける勇気と、今ある何かを手放す勇気とは、表裏一体である。
自分が大切に思ってきたことを手放すのはとても怖い。
だがそれは、壁を乗り越えた後に、もう一度掴めばいい。
自分の人生に本当に必要なものなら、いつかまた必ず目の前に現れる。そう思えれば、前に進むことができる。

川瀬くんは、さらに続けた。
「ちょうど一か月後に記録会があるんです。箱根駅伝予選会の選手選抜を兼ねてるんで、またぜひ来てください!」
「一か月後ですか。」
「はい、9月28日です!」

そんな、期待でいっぱいのキラキラした瞳で言われたら、死んでも応援しに来るにきまってるじゃないですか。

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帰りも、駅まで弘山さんに送っていただいた。重ね重ね恐縮の極みである。
車の中で、9月に実施する熊本合宿の話題になった。
「地元の方々が大変熱心に勧誘くださって、遠いんですけど、合宿することになりまして。スケジュールが大変です(笑)明日、車で名古屋まで行って、そこから車を置いて、大阪行ったあと熊本入りするんです。」
ひ、弘山さん自ら運転してつくばから名古屋まで行くんですか!ってか、なんで名古屋に車置いて大阪行くの!?
後で合点がいった。
この年、8/31~9/1に、大阪で第6回全国高等学校選抜陸上競技大会が開催された。そこでの勧誘活動に向かわれたのだ。
その後、9/2からは熊本で合宿、合宿後、岐阜で開催される日本インカレにそのまま直行する。だから、車は名古屋においたのだ。
(その時は全く理解不能だった)。

「お金ありませんからね、できるだけやりくりしないと…」
クラファンで調達したワゴン車を活用いただけてるのは、本当にうれしい。
うれしいけど…

国立大学のコーチ稼業、過酷すぎる…(;゚Д゚)

しかし、この過酷?な熊本合宿が、またもや私に、もう一人のヤバすぎるネットフレンズをもたらすことになる。
箱根の神様の思し召しとしか思えない。

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