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freestyle 7 ミギーの愛

※ネタバレがあります※

『寄生獣』は、今から約30年数年ほど前の漫画だ。

 アニメや映画になっていて、存在は知っていたが、これまで読んだことは無かった。

 息子がアニメ版を観ているのを観るともなく観ていた。なかなかにグロテスクだ。まあ『GANTZ』よりグロさはマシかも。そのうえ、どっかで聞いたような話だ。というか、これって弓月光の『エイリアン1/2』じゃない?

 そんな風に斜めから観ていたのだが、寄生生物に寄生された女性教師が主人公の学校にやってきたあたりから、だんだん面白くなってきて、つい、楽しみに観るようになってしまった。

 だめだだめだ。そんなんだから息子に示しがつかないのだ。そう思いながら、結局最後まで観た。なるほど、有名人が強く推していたり、クリエイターが続きを描いたりするのは伊達ではない。長く愛されてきた理由がわかる。実に興味深い。

 この物語は「寄生生物VS人間」として始まるのだが、最後の最後に「人間こそが寄生獣」という意味の言葉が出てきて、ようやく腑に落ちる。これは、この令和の時代にこそ観るのが相応しいアニメだったんだな、と。どっかで聞いたような話、だったのは、今まさに私たちがその漫画の舞台を体験しているからなのだった。

 令和が始まってすぐに新型感染症が猛威を奮い始め、私たちは二年経とうとする今もまだ、感染症の脅威から逃れられずにいる。

 今の新型感染症は、人間が環境(地球)を害したために発生したとも言われている。寄生生物を新型感染症と置き換えて観てみると、この漫画が驚くほど今の世の中を看破していることに気づいて愕然とする。

 『寄生獣』に出てくる宇宙から来た寄生生物は、令和のウイルスと違い、ある程度知性のある生命体だ。それは「考える筋肉」のようなものらしい。彼らは人間に寄生するとその脳を食べることで人間に擬態し、人間社会に紛れ込むことができる。概して知能が高いが個体によって個性があり、単に人間を捕食するだけのものもいれば、知的好奇心の強いものもいる。好奇心の強いものは宿主である人間に興味を持ち、学習をはじめる。脳を食することで、宿主の個性に影響を受けるところもあるのかもしれない。

 主人公は高校三年生の泉新一。いたって普通の少年だった。ある時、寄生生物が新一に寄生しようと耳から脳味噌を狙うが、イヤホンをしていたため新一に気づかれ失敗。右手の先から侵入しようとして結局脳に到達できないまま、新一の右手のみに寄生することになる。街中にばらまかれていた寄生生物たちは人間に擬態し人間の補食を始め、行方不明事件や殺人事件が多発する。

 右手に宿った寄生生物に新一は「ミギー」と名前をつける。ミギーは仲間の意識をキャッチすることができ、細胞組織を硬化させることによって刃物のようなものを作り出したり、右手を自由自在に変形することができる。凄まじい速さで動かすことも。

 最初は感情の無い、ただ言葉を話すだけだったミギーが、様々な本を読みPCを使い人間や地球について学習を始め、次第に感情のようなものも芽生え始める。

 前述したように寄生された女性教師が学校に赴任したことから、物語が展開し始める。女性教師の名前は田宮良子(田村玲子)。彼女は高い知性を持ち、生徒に数学を教えることができたばかりか、人間について強い興味を抱いていて、実験のために自ら出産までする。右手だけが寄生され、脳がそのまま残っている新一には、並々ならぬ関心を寄せる。そして彼女はいつしか、我々はなんのために生まれてきたのか、と自問し、自分の子供に対する感情に芽生え、いつかは人間と共生する道があるのではないか、とまで思い始めたらしい。

 新一の周辺では怪事が相次ぎ、ついには母親が殺されてしまう。その時に新一も一度死にかけるが、ミギーが新一の心臓を修復することで一命をとりとめる。そのことがきっかけでミギーと新一の同化は一層進み、新一は特別な身体能力を得る。新一は寄生生物との戦いに否応なく巻き込まれていき、ミギーは宿主(人間)を守るために同胞を殺さなければならなくなっていく。

 と、語りだすと止まらなくなるのだが、あらすじや展開については置いておこう。注目はこの話が常に「葛藤」の話であり、最初から最後までその「葛藤」がパターンを変えて現れるということだ。そして最大にして根幹にある葛藤は、人間の、地球(自然)に対する葛藤である。

