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NHKクロ現プラスひきこもり特集(8/8)を終えて思うこと

 忘れていました。noteを始めたのはこれを書きたかったからなのでした。

8月8日放送 NHK クローズアップ現代プラス 夏のひきこもり特集

 今年、初夏から夏にかけて、辛い事件が相次ぎました。背景に“ひきこもり問題”もあり、各メディアで“ひきこもり”が衆目を引くことになりました。

 ところが、肝心のひきこもりとはどのようなものなのか、その実際とは、悲しく辛いことが繰り返されないためにはどうしたらいいのか…そういったことはあまり注目されず、実際に起こってしまった事件や、ひきこもりのひと、ひきこもりのひとの家族の人たち、周囲の人たちを思うたびに、引き裂かれそうな気持ちになりました。

 そこで、NHKに意見を寄せることにしたのです。ひきこもりの多様な背景、困難さについて知ってほしい、取材してほしい、と。
 それからしばらくして、NHKのスタッフの方から連絡がありました。ぜひ取材させてほしい、話を聞かせてほしいとのことで、結局放送では使われなかったけれど、狭く取っ散らかった荒屋へ、スタッフのかた、カメラさん、音響さんがいらしたのでした。

 その後、どのようにひきこもりにせまるか、当事者のLINEグループをつくって一緒に考えていきたい、とお誘いを受け、参加させていただきました。

 ひきこもりの当事者や家族の背景には様々なものがあることからはじまって、番組スタッフの方々は相当頭を悩ませていました。なにせ、番組という形にしないといけないのです。でも、“ひきこもり”の問題に迫ろうとして、背景に見えてくるものは、様々な疾患や発達障害や機能不全家族、本人だけでなく、家族の抱えた問題、本人や家族の置かれた環境など、社会から取り残されたたくさんのいろんな問題が、たくさん集まったものだったのです。

 それでも、番組が一つのきっかけになるように、少しでも意義あるものになるように、収録が行われ、私も当事者の一人として参加させて頂きました。武田アナも高山アナもかっこよかったです。千原ジュニアさんもしょこたんもよかったーーーー!

 これは、収録と放送を終えたあと、一連の流れの中で思ったことをまとめたものです。

NHKひきこもり特集を通し、私が本当に伝えたかったこと、思ったこと

「ひきこもりは誰にでも起こる。また、ひきこもりは、心の防衛の仕組みで発生する必要なプロセス。自分一人では解決は難しい」
「少しずつ新たな自分を獲得していければ、また傷ついた翼でも羽ばたける」
「もう誰も、孤独に苦しむままにしたくない」

サマリー

 今回、番組では、“べきおばけ”という観点から、ひきこもり問題向き合いました。「〜べき」という社会規範的圧力、すなわち“べきおばけ”は、ありとあらゆる人の苦しみ・悩みの影に隠れているものです。健常者・元気な人にも隠れているもので、それだけ、ひきこもりだけでなくいろんな苦しみ・悩みに共通する大事なテーマなのです。
 社会がたくさんの人の様々な苦しみ・辛さ、事情、疾患・障害や、生き方・背景について、理解が進み、優しくなれば、“べきおばけ”はだんだん消えていくし、たくさんの人がより生きやすい世の中になっていくのです。

 ひきこもりにも、いろんな背景があります。そこには、様々な苦しみ辛さ、悩み、ひいては色んな疾患・障害や複雑な事情があります。“べきおばけ”がありとあらゆる人の苦しみに隠れているように、実は、ひきこもりの抱えるいろんな背景は、多くの人の苦しみの背景にも変わらず存在するものです。
 ひきこもりをきっかけに、“べきおばけ”をきっかけに、社会の多くの人がいろんな見えない苦しみ・障害・疾患・いろんな事情を抱えていることを知ってほしい。そして、多くの人が周りの人により優しくなってほしい。もちろん、政策にも反映されて欲しい。そう切に願います。

