「光る君へ」緊急便乗企画 光源氏のお墓へ行ってみた
僕は大河ドラマを見ていませんが、今年は「光る君へ」という紫式部のお話のようですね。
紫式部と言えば源氏物語ですが、実は平安時代には疎く、源氏物語もどんなお話なのか知りません。
でも光源氏というイケメンの女癖の悪い男が出て来るのは知っています。
光源氏は架空の人物ですが、そのモデルとなったのではと言われている人がたくさんいるようです。
例えば源融や藤原道長(この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば の人です)などですが、その中の一人に、藤原実方という人がいます。
百人一首にもこの人の歌があります。
ZARDの歌詞のようなこの歌を耳にした事はありませんか?
かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしもしらじな 燃ゆる思ひを
なんでも相当なプレイボーイでイケメンで歌も上手く、ブイブイいわせていたらしいです。あの清少納言にもちょっかいを出していたとか。
この実方さんのお墓が、仙台市に隣接する名取市にあるので行ってきました。何故こんなところにお墓があるのでしょうか?
田んぼの中の細い道にわずかな駐車スペースが整備されているので、そこに車を停めて少し歩きます。
写真に実方中将とありますが、この方の最後の官位が左近衛中将だったので、こう呼ばれています。
突然芭蕉の石碑が出てきますが、これについては後で説明します。
左は人家に続いているので、右の道を進みます。
なんでもこの場所は、あの西行法師も訪れたそうで
朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野の薄かたみにぞ見る
という歌を詠んでいます。
何も無いこんな寂しい場所で実方の名前だけがこの地に残っていて、まるで薄が形見のように思える、と涙して詠んだとか。
道の両隣は人家がありますが人気が全く無いので、熊が出たらどうしようと急に怖くなりました。
でも先に何か見えているので、もう少しだと急ぎ足で進みます。
柵で囲まれた真ん中に、お供え餅のように小さな石があるだけのお墓です。
熊が怖いのですぐ帰ります。
距離にしてさっきの橋から150mぐらいでしょうか。
駐車場まで戻って、次なる場所へ向かいます。
700mほど南下すると、正一位道祖神社という看板があり、車一台がやっとの細い道を入って行きます。
実はこの神社の今の名称は佐倍乃神社といいます。絶対読めませんね。
創建は古く、景行天皇40年といいますから西暦110年ということになっています。日本武尊の東征に際して建てられたとか。
伊達家からも庇護を受けていたようです。
祭神は猿田彦と天鈿女命です。以前の記事で、元祖ジュリアナと紹介したあの神様です。
そんなわけで芸能関係の人もよく訪れるのだとか。
さて、どうしてこの神社に来たかというと、実方の最期に関係があるからです。
この神社の前を実方が下馬せずに通り過ぎようとしたところ、地元の人から「ここの神様は願いも叶えてくれるが厳しい神様でもあるから、下馬してもう一度通って下さい」と言われたのですが、無視して乗馬のまま通り過ぎたところ神の怒りに遭って、さきほどのお墓のあたりで落馬して亡くなったそうです。馬の下敷きになったとも言われています。
この話を聞いた芭蕉とそらちゃんも道祖神社と実方中将の墓を目指しますが、泥でぬかるんだ道を歩くのはきつく、長旅の疲れもあって断念しました。
途中で、ここから見えるあのあたりが墓じゃね?んでもってあっちが神社じゃね?そんな感じで諦めて一句。
笠嶋は いづこさ月の ぬかり道
笠嶋というのがこのあたりの地名です。
そんなわけで、さきほどの実方のお墓のあたりに芭蕉の石碑があったのです。
さて、奥州の片田舎で頓死してしまった実方ですが、後日談がありまして、なんと怨霊になったというのです。
その名も入内雀という可愛らしい名前です。
なんでも宮中で食事を用意していると一匹の雀がやってきて、用意したご飯を食べてしまうのだとか。
えっ?怨霊?
同じように大宰府に左遷された道真公はあんなに怖い怨霊になったのに。
という大河ドラマに便乗したローカルネタでした。
おしまい
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