「地球上の誰かがふと思った」
「人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……」

 これは、『寄生獣』冒頭のナレーションだ。

 寄生生物たちと密接な関係があり、自身も寄生されているのではないかと新一がにらんでいた市長・広川が、寄生生物殲滅部隊を前に演説をするシーンがある。

 広川は「これまでは武器を持って人間同士殺し合い、人類の数が間引かれることで自然界のバランスが取れてきた、殺人よりもゴミの垂れ流しのほうがはるかに重罪だ、生物界のバランスを保つために、人間は天敵たる寄生生物をもっと大事にすべきだ」と寄生生物側に立った意見を述べた後、こう続ける。

地球上の誰かがふと思ったのだ。皆の命を守らねば、と。
最後に開き直るのなら、初めから飾らねば良い。環境保護も、全ては人間を目安とした歪な物ばかりだ。なぜそれを認めようとはせん!人間1種の繁栄よりも生物全体を考える、そうしてこそ万物の霊長だ。正義のためとほざく貴様ら人間、これ以上の正義がどこにあるか。人間に寄生し、生物全体のバランスを保つ役割を担う我々から比べれば人間どもこそ地球を蝕む寄生虫!…いや、寄生獣か。

 おそらく、タイトルの『寄生獣』が出てくるのはここだけではないか、と思う。これは、冒頭のナレーションにたいするひとつの答えでもある。

 しかしアンサーになるセリフはこれだけではない。のちに最強の寄生生物と闘うことになったときに、ミギーが言う。

シンイチ
きみは地球を美しいと思うかい?
わたしは恥ずかしげもなく「地球のために」と言う人間が嫌いだ。
何故なら、地球は初めから泣きも笑いもしないからな。

 理想主義に走りすぎとは言え、広川の言葉にも一理あると思わされていた私たちはハッとする。そんなふうに、まるで「自分は地球のことを考えている」と言わんばかりだった広川の言葉も、結局は人間という立場で上から物を言っているのであり、それこそがエゴなんじゃないか、と。

 『寄生獣』が発表されたのは1988年。前年に天安門事件が起き、翌年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結しようとする寸前だ。ゴルバチョフがペレストロイカを唱えていたころだ。各地で大気の汚染や異常気象が問題にされ始めていて、1985年には初めての地球温暖化会議が開かれた。しかしまだ、温暖化が人間の活動が原因というのは推定であり、確定されてもいなかった(2021年の国連IPCCによる報告書で初めて断定)。そんなころだ。

 この『寄生獣』の中で、「我々は何のために生まれたのか」と自問するのは寄生生物たちだ。でも本当にその問いが必要なのは人間のほうだった。の話は徹頭徹尾『人間はなんのために生まれ、なんのために生きるのか』ということにつきる。

 人間は、同胞が死ぬのを恐れ、傷つき、悲嘆にくれるいっぽうで、自分たちの都合のために戦争をしたり開発と称して環境を破壊し、他の生物を無慈悲に犠牲にもしている。

 私たちは、美しい(と人類が思う)地球を残したいのか。それとも他の生命がどうなろうが、人類、いや自分だけでも生き残りたいのか。本音はどっちだい、と、この漫画は語り掛けて来る。

 新一は、まるで人類の代表か、神様のような選択を迫られる。十代の少年が迫られる決断は、あまりにも過酷で残酷だ。

 ところでわたしたちは地球外生命体と出会った場合、どこに連絡すればいいのだろうか。

 以前、外相時代の河野太郎氏が、「UFO(宇宙人)に遭遇した時」の手順を定めたいと言って話題になった。実際に自衛隊には指示を出したようだったが、民間人に対する対処法も、ちゃんと示してくれた方がいいのにと、常々思っている。

 え?宇宙人信じてるの?って?

 いるかいないかわからないけど、もしいたら困る。私は困る。どこに連絡すればいいか、ちゃんと言っといてもらわないと。

 人間が想像し得ることは現実になる、といって、100年前に想像したことは、車が空飛ぶこと以外はまあだいたい現実(かそれ以上)になってきているわけで(それだっていつ現実になるかわからない)、民間人が、こうした『エイリアン1/2』とか『寄生獣』系の宇宙生命体に絶対接触しないとは言い切れないだろう。私など普通に道で外国の方に道を聞かれただけでもビビるのに、宇宙から来たかただったらどうしよう。宇宙人の質問にちゃんと答えてあげないのも不親切だし、それがもとで人類を攻撃してきたら。しかも攻撃は、物理的攻撃だけとは限らない。

 二年ほど前、どこかで誰か、ウイルスに不親切にしませんでしたか?

