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11_チョコレート嚢胞だった

遠距離の期間も含めてトータル6年交際した彼氏と別れた。42歳でチョコレート嚢胞だとわかって、卵巣と卵管を切除することになって、子供を持つという選択肢について改めて突きつけられたのだった。今まで見て見ぬふりをしていた、この問題に。

もっとも、本当に私がどうしても子供が欲しいという強い願望があったならば、優柔不断でいつまでたっても具体的な行動を何もしない中途半端な彼氏などサッサと切って、子供のお父さんになってくれそうな人をとっくにみつけていただろう。

私が情だなんだと未練がましく、希望のないところにしがみついていたのは結局、日本で一緒に暮らしていた頃の彼との優しい思い出が私を彼からいつまでも離さなかったのと、彼との楽しい海外生活の妄想…希望だと勘違いしていた、ただの妄想が…、私を引き留めていただけだった。私の卵巣に疾患がみつかって、出産問題が浮き上がり、この問題に向き合わざるを得なくなって、すぐに破局した。もっとも彼は、私の年齢や、年齢とともに衰えていく体力のことなど、全然気にしていなかった。というよりは、ただの無関心だった。もし無関心ではなかったと反論するのなら、なおさらたちが悪い。関心はあったのに二人の将来のための建設的な行動を何もとらなかったのだから。話し合いにも応じなかった。つまり、途中からは私の一方的な片思いだったのだと認めるしかないだろう。お互い、情はあったにしても。彼の方はとっくに、…いつのタイミングかは知らないが…、私との将来を具体的に考えるのをやめてしまっていたのだ。

「卵巣に疾患がみつかって、出産問題が浮き上がってすぐに破局した」というのは、厳密には語弊がある。こう書くとまるで彼が身体のことだけを理由に去っていったような印象だが、これは違うと思う。詳しくはこれまでに何度も書いたようにビザの問題などですれ違っていて、問題は身体のこと一つではなかったのだ。度重なるすれちがいから信頼関係もなくなっていたし、実際に直接相手の顔を見てのコミュニケーションが3年以上も絶たれてしまっていて、すでに私の知っている彼ではなくなっていた可能性もある。彼にとっても、彼の知っている私とは違う人物になってしまっていたかもしれない。切れそうな細い糸でかろうじて情だけで繋がっていた縁が、私の身体のことが、避けようもない障害という名のきっかけとなってくれて、ようやく切れただけだ。

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こんな記事をみつけた。マリリン・モンローは子宮内膜症だったとのこと。流産、そして子宮外妊娠…。

女としてうまれた業のようなものを感じてしまう。女性だというだけでどうしてこんなにも大きな、大きすぎる責任をうまれた瞬間から負わされているのだろう。

負わされる、という表現を私がしてしまうのは、自発的に子供を欲しいと思ったことが一度もないからかもしれない。子供を持つ喜び。あるいは、子供を産むことをひとつの喜びと感じるのは、生命繁殖のために本能として備わったものなのではないかとも思う。例えば誰かに恋をする感情や、性欲などと同じように。

私の場合は、子供を持ちたいと思うよりもいつも恐怖が先立っていた。私は生まれつきのアトピー持ち。母親譲りのHSP、それにおそらく父親譲りの鬱っ気もある(こう書いたところで両親に恨みがあるわけでは一切ないけれど)。アトピーも鬱も、そしておそらくはいくらかのHSP気質も、可能性としては、遺伝性のものだ。子を持つことによって得られるポジティブな経験よりも、生まれた子供に負の遺産を引き継いでしまう恐怖のほうが常に勝っていた。そういった病気や特徴を、一概に悪いものと断定することに関しての議論は一旦置いておいて欲しい。この記事で誰かを不快にさせるのは意図じゃない。けれど、アトピーも鬱も、しんどいことはたしかだ。

