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アニメじゃない『世界2.0』メタバースの歩き方と創り方/佐藤航陽

 著者の佐藤航陽さとうかつあきさんを、私はこの本を手に取る(というか電子書籍なのでタップする)まで知らなかった。

 大学生の時に起業して、新しい価値や概念を創造しようと飽くなきチャレンジを続けている方のようだ。
 現在36歳。お若い。
 そしてホリエモンさんの動画でお見受けしたが、なかなかの早口でいらっしゃる。しかも活舌もいい。

 2018年には『お金2.0』という本がベストセラーになり、20万部を売り上げたという。申し訳ない、存じ上げなかった。
 『お金2.0』は仮想通貨をめぐる経済についての本らしい。

 この『お金2.0』の出版時経営していた会社「メタップス」は事業の内容が変わり、ご本人も今は社長職は辞しているそうだ。
 現在は、「株式会社スペースデータ」という会社を経営しつつ、食品ロスをなくすことを目指した「株式会社レット」を経営していると言う。

 この「2.0」というのは、『世界2.0』に書いてあったことからすると、「更新」を表すいわゆるバージョン情報であり、新しいバージョンを意味している。

 つまり、旧世界の旧人類たるわたくしのようなもの向けに翻訳すれば「世界・バージョン2」というようなものであろう。ドヴォルザークが鳴り響く。

 今回の主題はメタバース。

 メタバースに関しては、以前私なりに色々考えたことがあり、こちらの記事を書いたことがある。

 私のnote記事によく登場するナゴミさんは、SEをしていたので、2人で話すと割とよくネットワークやプログラミング、A.Iの話になる。私が聞きたがるからだが。

 先日、ナゴミさんが、

「20年くらい前にさ~、あったんだよね~、メタバースの失敗例がさ~、なんだっけ、名前。なんだっけな~。あの時は結構、メタバースに期待を持ったことがあったんだけどな~」

 という話をしていた。

 なんだっけ、と言われても私はちんぷんかんぷんだ。20年前はメタバースのメの字も知らなかった。

 それが、この本に書いてあった。
 ああこれがナゴミさんの言ってたアレかと思った。

 メタバースの先行失敗例、それは、アメリカのベンチャー企業リンデンラボが2003年にリリースした「セカンドライフ」というメタバース。

 佐藤さんによると、当時の通信速度が遅すぎたため失速してしまったのだとか。時代を先行し過ぎたとのこと。

 しかしこの失敗が結構後々まで尾を引いていることが、本の端々に出てきた。イメージの低下というのはかように恐ろしいものだという例かもしれない。この失敗が、チャンスの女神の前髪をつかむ気を無くさせるには十分だったということだろう。みな、メタバースは想像領域でゲームの話、で片付けるようになった。

 映画『アバター』が2009年。2010年代後半になって、急速にハード面でインフラ整備が進み、「セカンドライフ」のようなメタバースが技術的に可能な世の中になっても、企業は二の足を踏んでしまっている。特に、日本では。

 ドラゴンボールとかFFとか、そんなことやってるうちにGAFAの時代がやってきて、一部の巨大企業が独り勝ちするような、インフラを根こそぎ牛耳ってしまうような時代になってしまった。

 今世界は「宇宙空間」と「仮想空間」に目が向いている、と佐藤さんは言う。と言うより残されたフロンティアはそこしかないのだと言う。

 ニコラ・テスラの意志を継いだイーロン・マスクは宇宙開発に熱心でロケットを飛ばし続け、会社の名前をまるごと「メタ」にしてしまったマーク・ザッカーバーグは仮想空間の開発に全力を挙げている。常にうわさが絶えず、借金や苦肉の策の経営の話がひきも切らないが、佐藤さんがおっしゃるには、世界がそちらを向いているのは確かで、もはや「国家」の時代ではない、らしい。

