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14_チョコレート嚢胞だった

全身麻酔は慣れている。ハイだんだん効いてきますよ、と声をかけられ、次に気づいた瞬間には手術は終わっている。それだけのことだ。

しかし、手術室に入るとさすがにわずかな恐怖心が出てきた。昨日私がリクエストしたとおりの柑橘のアロマが入り口のところで焚かれている。「昨日希望されてたアロマ焚いてます」と義務みたいな感じで説明されたが、しかし気休めもいいところといった感じ。

名前と生年月日を言わされ、こちらのベッドに座って下さいと誘導される。大きなバスタオルで隠されて、上半身を全部脱ぐように、そしてベッドに横たわるように言われる。無表情で怖い。

悪いことに、手術中のBGMをピアノクラシックなんかにしたもんだから、雰囲気が「死へのいざない」みたいになっちゃって最悪。太田胃酸のピアノが流れてきても笑うけど。

緑色のベッドに仰向けになる。テレビでよく見る手術室のあの天井をしっかり見てしまうと怖くなるので、そこから先は目を瞑ってしまった。

腕に注射をされる。かなり痛い。説明がないから怖い。激しくむせる。苦しい。咳が止まらない。焦る。「これも麻酔の効果だからね」

怖かった。忘れてたけど、麻酔が回る前に咳き込むんだった。

比べるのは良くないが、2年前、片側顔面痙攣の手術の時はもうちょっと寄り添いがあった。これから注射をしていきます。麻酔が効いてきます。その前にちょっとむせるけど、麻酔が効いてきた知らせだから心配しないでいいですからね。緊張してますか?みんな緊張するから、大丈夫だよ。そして手を握ってくれた。がんばろ!!と言ってくれた。あの麻酔科医、めちゃくちゃいい人だったな。私が不安にならないように、誘導してくれた。

むせが治まらない。苦しい。どうしよう。

名前を呼ばれている。答えたいのに言葉が出ない。苦しい。まるで溺れているかのよう。または、何者かによって口を塞がれて声を出せないような閉塞感。

滂沱の涙が目の端から勝手にダラダラ流れていくのが自分でもわかる。「泣いてる…。夢見てたのかな」と誰かが言っているのが聞こえる。

涙がとにかく止まらない。泣けて仕方がない。途中から、みずから振り絞るようにして涙を出したのも覚えている。この涙の正確な理由は自分にもわからない。今でもわからない。麻酔にかけられているあいだに魂がどこかに飛んで、悲しさに触れてきたのかもしれない。

ママが隣にいて、私に何か話しかけている。病室に戻ってきたようだ。ママが私に何か話しかけているが、言葉がうまく出ないし、ママのほうを見ることもできない。「ママ、気持ち悪いし痛いから帰っていいよ。ありがとう」と、振り絞るようにして言ったのを覚えている(夢じゃなければ)。

そこからはひたすらに地獄。時間の感覚も全くない。ただただ痛みと吐き気との闘いだ。左手には点滴。腹の傷が疼く。両脚に、エコノミー症候群防止のためか、プラスチックのポンプみたいなものをマジックテープで巻きつけられており、それが定期的な間隔でプシューーッと呼吸をしている。部屋が地獄のように蒸し暑い。首に汗がたまる。腹が痛い。吐き気がとめどなく襲ってくる。

立膝にすると少し腹の痛みが和らぐ気がするので立膝にすると、左脚に巻きつけたポンプが外れてしまう。このままほっといてもいいような気もしたが、あとから何か面倒なことになっても嫌なのでナースコールする。ナースは「どうしました?」と聞く。状況を正確に説明できるほど、こちらは冷静じゃない。お腹の痛みやら吐き気、蒸し暑さ、脚のポンプのわずらわしさなど何重苦かもわからないカオスの渦中だ。

「…なんか脚が変なんで」なんだそりゃ。たわごとのような呪詛のような声を振り絞り、看護師さんに来てもらう。しかしこのポンプ、何故か巻き直してもまたすぐ外れてしまう。ひきつれるお腹をかばいながらまたナースコールを押し、新しいポンプに替えてもらった。

自分の中では看護師さんが来るたびに痛み止めや吐き気止めをお願いしていたので、こんなに立て続けに薬を投入して大丈夫なのかなと思ったが、きっと看護師さんが来た時以外はずっと夢うつつ状態で悶えていたのだ。昼も夜も感覚を全く失っていた。

昼の12時半から約2時間の手術だったはずだから、終わったのが14時半頃だろう。だが、もう全く記憶がない。いつ夜が来たのかも、いつ夜が明けたのかも。

11月1日手術日の記録はこんな感じ。次回に続きます。

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