彼とまだ日本で同棲している頃は、彼とだったら面白い家庭が築けそうだと思っていた。彼があるとき「子供作らなきゃね」という言い方をしたことがあった。彼は子供が大好きで、子供を見かけては目を細めて可愛いと言っていたし、子供には積極的に話しかけるタイプだった。彼が子供は絶対に欲しいと思っていることは、私はよくわかっていた。

彼はしかし、女性の体にリミットがあることを、全然考えていなかった。考えていないということはつまり、私と一緒に家庭を築くこと、私との子供をつくるということに具体的じゃなかったのだ。どうしても私とでなければと思っていれば、一刻でも早く一緒になるために、具体的な行動をしただろうと思う。結局つまるところ、私じゃなくても良かったってことだ。それすら考えてなかったっぽいけど。そうゆうことだ。

私と彼が出会ったとき、私はすでに36歳だった。私が子を持つことに真剣だったなら、こんな中途半端な関係をいつまでもダラダラと続けるわけもなく、とっとと結論を出しただろう。私も彼も、なぁなぁにしてきてしまったことに関しては同罪だ。

だから、このたびチョコレート嚢胞がわかって、右の卵巣と卵管を切除に迷いはなかったし、友達や近しい人、私の状況を知っている人には「卵巣に病気が見つかって、年齢的なこともあって子供をつくることは断念した。それで彼とは終わった」という伝え方をしているけれど、身体のせいで彼と終わったというのは厳密にはちがうし、身体のことが別れの原因のひとつであることの悲しみはそれほどでもない。仕方がなかった。そう思っている。ただ、大好きだった人と一緒になれなかった、離ればなれになるという想定をしていなかったので、縁が切れてしまったその事実がただただ辛い。

彼はなにがなんでも私じゃなくても良かったんだ。このシンプルな事実を自分で肯定してしまうのが怖くて、私は色んなことを見てみぬふりしてしまった。子供をつくることは厳しい。挑戦する意思がないことも、それを伝えれば関係がほぼ確実に終わることを知っていたから、いつまでもはっきり言い出せなかった。正確にいえば、この病気がわかるまでは、出産に関しても、彼との関係に関しても、消えかけたわずかな望みに賭けていたところはあった。「彼とだったら頑張れそう」その気持ちの火が消えないかぎり、最後の最後まで可能性はあった。

私がもう子供をつくる挑戦はしないと決意が固まったのは、チョコレート嚢胞がわかってからだ。彼に直接そう伝える勇気はなくて、最後まで「健康な子を産んでやれる自信はない」という言い方を繰り返した。「どうしても子供が欲しいならもっと健康で若い女性を探したほうがいいんじゃない?」とも言った。彼は「年齢は関係ない。10年前だって病気を持った子が生まれてくる可能性はあったのは変わらない」と答えた。私はただただ怖かった。勝手だけれど子供がいなくても私と一緒にいたいと言ってくれればな、と思った。でもその言葉が聞けなかったのだから、私が子供を産まないと決めた時点で、彼とは別れるしかなかったんだ。

長引く遠距離のあいだ、子供のことは常に苦悩の種だった。遠距離が長引けば長引くほど、出産が厳しくなる。チョコレート嚢胞がピリオドのいいきっかけをくれた。私がこんなふうに、自分の年齢のこと、変化していく身体のこと、ただ過ぎてゆく時間のこと、そんな苦悩を一人抱えていたのに、おそらく彼はそんなことはなにも考えずに自分の人生のことだけを考えて生きていたのだと思うと、憎しみはないけれど、そんな人と3年以上も無駄な遠距離恋愛をしてしまった自分を恨んでしまう。彼は無責任だった。相手に情があるのはお互い同じだ。ただそこに責任のない関係は、女が負う負担のほうが大きいのだ。心の傷も。私は彼に対する情やわずかな期待のために、自分自身を守れなかった。私も彼も、無責任だったのだ。私の人生に対して。

次回こちらから。


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