 しかしメタバースにおいては、佐藤さんは、なんだかんだ言ってEpic Games(エピックゲームズ)に一日の長があると睨んでいるらしい。
 Epic Gamesと言えばバトルロイヤルゲーム「フォーナイト」で有名だが、アップル訴訟も記憶に新しい。

 佐藤さんによると、Epic Gamesは「フォートナイト」の運営元でありながら、他のいろいろなゲームの裏側で使われているゲームエンジンを提供していて、直接顧客を獲得するだけではなく、企業間での顧客ももつという。その企業価値はGoogleやFacebookでも覆せないところに来ているのではないか、とのこと。

 アップルとの訴訟では、巨大IT企業の壁を打ち崩すことはできない結果になったけれど(Epic Gamesが賠償金を支払った)、それでもアップルを相手取って訴訟ができるくらい力を持っていることは、あの時小市民の私ですら感じたのだから、その佐藤さんの主張にはなるほどと思った。

 ハードありき、のところからやろうとしたらダメで、ソフトが先行するはずだ、技術はあとからついてくる、というのが彼の主張だ。

 テクノロジーの開発と啓蒙、ビジネスチャンスというのは、早すぎてもダメ、遅すぎれば宝の山はもうない、という、ギリギリのラインを攻める必要があるらしい。佐藤さんは今がラストチャンスだ、とこの本でおっしゃっている。

 日本は昔から、「あれがぼくのあこがれのくに。ぜんぶすごいしかっこいい。ぼくもいつかあんなふうにならないと。おいつけ、おいこせ、おー」という感じの国だから、自ら先陣を切ってメタバースに食いつくとはとても思えないし、実際、担い手を育ててもいない。ラストチャンス、といっても、意識改革からはじめないと、というのが、佐藤さんの気持ちなのかもしれない。

 本書は、メタバースについて知識のない人にも理解を深めてもらうため、かつ、今の世の中にある価値観や意識を転換させるためにか、ところどころ冗長で、繰り返しの多いところはあるのだが、「メタバース」という概念と開発の現在と、彼がメタバースに託している未来予測については、あますところなく語られているのではないかと思う。

 たまに「あれ?」と思うのは、この本が訴えたいことが「ビジネスの成功」なのか「メタバースの現実化と未来」なのかというところが、少しあやふやなところがあることだ。

 佐藤さんにとっては切り離せないものなのかもしれないが、商業主義的お金一強の「資本主義」の価値観から、お金儲け主義ではない社会全体のためになることに価値を置く「価値主義」という価値観への方向転換を、との主張とは別に、資本主義的ビジネスチャンスについて語る場面も多いのが、読者にとっては少し混乱するところだったかなと思う。

 確かに私も、価値観の転換は今の時代のカギだと思っている。
 資本主義や民主主義といった概念が古くなりかけていて、新しい概念を人々が必要としているのではないかとは、常日頃思う。
 ただそれが佐藤さんの提唱する「価値主義」なのかどうかは、わからない。

 未来のテクノロジーについて語る時、どうしてもSFやファンタジー作品が引き合いに出されることが多い。この本でも、数多くの創作作品に触れながら、メタバースがいよいよそういった「想像の未来」に近づいていることが示唆される。

 それが、意外と仮面ライダーと親和性が高いことには驚いた。
 いや、佐藤さんは全然そんなことを言ってはいない。
 これから読む方は「仮面ライダーのことなんか書いて無いんだけどー」と怒らないよう、ご注意いただきたい。
 あくまで個人的な私の感想。
 龍騎(ミラーワールド)やW(人間のデータ化)、ガイム(マルチバース)の世界観と被っていて興味深かったのだ。
 そもそも「仮面ライダー」はショッカーの肉体改造が発端なので、ある意味先進性の高いテクノロジーへのアンチテーゼ的な物語群ではある。

 佐藤さんの語ることを、理想論といったり絵空事と言う人は多いだろう。先駆者というのはいつの時代も、ガリレオ的な境遇になりがちだ。でも、私は専門家でもなんでもないが、結構、そういう時代は全部か一部かは知らないが、まあ来るんじゃないかとは思っている。

