見出し画像

私と大河と『光る君へ』

 初回放送のラストシーンが衝撃だった『光る君へ』

 放送後、寝る前になっていろいろ印象深いシーンが思い出されたのでつい思いついたことを呟いてしまいましたが、意外にも反響をいただき、コメントで色々ご指摘いただきながら、うっかり『あさきゆめみし』第一巻(もう紙面が茶色いのなんの)を読み返してしまったワタクシです。

 そもそもNHKの大河ドラマは、基本的に「歴史」を扱うものとされているようですが、最初から「大河ドラマ」というネーミングだったわけではなく、後付けだったようです。

  この中で、NHKの歴代大河経験ディレクターの皆さんがこのようにおっしゃっています。一部引用させていただきます。

──最初から大河ドラマというタイトルだったのですか。
大原 違いますよ、全然。最初はネーミングとしては、大型娯楽時代劇。それが「花の生涯」のネーミング。そして2作目で読売新聞が「大河ドラマ」ってつけたんです。人の一生を描くのを大河小説って言うじゃない。井伊直弼の生涯、あるいは大石内蔵助の生涯とか、そういう番組が出たから、「大河ドラマ」っていうネーミングを新聞がつけたんだよ。NHKがつけたわけじゃないの。
西村 で、こうなっちゃうともう正式名称にしようみたいなことになりまして。いまさら大河ドラマって言うか、言わないかっていう論議もないくらいのレベルになってしまったので、今では大河ドラマって正式に言ってます(笑)。

NHKアーカイブス「大河ドラマ 制作者座談会」より
NHKアーカイブスカフェ(No.4、2007年1月)より転載、加筆、写真追加されている記事

 ディレクターさんたちは、大河ドラマの意味や価値について、「視聴者は日本の歴史というものを映像を通じて学べるようになった。だからNHKの大河はあんまりうそをしてはいけないと思っているんですよ。それに、日本のテレビドラマの中で、日本国論、日本人論を論じるようなドラマはないですよ、はっきり言って、大河以外に(大原ディレクター)」「大河ドラマは正月に始まるでしょう。で、12月で終わるという、日本人の生活感に合わせながら日本の歴史、日本人とは何か、日本とは何かみたいなことを考える非常にいい番組だと思うんです(西村ディレクター)」ともおっしゃっています。

 これが2007年時点の記事で、今はそれから十数年経ちます。

 私は子供のころから大河ドラマに親しんできましたが、とはいえすべての大河を網羅しているわけではありません。大河ドラマを観る家だったので、自然になんとなく目に入ってきていた、と言うのに近く、自分から積極的に観るようになったのは大人になってから。それも「今年の大河は面白そうだな、観てみよう」ということもあれば「今回はやめておこう」ということもあったし、途中離脱も数知れず。それでも、とりあえず「次の大河」というのにはいつも興味があって、どんなテーマなのかとか、俳優さんは誰かなど、チェックはしてしまいます。

 一番最初に自分から積極的に観た大河は、おそらく『おんな太閤記』だったと思います。原作・脚本は橋田寿賀子さん。小学校6年生です。
 その前の『獅子の時代』は原作・脚本が山田太一さんだったのですが、私は途切れ途切れにしか観ていないし、覚えていません。今ならがっついて観ただろうと思います。
 次に印象的だったのは『山河燃ゆ』。中三です。受験生ですね。なに大河なんか観てんですか(笑)。だからこちらもストーリーが全部は繋がっていません。でも、ところどころ抜けているのに衝撃的でした。それまでは合戦みたいなものがメインのザ・時代劇だったのに対し、こちらは山崎豊子さんの『二つの祖国』が原作です。
 架空の人物が主人公なのは、『獅子の時代』から2作目だったようです。山崎豊子さんの原作は後から読みました。第二次世界大戦を扱ったノンフィクションで、とても感銘を受けました。大河では特に日系二世の沢田研二さんが素晴らしくて、印象に残っています。

 その後も錚々たる原作、脚本家による作品が続きましたが、私も青春などしていて忙しく、また、いっぱしに「今回はイマイチ気持ちが乗らない」などと言ってはしっかり観ることもなく結婚、出産。今ならちゃんと観たいわ~と思う作品も数知れません。

