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やりたいことが解らないのには、理由がある。 ~私は小学校の教師になりたい~

2018年9月16日 21時40分。
私は、自分のやりたいことが、わかってしまった。
そして同時に自分のやりたいことがわかるということが、どんなに残酷で険しい道の始まりなのかも、わかってしまったように思う。

私は小学校の教諭になりたい

私は、公立小学校の教師として、子どもたちに正面からぶつかることの出来る存在でありたい

全ての子どもたちが、予め用意されている自分の環境(学校・家庭・習い事)から固定概念を形成されていく。
その中で歪んだ概念があるとすれば「ちょっと待ったー!」と警鐘を鳴らして、突っ込み続ける存在でありたい。

それが相手に対して正しい行為=正義なのかは私はわからない。
自分の価値観で相手の環境に土足に入ることは、時には相手を傷つけてしまうことも多くあると思う。

ただ、そのまま見過ごして子どもたちを<生き殺し>していくこと、これが一番罪なのではないか?

私は自分の価値観の中で少しでも「このまま進むと危ない」と感じたことを発言できるような立ち回りでいたい。
長い目で見た最悪の結果を回避するために、目の前のリスクを取り続けていく存在でありたい。

やりたいことを発掘したキッカケ

自分のやりたいことがわかるキッカケは、とある一冊の漫画だった。

『ハガネの女(堀谷かほる)』※まんが王国の紹介文から引用
次々と担任が辞めていく問題クラス、4年さくら組の新担任になった芳賀稲子・通称“ハガネ”。ひと筋縄ではいかない、クセモノぞろいの子供&その親たちを相手に、ハガネの真剣勝負が今、始まる―!!

期間限定試し読み漫画を漁る中ででふと見つけ、対象の2巻を読了した後に、思わず私は声をあげて一人で泣いた。
あまりにも久しぶりの号泣で、最初は自分に何が起きているかもわからなかった。

でも、泣いているうちに、わかってしまった。

私はこのハガネの女に憧れていることを。
小学校の教師として、ハガネの女と同じ道を歩みたいと心から叫んでいることを。

大学時代の葛藤と挫折

大学時代、二年生の時に受けた教養原論で見たムービー「新人教師奮闘記」で教師という仕事に憧れを抱いた。
そこから教師になるために経済学部に居ながらも教師を目指してみることにした。

しかし、学生生活で様々なことにチャレンジしていくうちに、私は2つのことに絶望してしまった

一つ目は、<環境>に対する絶望

学校システムが慣行的であり生産性が低いこと
子どもと向き合う以前に教材づくり・部活・資料作成等あまりにも膨大過ぎる仕事量
学校教育という組織の視野・視座・視点・正義の幅の狭さ
学校教師になるタイプの同期・先輩との性質が合わない

しかし、環境も所詮自分の力不足自分の影響力が無いことの裏返しだ。
そう、私の一番の絶望は遥かに大きく突き付けられた現実は、<自分>に対する絶望だった。

振り返れば、実力も無いうえに、私はかなりメンタルが弱い。
個別指導塾で先生もしていたが他の先生のように生徒の成績がどうしても上げられず泣いた。
教育実習の時には生徒の前に立って喋るほどの知識が無いことに泣いた。
教材も全く面白みが無く内容が薄く、寝る生徒を増やしてしまったことに泣いた。
生徒が何を考えているかわからないことに恐怖を感じ接触を避けてしまっている自分に泣いた。

自分の理想像に対しての、自分の実力の無さに、理想と異なる外的要因のフィードバックに、自分が耐えられなくなってしまったのである。
実際、学生時代に自分の理想像に圧し潰されてしまい家から出られず引き籠った期間が半年ほど続いた。

そして心のどこかで感じたのだ。今の私は教師になってはいけないと。

私は教師を目指すことが怖くなってしまっていた。
そしていつしか、私は教師を目指すことをどこかで諦めていた。

代わりに自分の子どもを育ててみたいという個人的願いにやりたいことを転換させ、やりたいことがわからない人間として就職活動を行い、今の民間企業で働くことになったのだ。