ひきこもりの定義

 そもそもひきこもりってなに?どこからがひきこもりなんだろう、或いはひきこもりってこういうものじゃないの?疑問もあってしかるべきです。しかし、ひきこもり、ひきこもり気味と、社会の中で微妙に使い分けられ、また、ひきこもりの意味合いも時代とともに変化してきています。また、ひきこもりという言葉で一括りにできるものではなく曖昧で、スティグマになっている言葉だから私たちは使わない、そう私は支援者の方から伺いました。もっともです。
 今回私は、取材を受け番組に参加するにあたって、ひきこもりの定義を敢えて曖昧にしたまま臨みました。そのほうができるだけ広く、いろんな人の苦しさや辛さ、悩みを拾えると考えたからです。また、ひきこもりのマイナスのイメージも、精神障害等に対する偏ったイメージも覆してほしい、実態を知ってほしいと考えました。
 実際、ひきこもりの定義は幾つかあり、議論するときはちゃんと定義を共有すべきではあります。私が念頭に置いたひきこもりの定義は「社会的孤立の中で、苦しみ悩む人、またその姿」です。

“べき”のプレッシャー

 今回の番組では“べきおばけ”に注目して、つらさの背景に迫りました。
 本来、「べき」は、目標だったり、指標だったり、道筋だったりするものですが、理不尽なものだったり、プレッシャーになったり、その間に挟まれたりしてしんどくなることも多くあり、時には病むことも少なくありません。これはひきこもりに限らず、健常者でも普通の人でも変わりません。
 過剰な「べき」を軽くしたり、向き合いかたを変えたりするのは、ひきこもりに限らず大事なことです。

“ひきこもり”という道筋

 ひきこもりについて、外に出るべき・外とコミュニケーションをとるべき・働くべき、努力すべき、という風潮・空気は確かにあります。一方で、そのような努力ができなくなっているのが「ひきこもり」です。いろんなつらいこと苦しいことに対して、心が自分自身を守ろうとして、いろんな防御の反応を起こして、ひきこもるのです。心と体が悲鳴を上げて、限界だと叫んだ結果、ひきこもるしかなくなるのです。それは歓迎すべきことではないけれど、必要なことです。ひきこもりは、自分自身を守る、必要なプロセスです。
 「ひきこもり」の人に対して、外に出るべき・外とコミュニケーションをとるべき・働くべき・努力すべき・考えを変えろというのは、無茶な要求です。できることができなくなっている状態、ひきこもるまで至ってしまったわけですから、どだい無理な話です。

 まずは、ひきこもりの人は「今の日々を居心地良く」を目指すといいと思います。少しずつ暮らしやすい日々を探していってその先に「今度はこうしたい」が出てきたりします。ひきこもりのひとにとって、さまざまな「べき」は、そうした先のはるか向こうにあるものです。

 これは実はひきこもりに限らない話です。様々な精神的・心理的にしんどい中にある人すべてに当てはまることだと思います。ご自身やご家族、友人を始め周囲の方々を見渡してみてください。必ず、どうにもならないしんどさ、辛さの中にある人がいるはずです。いないのならみえていないだけです。ほんとうは身の回りに意外なほどいるのです。その人たちの背景を考えてみてください。その人たち「が」何ができるのか考えてみてください。その人たちに何が必要か、社会は残酷すぎないか考えてみてください

ひきこもりへの支援

 ひきこもりをはじめ、虐待、DV、いじめ、ハラスメント、障害・疾患、災害や事件事故のサバイバー、犯罪などなど、たくさんの苦しみ・問題に共通のことですが、「本人ががんばればなんとかなる」「本人が支援を受ければなんとかなる」と考えないで欲しいです。「家族・当事者の問題」「家族・当事者間の問題を解決すればよい」とも考えないで欲しいです。人間は一人で生きているわけじゃない。周りのひととの関係の中で生きているのですから、本人だけの問題では決してありませんし、本人と誰かの間だけの問題でもありません。逆に、本人や周りの人が、ほかのいろんな方と歩む人生の中で、なにかを見出し、前に進んでいくものだと思います。

