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『20年後のゴーストワールド』第2章(3)消える記憶

突然やってきた来るはずのないバスの中で、とめどなくおしゃべりしているイーニドと私であるが、一応バスに乗車してすぐの段階で私はバスの利用規約にサインをしていた。

そこには、"乗車賃は無料です"と記載があって胸を撫で下ろした。バス型の新手のボッタクリガールズバーだったらどうしようかと一瞬思ったのだった。バスの運賃箱に入らないくらいのお金を請求されたら……という不安は拭われた。本物の"レンタルなんもしない人"をレンタルしたらレンタル料金は取られるので、イーニドのこのバイト代はどこから発生しているのだろうか。

あと利用規約の特筆すべき注意点は、"話をする対象になったダメ人間がバスから降車した時点で、イーニドの記憶は消される"ということ。
(沢山の人と話をしてイーニドが精神的に成長したら、ダメ人間と話が合わなくなってしまうため、成長しないって約束じゃん、のやつ)

"イーニドの記憶は消されるが、急に全く記憶がなくなるのも脳と精神衛生上よくないので、話した相手の似顔絵だけイーニドは描くことができる。話した内容のメモ書きはNG"

"イーニドの記憶は消されるが、バスの中で話したダメ人間は元の世界に戻ってから、このことを周囲に話しても別に構わないですが、気が狂ったと強制入院させられてしまうかもしれませんのでそこはよく考えてください"

"イーニドに手紙などその日の記憶に残るものを渡してはならないが、その他物品のプレゼントは可。ナマモノは不可"

"車内は撮影不可"

一見するとアイドルの特典会の注意点みたいな趣であるが、特殊である。プレゼントは可とあったので、私はいきなり自分の履いていたドクターマーチンのブーツをあげようとしたのだった。バスに乗るのは予測不能なことなので、なかなか事前にプレゼントは用意できないから、何かあげたくても難しい。

そして気がかりだったのは
"安全運転を心がけていますが、万が一の事故、別の平行世界への遭難の場合は責任を負いかねます。途中下車希望の場合は、進路によっては地球の裏側にしか降りられない可能性もあります。予めご了承ください。特に損害賠償保険もないので、今一度よく考えてご乗車ください"

そこは承知していいものかどうかだけど、もう遅い。好奇心には勝てない。急に具合が悪くなってブラジルで降ろされたらどうしよう。ただでさえタダ乗りのバスである。タダほど怖いものはないってやつなのか……

そうだ、こんなにベラベラ他愛のないおしゃべりをしていてもイーニドはバスから降りたら記憶を消されてしまうのだった。

「ねぇ、イーニド、バスから降りたら本当にダメ人間たちと話したこと忘れてしまうの?」

「そうよ、どういう仕組みだか今一つわからないんだけど……会った人の顔は私がこのスケッチブックに描いて残ってるんたけど、何を話したかは全く覚えてないわ」

イーニドがペラペラとスケッチブックを見せてくれた。これはもう何冊目かわからないけど、と見せてくれたスケッチブックには沢山の顔が並んでいた。色んな国の人が居たけど、みんな見るからにオタクっぽかった。物好きさんな感じだった。同じにおいがした。これまたボブ率とメガネ率の高いこと!

イーニドは言う。
「バスから降りて、気がつくと毎回私は自分の部屋のベッドの上なの。毎回目が覚めて、起きるたびに胸が押しつぶされるように痛いの。たぶんその時に何らかの見えない力で記憶を消されているのね。絶対身体に悪いと思う!ベッドの上で苦しんでいると、いつも隣にパパが座って心配そうに見てるの!嫌になっちゃう!」

「あーあのイーニドのパパね!パンケーキ焼くのに、フライ返しがないからと娘の部屋に入ってくるお父さんね!」
今もあの映画の世界線のままの時空で、イーニドのお父さんもあのまま存在しているらしい。空気は読めなくても、基本的に優しい感じの、こういうお父さんいるなぁという感じの人だ。

「あのお父さんが一緒に住むかもと言ってたマキシーンは?」
聞かれたら嫌かなと思ったけど、聞いてみた。

「わかんない、私は毎日家に迎えにくるバスに乗って、目が覚めるといつの間にかベッドの上にいる生活をしているから。あの人どうなったんだろう。あの人の紹介でパソコンの仕事する話もあったけど、結局私ここでダメ人間と話すバイトしてるから」

「そうなんだ……」
イーニドのバイト代と、バスと家の往復だけで買い物とかする時間あるのかな……とか考えてしまったが、たぶんバスの中に着てくる服は映画で着てたやつ、と指定されていそうだった。もはやイーニドが、イーニドのコスプレをするように。そこはセンスも成長したらいけないのだ。ダメ人間たちの感動のために。私も実際にスクリーンままのイーニドが現れて感動したもんな……単純である。

「イーニドはこんなこと言われたら嫌だと思うけど……今回20年ぶりくらいにあなたの映画を観たら、マキシーンみたいな人がいることさえもうらやましくなってしまったわ。私も最初観た時は父さんと関わらないようにしたい年頃だったから、あなたと似た感じでツンケンしてたけど、久しぶりに観たら、父子の話に思うところがあったわ……私は大人になれないままおばさんになってしまったけれど、ひとりっ子で、独身で、今は頼れる身内は父しかもういないから……家族それぞれ思うことはあって、これは他人がどうこう言える簡単な問題じゃないけど、お父さんのこと……イーニド、パパのこと大事にしてあげてって思っちゃった」

「えっ?あなたのママは?確か第一章にもちらっと出てきてたけど」

「私のお母さんは……生きてはいるけど、もう呆けちゃってて……認知症で私のこともわからないの。まだそんなに歳でもないのに」

「えっ……そうなの?」

「ずっと側に居た、お父さんのことすらわからないの。もう会話すらもままならないけど、たまに言葉を発するとお父さんのこと"先生"って呼んだりする」

イーニドに悪いなと思いながらも、久しぶりに観た『ゴーストワールド』に母は居るけど居なくなってしまったと実感せざるを得なかった私は堰をきったように言葉が止まらなくなった。

「ショックで、口に出したら、あまりにつらい事実だから周りの人にもまだあまり言ってないの……先日、おばあちゃんが亡くなって……そのおばあちゃんはお母さんのお母さん。お母さん、自分の母親が亡くなったことすらもう、わからないの。人が生きていて、こんなに悲しいことってあるかしら」

ティーンエイジャーに話すには、あまりに重たい話にバスの中はより深い暗闇に包まれた。

脳内BGM
Cornelius「変わる消える」

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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