やりたいことが解るというのは残酷だ

突拍子もなく「小学校教師になりたい」と気づき、涙で目を腫らしながら記事を書いている今、自分のやりたいことが解るというのは、ここまで残酷なのかと今でも動揺を隠せない。

先ほどから、わたしは常に火照った身体のような感覚に陥っている。

熱くて苦しい。
自分がやりたいことをできないことが苦しい。
自分がありたい理想像に自分が全く到達していないことが苦しい。

正直、学生時代は、自分で自分を燃やして灰になってしまいそうだったのかもしれない。

だから私は、やりたいことを閉じこめた。
自分で自分を苦しめる要因、このまま抱き続けていては身体がもたないと判断した。

結果、私はやりたいことを手放すという代償を払うことで、
自分を苦しめず生きていくことができる道を選んでいた
のだ。

「やりたいことってなんだろ?」と考えたり知人と語ったりする癒しの日々を、私は、選んでいたのだ。

しかし封印しているとは言っても、完全に消滅させることは不可能である。
自分の心の奥底で<やりたいこと>はいつでも叫んでおり、今日のような何だって無い日に漫画などの媒体を通してメッセージ降りかかってくる。
そして私は再び<やりたいこと>を思い出すことになる。

そのサイクル、やりたいことを定期的にスヌーズされることからは、私は絶対逃げられないと痛感した。

焦らずじっくりと、やりたいことに歩み寄ろう

最後に、今後の私の生き方について考えたい。

正直、いまの職場は、私にとって非常に価値のある環境だと今でも心から断言することができる。
勿論組織である以上課題は尽きないが、それでも私は自由で変化を恐れないこの会社のコミュニティが大好きだ。
同期も先輩もみな性質が似ているからか、人間関係もストレスフリーな環境で、私はありのままで働けていることには大変感謝の意を示したい。

しかし前述した通り、自分のやりたいことからは避けられない。
だから、今いる会社には御恩を返しもしたいが、必ず私の人生では小学校教師になることを現在の最終目標地点に置きたい。

だから私は最終目標地点を見据えた上で、私は今の職場で成功体験を積み、強くなろうと思う
職場環境や仕事内容に左右されない、生徒の反応にも怯えない、自立した女性になるのだ。

勿論いまから教師に転職するのも物理的に可能だし経験数は長いほうが良いが、
迷いの多い20代、よもや教育実習で挫折した私がメンタルを安定させることができる年代にシフトするまでは
自分に合う環境で自分の価値観に対して確信を持ち続け、楽しく働き続けられる仕事環境に関わる方が何倍も将来の為になると思う。

やりたいことを見据えつつ、今の仕事に全力で打ち込む。
そうすれば必ず「あ、今のタイミングだな」と小学校教師に飛び込むことができる日が来るだろう。

直近の行動としては、更に<教師を目指したくない理由>を言語化やリストアップして、
不安材料を消すために日々の行動や最終目標から逆算して目標を設定していくところから始めたいと思う。

やりたいことを見据えることで苦しみは再起しているが、
自分の行動を指し示す指標ができた今日は最高な一日のようにも思える。

明日からも、頑張ろう。

******

(あとがき)

あくまでも、私はやりたいことが無い人を否定したいとは思っておりません。

また本文中で頻出する<やりたいこと>という言葉は、<使命感>という少し息苦しさを加えたニュアンスが正しいように感じています。

…ですが一方で、同年代の知人と会話する中で「やりたいことが分からないんだよね」と悩んでいる人の大半は、<使命感>を渇望しているのでは無いかと今では想定しています。

少しでも自分のやりたいこと(=使命感)を探している人に届いたら良いなと思い、あえて同年代に馴染みのある<やりたいこと>で統一することにしました。

長文かつ走り書きではありますが、久し振りに全力で記事を書きました。
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

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