 ぼちぼちまた観るようになったのは『龍馬伝』あたりでしょうか。それでも子育てなんかもしたりしてましたので、子供のころに観たような強い印象を持つことはなく過ごしました。
 別の意味で強烈に印象に残っているのが『軍師官兵衛』です。なぜ「別の意味」かと言いますと、タイからの帰国直前に、ワタクシ酷い食中毒になりまして。入院したのですが、発病して家で上から下から大変なことになっているときに、「た~す~け~て~」とトイレから叫びましたところ、夫が全く助けに来てくれませんで。何をしているの、早く助けて、病院に連れて行って、と思っているのに、様子を見に来た息子(6歳)に「パパ、『軍師官兵衛』観てるから待ってて、って言ってる」と伝言を頼むという――ええ。

あり得ないだろ!!

 と思ったので、官兵衛にはある種の怨恨を抱いております。確かに面白かったですけどね。
 三谷幸喜さんの脚本では『真田丸』も印象深かったですし、一昨年の『鎌倉殿の13人』は興味のあった鎌倉時代が舞台とあってかぶりつきで観ました。三谷幸喜さんの作品では『新選組!』は最初の1回で離脱でした。なんかダメでした。

 まあ、そんなこんなで、印象に残っている大河もそうでない大河もありますが、ここ最近の大河は「視聴者にアッといわせる」独自性に主眼が置かれているような気がしないでもないな、と思います。

 『鎌倉殿の13人』もそうでしたが『どうする家康』もオリジナル部分が多く史実と少し離れているのかもと思いつつ、最後まで視聴。
 そうはいってもその2作品も「諸説ある」もののひとつを取り上げたのだろうとある程度納得できるところはありました。

 それで今回の大河―—。

 noteで「源氏物語」の五十四帖全てを訳された(今は「宇治十帖」を連載中)YUKARIさん『紫がたり 令和源氏物語』を読み、大塚ひかりさんのご著書を読んで予習・復習をし、万全を期して臨みました。笑

 YUKARIさんの『紫がたり 令和源氏物語』、本当に素晴らしいのでお勧めです。YUKARIさんはご自身で「意訳や訳者の補足が多いので、試験勉強には向きませんよ」とおっしゃっていますが、古典はまずざっくり内容を把握してこそナンボだと私は思っています。そのうえで原典を読んでいいと思いますし、訳者によって雰囲気が違うのは当たり前だと思います。YUKARIさんの源氏物語は、登場人物の「周辺事情」が上手に織り込まれていて、当時の慣習や登場人物がどうしてそういった考えをするのか、といったことがうまくわかるようになっています。モダンでわかりやすい訳で、私はとても楽しませていただきました

 大塚ひかりさんの『嫉妬と階級の『源氏物語』』は実に慧眼に満ちた内容で、勉強になります。
 で、万全を期したつもりだったのにnoteのつぶやきで「通い婚なのに誼子あきこが天皇の部屋を訪ねるのはなんで?」などという疑問をつぶやいてしまいました。天皇は「お渡り」だけではなく自室に「お召」が基本なんですよね。うっかりしてました。

 ところで問題の『光る君へ』第一回の最後のシーン。
 「紫式部の母親が藤原道兼に殺害された」ということが、「ありうるかあり得ないか」といえば、「あり得なくない」のだと思います。そもそも紫式部の存在自体、実在を疑問視する人もいるくらい、当時のことや紫式部のことはよくわかっていないそうです。というか、あれほど栄華を極めた道長の生い立ちだってちゃんとわからないらしいです。紫式部のお母さんが幼い頃に死亡したことまではわかっているようですが、死因まではわかりませんし、当時は流行り病や不慮の事故で死んでしまうことが多かった時代。そして、位の高いものが自分より位の下のものを見下し蔑み、貴族は貴族以外の人間を人間扱いしていなかったのも本当のことのようです。限りなくなさそうなことですが、しかし「絶対にありえない」とは、言えないだろうなと思います。
 