 私のせいで地球人は不親切!と宇宙中に発信されたり、いきなり、あなたの星の代表に連絡とって、と言われても困る。それは、誰?どこにいるのだろう?

 地球人代表はSFでは「エスパー少女」とか「どこにでもいる普通の少年」、はたまた「ダイ・ハードでハードボイルドなおっさん」や「科学者」と相場が決まっている。最初の遭遇が日本人のおばさんだったらどうするんだろう。申し訳ないけどおばさんも毎日忙しいので手に余ります。

 『寄生獣』の新一くんだって、ちゃんと公に相談できる機関があれば、もっと気が楽になったはずだ。たとえその力を有するのが彼だけだったとしても、人類の命運を左右する決断を、たったひとりの少年がする、というのはまあ、やっぱり無理があるんじゃないか。

 寄生生物、田村玲子は言う。

 私たちはか弱い生き物だ。あんまり、いじめるな。

 このご時世、人間は、分断分断と騒ぎ立てて仲間である人間とも、ウイルスや寄生虫ともうまく付き合えないのだから、異質なものとうまく折り合って暮らすにはまだまだ修行が足りない。宇宙の生命体と仲良くするのはまだ早いのかもしれない。

  ちなみに「チコちゃんに叱られる」によると、宇宙(人)からの信号メッセージを民間人が受け取ることは限りなくないが、もし万が一受け取った場合は勝手に返事をしては駄目、という国際的な決まりがあるらしい。そして万万が一、本当にメッセージを受け取ってしまった場合は、国立天文台に連絡するといいらしい。国立天文台でミギーや寄生生物をどうにかしてくれるとは到底思えないのだが…

 なんだか色々と想像を掻き立てられる話だ。宇宙からのメッセージを受け取っている人はYouTube界隈には溢れているし、もしかしたら本当に国立天文台に連絡している人がいたりしてもおかしくない。「そう言う人対策」が存在しているのだろう、たぶん。もしそうなら、新一くんが連絡して、信じてくれるまでに街が壊滅しそうだ。

 とはいえ、「限りなくない」とか「宇宙人は信号を使う」とか、ほぼ断言できるのはなぜだろう?ミギーはいきなり脳味噌狙って来たけど…。

 まあ、そんなことは確かにファンタジーの話だ。しかしファンタジーが現実になっているのが「今」だ。災害が起れば予想は現実になり、夢物語が夢でなくなる。

 ちょっとドキドキする。

 紆余曲折の末、新一とミギーは別れ行くことになるのだが、最後にミギーは、こう言う。

心に余裕ヒマのある生物、なんと素晴らしい‼︎

 人間讃歌だ。人類に対し常に懐疑的であったミギーは、事件収束後、新一と接触せずに、1年間眠り続けその結論に至った。

 事件は収束したが、解決には至っていない。解決どころか、新一の住む街も、世界的にも、そんな事件はまるでなかったかのように収束した。寄生生物の方が賢くなり、人肉食をやめて人間の食べ物を食べ、時折こっそりと狩りをすることで、人間に同化して生きていく選択をしたようだ。「なんかあの人性格が変わったよね」ということがあっても、露呈しなければずっと入れ替わったままで宿主が死ぬまで生きられる。

 そんなの嫌だ、と言わせないような仕組みが、この物語にはある。猟奇的殺人鬼・浦上の存在だ。彼は人間だが、快楽のため寄生生物と似た行動をとる。同じ同胞とて、こうした狂気が存在することを、人間は認めざるを得ない。そう言う個体をいびつに含んでいるのが人間社会だ。浦上のような人間がいるのだから、おとなしく人間を狩る寄生生物など許容範囲だろう、と彼らが思ったとしても不思議はない。

 寄生生物の選択は、共存ではあるが、共生、ではない。しかし人間も、本当の意味で地球と共生しているとは言えないのかもしれない。人間の生活がどうなれば、私たちが地球にとって異物=寄生獣ではなくなり、ほんとうに共生していけるのだろうか。

 ミギーにはもともと、新一の身体を奪う選択肢はなかった。そして新一と友情をはぐくんでしまった。ミギーは人間を知りすぎた。進化したミギーは人間と「共生」できる珍しい寄生生物だったかもしれないし、それを選択した仲間もいた(脳の補食に失敗し身体の一部に寄生した同胞がいた)が、ミギーは、新一に自分との共生ではなく、新一自身の人生を生きてほしかったのだろう。

 それは愛を知るほどに知性と感情を発達させた寄生生物・ミギーの「愛」なのだと思う。もしかしたらミギーは、人間が地球と共生していける可能性を信じてくれた、のかもしれない。


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