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チョコレート嚢胞の手術について

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2022年3月の健康診断で、チョコレート嚢胞とわかりました。 手術までの記録を残します。
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Last_チョコレート嚢胞だった

2022年は病院づくしだった。このチョコレート嚢胞の件以外にも、真夏に市の胃癌・大腸癌検診もやったし、母が勝手に申し込んでた民間の大腸癌検査も別でやってた(笑)死ぬほど忙しい中、決められた期間内に検便を2回も採取しなあかんというダルすぎるタスクが降りかかり、母を恨んだ(突然始まる母への愚痴)。 あとは婚約破談の錯乱で(だと思ってる)飲み会でぶっ倒れて記憶を飛ばし、緊急搬送されたりしたのが9月の末。ほんとハードな一年だったけど、なんだか振り返ると、切り替わりの一年だったように

15_チョコレート嚢胞だった

手術2日後の11月2日。 病院は朝の6時から起こされる。検温と血圧測定。この日は血液検査もあった。 壮絶だった術後の嵐は去ったようだった。昨日のどこかのタイミングで、たしか深夜だった気がするが、嘔吐した記憶もある。しかし今朝は吐き気も痛みもやんでいる。でも7度台の微熱がある。脚に巻き付いていたうっとおしいポンプも取ってもらえた。うっとおしかったけど、これのおかげで血栓を防いでくれていたらしい。 手術日のレポはこちらから ↓↓↓ あと忘れてたけど、術後しばらくは酸素マス

14_チョコレート嚢胞だった

全身麻酔は慣れている。ハイだんだん効いてきますよ、と声をかけられ、次に気づいた瞬間には手術は終わっている。それだけのことだ。 しかし、手術室に入るとさすがにわずかな恐怖心が出てきた。昨日私がリクエストしたとおりの柑橘のアロマが入り口のところで焚かれている。「昨日希望されてたアロマ焚いてます」と義務みたいな感じで説明されたが、しかし気休めもいいところといった感じ。 名前と生年月日を言わされ、こちらのベッドに座って下さいと誘導される。大きなバスタオルで隠されて、上半身を全部脱

13_チョコレート嚢胞だった

入院初日。今日から5泊6日。あっという間なんだろうな。 一番安い部屋にしたらWi-Fiも飛んでなくて、自宅から持参したWi-Fiポケットもなぜか接続できなくて(接続されてるのにネットに繋がらない。。なんで?)、暇すぎてこれを書いてます。 持ち物は5泊6日分の着替え、いつも使ってる基礎化粧品、かかとのある靴。イヤフォン。多分読まないだろうけど新聞。パジャマとバスタオルはレンタルじゃなくて自前で用意したので、これだけで小さめのスーツケースぱんぱんに。 それから、この入院で読む

12_チョコレート嚢胞だった

長くなってきたこのチョコレート嚢胞の記事。ダイジェストはこちら。 1_チョコレート嚢胞だった チョコレート嚢胞だった! 2_チョコレート嚢胞だった 紹介状をもらいに地元のクリニックへ。 3_チョコレート嚢胞だった 最初にかかった病院での出来事。 4_チョコレート嚢胞だった MRI 5_チョコレート嚢胞だった MRIの結果。 6_チョコレート嚢胞だった 病院を変わることになりました。 7_チョコレート嚢胞だった 治療方針の説明がありました。 8_チョコレート嚢胞だった 番外編

11_チョコレート嚢胞だった

遠距離の期間も含めてトータル6年交際した彼氏と別れた。42歳でチョコレート嚢胞だとわかって、卵巣と卵管を切除することになって、子供を持つという選択肢について改めて突きつけられたのだった。今まで見て見ぬふりをしていた、この問題に。 もっとも、本当に私がどうしても子供が欲しいという強い願望があったならば、優柔不断でいつまでたっても具体的な行動を何もしない中途半端な彼氏などサッサと切って、子供のお父さんになってくれそうな人をとっくにみつけていただろう。 私が情だなんだと未練がま

10_チョコレート嚢胞だった

1_チョコレート嚢胞だった 2_チョコレート嚢胞だった 3_チョコレート嚢胞だった 4_チョコレート嚢胞だった 5_チョコレート嚢胞だった 6_チョコレート嚢胞だった 7_チョコレート嚢胞だった 8_チョコレート嚢胞だった 9_チョコレート嚢胞だった さんざんだったイタリア旅行から帰って来た翌日の月曜日は通院。へとへと。ベッドから無理やり起き上がって、重い身体をひきずるようにして病院へ。 気晴らしのバカンスのつもりで飛び立ったのに、疲労倍増にて帰国。それでも、帰国すると超