 たとえば、ひきこもりは本人が問題を抱えているのではありません本人は、苦しみや課題、障害や疾病、人間関係、複雑な事情などに苦しんでいるのです。べきおばけもその一つです。
 ひきこもりは本人だけの話でもありません家族の誰かが苦しんでいる、家族の誰かが日常生活に支障がある。それは家族にとっても課題です。本人にとっても苦しみだけれど、家族にとっても苦しみです。本人への支援はもちろん、家族それぞれへの支援も必ず必要です。裏返して言えば、本人も、周囲の人も、気兼ねすることなく、どんどん支援やヘルプを求めてほしいです。

 こういった問題は、自分たちだけでは解決できません。ひきこもりもまさにそうです。本人ではどうにもできず、家族でもどうにもできず、そうして本人も、家族も苦しむことになりやすいのです。また、障害や事情によっては、周囲とうまくコミュニケーションがとれずに、ヘルプを求められない、手を差し出されてもうまく受け取れない場合も多くあります
 どうにもできずに抱えたいろんな苦しみや辛さが、複数重なったらどうなるか。いろいろ思い詰め、焦りと不安と恐怖、混乱や障害の症状から、衝動的な行動にでることもあります

 本人も、それだけでなく家族も、できるなら、諦めずに、適切な医師やカウンセラ、ソーシャルワーカー、保健師さん、行政などの相談口などに相談して、ヘルプを求めて欲しいです。助けを受けることを恐れないで欲しいです。助けを得ることはこわいこと・不安なこと・後ろめたかったりと、とてもハードルの高いことだけれど支援を得れば、支援者に伴走してもらって、事態を少しずつより良くしていけます
 ひきこもりを例に挙げていますが、ほかのあらゆる問題でも同じで、本人では自分たちではどうにもできないことがたくさんあります。当然、同様に支援を求めて欲しいです。

 また、本人・自分たちではどうにもできずに苦しむままになってしまっている人たちは、かならず身近にいます。そういう人がいたら、本人の気持ちや状態をいちばんに、適度な距離感で見守りってあげてください。場合によっては、支援を求めるよう促して欲しいです。或いは難しいけれど、支援との橋渡しをしてほしいです。
 誰も、苦しんだまま孤立させないように、見守り、時には慎重にゆっくりと、時には迅速に、適切に手を差し伸べて欲しいです。

ひきこもりの背景にあるもの

 今回の番組では“べきおばけ”という観点から迫りましたが、ひきこもりの当事者は当然「べきおばけ」のみに苦しんでいるわけではありません。いろんな辛さ・苦しさがあり、背景に様々な障害・疾患や、いろんな事情があります。百者百葉の複雑さ難しさがあります。

 これは、精神障害や発達障害のスペクトラムのイメージを図にしたものです。かなり雑なのですが、ご容赦ください。この図で伝えたいのは、一般の健常な方でも、精神障害や発達障害のスペクトラムの中にいて、障害というほどでなくても、なんらかのフォローをうけたりしていなくても、多少はそういう傾向があったり、抱えていたりすることが多いということを伝えるために作ったものです。

 ひきこもりの人の多くは、様々な障害・疾患や、色々な事情を抱えています。でも、実はなんの生きづらさ・しんどさも感じずに生きている人なんていないのです。一般の多くの人も実は様々な障害・疾患やいろんな事情を抱えて生きています。自分自身が障害や疾患を抱えていてもそれに気づかずに必死でがんばっている方も多くいます。その意味で、ひきこもりの人もそうでない人も同じなのです。べきおばけとおなじように、社会のたくさんの人の影に、障害や疾患、様々な困難・事情が隠れていますすぐ隣にいる健常者に見える方でも、健常者だと自覚している方でも、本当は障害を抱えているかもしれないし、いろんな困難や事情を抱えているかもしれないのです。
 だからこそ、いろんな障害や疾患、様々な困難・事情を知ってほしい。それは、ひきこもりの人、障害者だけでなく、社会のたくさんの人を楽にするより多くの人が、より生きやすい世の中を作っていくことになるのです。