 この本の佐藤さんの主張に、頷けるところもあれば頷けないところもあったが、ただ、私が「抜け落ちている」、と思ったのは「肉体」だ。「自然」とか「地球」と言ってもいい。

 人間が自分の望む世界をつくり、死後に自分の意識を残すことができて、仮想空間で生き続けることができる未来がきたとしても、人間はやはり肉体があってこそ「人間」なのだと、私は思う。

 これこそ古い人類の考えかもしれないが、もし、肉体を完全に脱ぎ捨ててしまったら、私たちは「人間」とは呼べないものになるんじゃないだろうか、と思うのだ。名称も変わってしまうだろう。

 たとえば事故や病気で高機能脳障害になったり、体が思うようにならない人が、仮想空間で自由に他人とコミュニケーションができて、生きる喜びを感じられることは画期的なことなんじゃないか、仮想空間に生きることは、一部に限定すれば悪いことではないんじゃないかと、私は思っている。はてなの記事にはそんなことも書いた。

 それでも、やはり肉体に押し込められているから人間は人間で、地球の自然の一部であること、地球に生きている生き物、動物としての側面を完全に無視することはできない、と思う。

 生まれて老いて死ぬことが動物の宿命なら、自分の都合のいいような世界の中で都合よく生きることで肉体を損なえば、その世界を継承する子孫が絶えるのではないか。そもそも生まれたときからVRを装着して寝たきり状態の肉体に、出産は不可能ではないかと、経産婦としては思う。

 そうなると当然、性も子宮も外注ということになる。

 なんとなく、あまりに肉体を置き去りにして、ないがしろにしたら、しっぺ返しが来るような気がするのだ。肉体に対する回帰の思想が盛り上がってくるかもしれない。昨今の人生100年健康志向などはその先触れなのかもしれないと思っている。

 私は、電脳の進化の果ては、結局は誰かが電源を抜いて終わり、とか、置き去りの身体が他の動物に捕食されて終わり、みたいなディストピアになるんじゃないかな、なんて思っていた。
 電気というエネルギーが永遠無限にあると仮定した世界は儚い、とどこかで思っている。

 佐藤さんは決して、未来にディストピアを描いていない。
 彼の言うメタバースは、人間が神のごとく振舞うことであり、それは人間が神に近づくというよりも、神を人間側に引き寄せ「民主化」することだ。ユヴァル・ハラリ氏のいう「ホモ・デウス」とは逆の方向性だ。

 彼は、自在な世界でさまざまな顔をもつ人間たちは、窮屈に生きる必要がなくなるだろう、と言う。オリジナルの概念や価値を生み出すクリエーターが尊重され、思う時に思う場所にいき、好きなことができる。細かいログが永久記憶されれば、過去にさえも行った気になれるはず、と。

 私自身は、テクノロジーとかつて想像した未来がうまく融合したメタバースを、人類が人類としてコントロールできる時代がくればいいな、と思っている。なんか、フツーだ。フツーでは、パラダイムを突破して新しい世界に行くことはできないのだろうが、普通って結局いちばん難しいんじゃないのと思ったりもする。

 私のような考えはまさに、古い地球人の限界を表出しているのかもしれない。古い価値観の枠の中に閉じこもっている限り、結局は地球を食い潰してしまうのだろう。佐藤さんの考えをどう捉えるかは、あなた次第、と言うことなのかもしれない。

※タイトルの「アニメじゃない」機動戦士ガンダムダブルゼータの主題歌「アニメじゃない~夢を忘れた古い地球人よ~」から。
 これを最初に聞いたときは、ゼータガンダムでカミーユがガンダムマークⅡでSPを踏みつぶそうとしたシーンを見たときくらいに驚いた(誰にもわからない比喩ですみません)。
 ちなみに作詞はこの本にも登場する秋元康さん。










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