9_チョコレート嚢胞だった

前回は番外編みたいになっちゃってすみません。私は賢い人間のはずなんだが、こと恋愛絡みになると偏差値が測定不可能になるほどに低いのだった。…今回の記事も苦しい感じ続きます。。 …最悪だった8月の記憶の成仏日記 (笑) さてさて、体調絶不調(首が痛すぎて上下に動かない、下痢と嘔吐、たぶんちょいちょい熱も出してたっぽい)という中で、無理やり連れていかれた婦人科クリニックであった。もう日本でさんざん診てもらってるし、自分の中では卵巣・卵管摘出で決心ついてるのに、サードオピニオンす

8_チョコレート嚢胞だった

私生活で色々ありすぎて、投稿がすっかり遅くなってしまいました。 今回は最悪だったイタリアでの1週間を振り返る内容になりますので、ご興味ない方は今回は飛ばしていただいて、次回「イタリアで検査することになった」内容からお読みいただければと思います。 8月。急遽イタリアに行くことになった。夏休み中の彼がイタリアの彼の地元にいる間に、ホリデーを一緒に過ごそうと誘ってきたのだ。ロンドン出張があるけれど、8月頭には戻れるから、一緒に過ごそうと。 こちらはお盆前の繁忙期。航空券代も高

7_チョコレート嚢胞だった

次回予約の7月22日までに、右の卵巣温存か、摘出かを決めなければならない。シングルならば摘出一択なのだが、私にはいちおうまだ相手がいる。そしてその相手は子供を望んでいる。今回の診断と結果をイタリア人の相手に伝えるのは、大変だった。 前回までの記事。 1_チョコレート嚢胞だった 2_チョコレート嚢胞だった 3_チョコレート嚢胞だった 4_チョコレート嚢胞だった 5_チョコレート嚢胞だった 6_チョコレート嚢胞だった まず英語ですら、卵巣とか卵管をなんて呼ぶのか知らなかった

6_チョコレート嚢胞だった

7月1日。3月の健康診断から、気づけばもう夏になっていた。この日はとても暑かったのを覚えている。気温が38℃まで上昇した日だ。 1_チョコレート嚢胞だった 2_チョコレート嚢胞だった 3_チョコレート嚢胞だった 4_チョコレート嚢胞だった 5_チョコレート嚢胞だった 余談だがこの日の翌日は市の無料の健康診断で大腸と胃の検査があって、バリウムを飲んで検査台でぐるぐる回った。2022年は春からずーっと病院づくしなのだ。 話は戻って、卵巣の手術をしてもらうことになる病院の初診

5_チョコレート嚢胞だった

前回のMRIの結果を聞きに市立病院へ。 6月17日。またあいつに会うのか…。 前回までの記事はこちら。 1_チョコレート嚢胞だった 2_チョコレート嚢胞だった 3_チョコレート嚢胞だった 4_チョコレート嚢胞だった 診察室に呼ばれるとさっそく前回のMRIの画像が。 「ここが腫れてる右の卵巣ね。こっちが左の卵巣。右が、左と比べるとだいぶ大きくなってますね」 「7センチだから切ってもいいと思う」 通常卵巣のサイズは2-3センチ。それが私の右の卵巣は嚢胞で腫れて7センチにも

4_チョコレート嚢胞だった

はい、病院通いはサクサクすすみます。6月9日、MRIです。 検査前4時間は何も食べないでくださいとのことで今日は朝食抜き。 これまでの記事はこちら。 1_チョコレート嚢胞だった 2_チョコレート嚢胞だった 3_チョコレート嚢胞だった MRIも慣れたもんで、片側顔面痙攣の治療の時に何度もやりました。 ここ数年は手術続きで、2019年は乳管内乳頭腫で右乳の乳首に沿ってメス入れて、乳腺切除してるんですよね、私。2020年は片側顔面痙攣の悪化で開頭手術に踏み切った。その時の記

3_チョコレート嚢胞だった

今回は病院運に恵まれていないのか(病院で働く人、ですね)、ちょっと愚痴っぽくてすみませんが、今回も愚痴っぽくなります。 前回の記事はこちら。 5月6日、クリニックで書いてもらった紹介状を手に、市立病院へ。市立病院は歩いて行けるくらいの近い距離で助かる。徒歩15分弱。たしか9時前に家を出て近所の郵便局に行ってお金をおろそうと思ったら、まだ開いていなかった。なんとなく元気な色を着たくて、ZARAの黄色い派手なサマーパンツを履いた。 つくづく思うけど、あの日がもう4か月近く前