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21.小さな陣地

チームつくばタイトル

選手たちが走り去った後、私は公園の昭島口付近から移動して「みんなの原っぱ」に足を踏み入れた。

なるほど、これが案内メールに書いてあった「みんなの原っぱ」か!

緑のじゅうたんを敷き詰めたような、広大な原っぱだった。真ん中に大きなケヤキの木が植わっている。
西側から入って来たので、東側奥に設置された大きなモニタとステージが正面に見えた。あそこで結果を発表するのだろう。

ステージを囲むように、大学ごとに陣地を形成している。選手たちの荷物などを置くブルーシートが敷かれ、その周辺にはスクールカラーの幟が所狭しと立ち並んでいた。
筑波大学の陣地はどこだろう。フューチャーブルーと、クラファンで作った筑波紫の2種類の幟が立っているはずだ。

大量の紫色の旗の塊を見つけたので、吸い寄せられるように近寄って行ったが、そこは駒澤大学さんの陣地だった。
応援者だけでなく報道関係者たちも大勢いて、幾重にも陣地を取り巻いている。
危ない危ない、また軽率に突っ込んで「筑波大学の陣地ですか?」とたずねるところだった。ちゃんと文字を読め。

そのとき、目の端に水色の布がよぎった。
目をやると、白抜きの五三の桐紋が駒澤大学の幟の向こうに見えた。すぐそばに筑波大学の陣地があったのだ。
駒澤大学さんの周りに群がる群衆の間をすり抜けて、ようやく筑波大学の陣地にたどり着く。

愕然とした。

なんて、なんて小さな陣地。

応援団も来ていない。組織だったOBOG会と思しき団体もいない。

陸上部の学生さんたちと、あとは(指導者陣や学生さんと話している雰囲気から)陸上部関係の卒業生と思われる方々。しかも、個々に応援にいらして、現場で偶然会った風情で挨拶されているようす。組織だって応援に来ている感じには見えなかった。(実際はそうではなかったかもしれませんが、外野的にはそう見えたのです…)

もちろん、大応援団を編成して会場に乗り込んできた大学は、出走していた39校のうちのごく一部だろう。
だが、大学をあげて「箱根駅伝復活プロジェクト」と銘打ち、クラウドファンディングという前例のない施策を立ち上げてまで、巨大な怪物コンテンツとなった箱根駅伝と本気で向き合おうとしている筑波大学。
プロジェクトの記事を読むたび、胸をワクワクさせていた心の中の壮大なイメージと、目の前に横たわる現実とのギャップに、私は絶句した。

これでは、学生さんたちが「応援されているという実感」を感じられないではないか。

たしかにクラウドファンディングでは何百人もの支援者が寄附をしてくださっている。だが、あくまで「顔の見えない」支援者だ。数行の応援コメントだけでは、ネットの向こうにいる「人格」を感じにくい。

私は激しく後悔した。
前回このことを自分がちゃんと認識できていたら。この1年間で何かできたかもしれないのに。

駅伝主将の川瀬宙夢くん(当時4年生)が、挨拶をした。

毎年ここで『来年こそは』と言っていますが、いまはただ、応援してくださったみなさんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(4years.の記事より引用)

川瀬くんの挨拶をききながら、私は泣きそうになった。

ごめんね。ぼっちでしか応援に来れなくてごめんね。
『来年こそは』もっとたくさん応援者を連れてくる。

絶対に連れてくる。

>>22.うっしー、清水の舞台から飛び降りる

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