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23.医学生の駅伝主将

チームつくばタイトル

2020年1月、26年振りに箱根路に返り咲いた筑波大学。

筑波大学の箱根駅伝復活にまつわる話題は枚挙にいとまがない。
その中でも、テレビの前の人々に最大の衝撃をもたらしたのは「医学部5年生の箱根ランナー」だろう。
一躍有名人となった川瀬宙夢くんは、1年前の4年生当時「医学生の駅伝主将」でもあった。

彼が駅伝主将になったことは、プロジェクトのターニングポイントになったのではないか。私は最近、そんなことを思っている。
言い方に語弊があるかもしれないが、「体育専門学群」を擁する総合大学のスポーツ部内で、医学生がキャプテンとして采配を振るったことは、一見「常識はずれ」に見える。
けれど、学生スポーツとしては「ありえて当然」だ。部活動をするのに学部の壁はない。おそらく、当時の上級生の中で駅伝に最も思い入れがあったのが川瀬くんだったから、駅伝主将に立候補したのだろう。

筑波大学の陸上競技部において、駅伝競技は「中長距離ブロック長距離パート」に属する部員がメインとなってチームを組む。
だが、筑波大学は「長距離走や駅伝競技をメインに取り組む学生」が少ない状態が長年続いていた。川瀬くんが主将になる前までは、中距離を専門とする学生さんも動員しなければ戦えないのが実態だった。

じっさい、川瀬くんの1学年上で中長距離ブロック長を務め、駅伝競技でもエース格だった森田佳祐さん(現・小森コーポレーション)は、全日本実業団対抗選手権の1500mで優勝するほどの中距離界の実力者だ。
実業団チームの一員として、ニューイヤー駅伝でも活躍している。

また、箱根駅伝当日に川瀬くんの給水係を担った、同期の小林航央さん(現・新電元工業)も、中距離のスペシャリストとして名を馳せた。
箱根駅伝でも活躍された館沢亨次さん(東海大卒/現・DeNA)や舟津彰馬さん(中央大卒/現・九電工)が中距離競技に力を注いでいることはよく知られているが、小林さんは好調時には「勝てるかどうか」ではなく「どんな勝ち方をするか」とさえ言われた中距離界の絶対的エースだった。3年次には日本ランキングトップにもなっている。

森田さんも小林さんも、筑波大学時代は箱根駅伝の予選会を走っており、長距離でも高い素質をいかんなく発揮している。
彼らをはじめとする卒業生たちの献身がなかったら、筑波大学のこんにちの「奇跡の復活」はありえなかっただろう。

だが私は、陸上のことを知るにつれ、同じ陸上競技でも、トラック競技とロード競技、個人競技と団体競技、それぞれ違った資質とメンタルを必要とするはずだ、と思うようになった。

駅伝は団体競技だ。
ラグビーやサッカーと同じで、駅伝は個々の能力が高いだけでは戦えない。そこが他の陸上種目と決定的に異なる点だ。
筑波大学が本当に強くなるためには、駅伝に関わる学生さんたちが「チーム」としてよく機能しなければならない。

川瀬くんは、弘山さんが就任した年に入学した、いわば「弘山元年世代」である。
その下の世代からは「筑波大学で長距離走や駅伝に真剣に取り組みたい」学生が増えて来ていたが、当時はまだ、気持ちはあっても実力が追い付いていない学生さんが多かった。
彼らの目に、医学生として多忙を極めながら、選手層の薄いチームを必死にまとめようとしている「駅伝主将」の姿は、どう映っていただろう。

私の勝手な想像ではあるが、「医学生の駅伝主将」の存在が、その後のチーム変革の遠因になったのではないか。そう感じている。

>>24.インターバル、あるいはインターミッション

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