 ドラマでは道兼がかなりサイコパスに描かれてますが、粗暴で冷酷だったという記録もあるそうですし、「蔵人」から出世したことを思うと、警護などに当たっていたため帯刀していたのも変なことではないですし。
 
 ただ、殺人のきっかけを作ってしまったのが紫式部自身であり(道に飛び出して道兼を落馬させた)、母を殺害したのが道長の兄「道兼」であると明確に紫式部が認識しているということが、この物語における「肝心かなめでありながら(歴史的には)問題点」ということなのではないでしょうか。それに関する文献など何もないわけですからね。

 ここからは私のドラマに対するこの先の想像、妄想になります。
 この場合、紫式部は「藤原家(とくに北家)」に対して強い恨みを抱くと思われます。そうなると、何も知らずに道長の娘彰子しょうしの家庭教師として出仕し、知らずに道長の召人めしうど(愛人)になるようなことはあり得ないはず。ということはつまり「復讐」。紫式部の『源氏物語』はファンシーな色合いでカムフラージュされた、彼女の復讐を果たすための「道具」として描かれる可能性が――『光る君へ』は中国大河『瓔珞エイラクのように、頭のいい女性による智謀に満ちカラダを張った壮絶な復讐劇なのかもしれません(ただし自分がのし上がるというより自分の好きな男に栄華を取らせるタイプの)!

 道兼は詐欺まがいのことをして花山天皇を陥れ権力闘争の外に出してしまった功績で、父の兼家から関白を譲られるのは自分だと思っていたところ兄道隆に譲られたことを恨んだといいます。しかし道隆は関白になって5年で病没、その後に念願かなって関白となった道兼はたった7日(実際は7日ではないらしいですが)で死去。病没とされますが、これはもしかして、もしかしたら――紫式部(および道長の共謀)による暗殺、だったりして・・・ホホホ。

 私の妄想では完全にミステリタッチの歴史物語になってますが、それはそれでドラマとしては面白いと思います。しかし翻って「歴史」として子供たちがこのドラマを観て日本の歴史として胸に刻むということになると、それはそれでどうか、とも、思います。前述した、NHK大河ディレクターの言葉が思い出されます。

視聴者は日本の歴史というものを映像を通じて学べるようになった。だからNHKの大河はあんまりうそをしてはいけないと思っているんですよ。

 私が「うーむどうなのだろう」と思ったのはこの点でした。

 どの辺までが創作の妙で、どのあたりまでが歴史として許されるのか。「本歌取り」のように「本歌」は知っていて当たり前のパロディ、とするならば、初めて「平安時代の政治」「紫式部」「源氏物語」などに接する人に対しては少々敷居が高くなってしまうような気がします。

 とりあえずこれまでの大河は「歴史にフィクションを織り交ぜる」ことが多かったと思うのですが(歴史ありき)、今回は「フィクションに歴史を搦めて」います。この方式は『おんな城主 直虎』に似ているように思われますが、直虎は主人公が「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」のような男装(男性の名)の麗人であること以外に、架空の人物が多数出てきたほかは、史実には忠実だったように思われます。ここまでフィクションが主軸である大河はもしかして初めてなのかもしれません。まあそうでないと、実在の天皇が多数出てくる物語は描きにくい大人の事情もあるかもしれませんね。

 ともあれ、やっぱり興味深い平安時代。
 大好きな岡野玲子さんの『陰陽師』も参考書にしつつ、ユースケ・サンタマリアさんのとぼけた安倍晴明はるあきらの動きも楽しみ。
 この時代、末法思想が流行り出す頃で、とにかく出家出家の出家インフレみたいなことになってますが、まだ第一回目だからか仏教色が弱かったですね。陰陽師に呪いを頼む前に、建前上でも僧侶呼びつけのメチャクチャ祈祷調伏護摩焚きだと思いますけど。笑
 そして、これから出てくるファーストサマーウィカさんの清少納言も楽しみです。
 今後に大いに期待しつつ、楽しみに視聴したいと思います。

 最後に、ぺれぴちさんが、道長と同じように源氏物語の光源氏のモデルになったと言われる藤原実方について、とても面白い記事を書いていらっしゃいます。知らないことばかりで驚きました!


 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?