ひきこもり・障害者への包括的支援にむけて

 最後に、現在、国がひきこもり対策や、様々な生きづらさについて制度づくりを進めています。ぜひそういった苦しみ・課題を相談できる、相談しやすい、”市区町村共通の”ワンストップの支援の枠組みが実現してほしいです。

 一方で、すでに2010年に「ひきこもりの評価・支援のガイドライン」が厚生労働省から出ています。
 その中にはとても大事なこと、支援機関の連携や、ひきこもりの当事者への慎重なアプローチなどについて書かれていますが、10年弱経った今でもあまり活かされているとは言えません。

 まずは、2010年の「ひきこもりの評価・支援のガイドライン」を改めて共有し、「現状を調査・把握」し、「ガイドラインや現行の制度の改善点を洗い出し」、「制度・ガイドラインを再検討し」、「実効的な制度・仕組みになるよう現行の仕組みを再設計し」、「新たな制度・仕組みとガイドラインを制定」してほしいです。そして数年おきにそれらを再検討し、ブラッシュアップしていく必要を感じます。

 同時に、そのときには、実際に支援に携わる、医師・カウンセラ・看護師・ソーシャルワーカー・保健師等の現場の意見をたくさん取り入れて、また支援する枠組みを強力に後押しするような人員・予算含めた厚いバックアップ体制を作り、できるだけ上手に機能する制度にデザインすることが求められると思います。

結び

 ひきこもりに限らず、虐待、DV、いじめ、ハラスメント、障害・疾患、災害や事件事故のサバイバー、犯罪などなど様々な困難が世の中にはあります。換言すれば誰でもそのような厳しい困難に直面するかもしれないのです。

 そういった、いろんな生きづらさ・辛さ・しんどさや、その背景に、多くの人に関心を持ってほしい、知ってほしいです。それはご自身や家族やお友達など大切な人たちをも救うことになるし、社会全体が優しくなることにもなりますし、ひいては様々な不幸を防ぐことにも繋がるのです。

 そして、どんな困難や辛さの中にある人でも、支援・ヘルプを求めてほしい。それを恐れないでほしいし、恐れずにヘルプを求められる世の中になってほしい。困難や辛さの中にある人も、自分の人生を切り拓いていけるように、伴走してくれる支援者や人たちがいることを知ってほしいし、そういう人たちに助けを求めてほしいのです。

 ひとりでは、自分たちでは、解決が難しい。そういうことでも、いろんな仕組みや、いろんな人たちの支援や伴走を得て、あるべき姿に向かっていけるのです。

 絶対に誰もが困難や苦しみの中から出て、生きていけるのです。それができない社会のはずがないのです。そう信じるし、そのような社会を作っていきたいのです。そのためにたくさんのいろんな方の力が必要なのです。

 今この瞬間も、孤独に、孤立して、どうにもならないことと戦っている人がたくさんいます。でもそれはきっとどうにかできるし、適切な助けがあるのです。それがどうか孤立した人の心に届いて欲しいし、孤立のなかで悩み苦しむままにならず、苦しみが減っていって欲しいのです。誰も孤立して苦しむままにされて欲しくないのです。

 だから、いろんな人がいていろんな背景の人がいていろんなことを抱えている、それを社会の人に知って欲しいし、苦しみ悩むとき、助けを求めてほしいし、その手段もあれば相手もいるんだ、と社会の人に知ってほしい、そう思います

皆さまのお心は私の気力になります。