BIZIO MIRAGO・・・創造への進化3.
”豊穣の海”
三島由紀夫
もし、「日本の作家の中で、誰か一人だけ、好きな作家を教えてください。」と、外国の人に訊かれたら、躊躇わずにあげるのは、三島由紀夫です。
小学生の頃、”金閣寺”を読んで、あの美しい金閣寺を、さらに超える美しい文章に、悲しいくらいの感動を覚えました。
ある日、私は、冒頭にあるのと同じ質問をされました。
躊躇いなく、答えると、その人の目が、突然輝き出して、同時に、静かな笑みが、ゆっくりとスローモーションの様に、広がり、「私もです。」と・・・。
それ程、身近に感じていた、三島由紀夫が、亡くなった時、其の報道を、私は、三島とあまり年の違わない父と見ていました。
父は、「報道や他人の意見で、出来事を判断しない様に、(きっと彼の作品を読めば真相がわかるから)しっかり、報道を見ておきなさい。」
と、言う様な内容の話をしたのですが、私は、其の時、余りの衝撃で、父がその時何と言ったのか、私がなんとこたえたのか、覚えていないのです。
そして、其の衝撃から、私は、三島の作品から何故か、遠のいていったのです。
それから、また、十代後半に、再び手にしたのが、”愛の渇き”でした。
当時、”渇き”と言う題名の絵を描いていて、同じ題名の三島の作品を読んでいたからです。
実は、死に至るまでの三島の心情を知るのが怖くて、父との会話にあった、”其の作品”には、触れない様にと思っていたからです。
其の作品と言うのが、”豊穣の海”です。
この四部作は、間違いなく、あくまで、私が思うにはですが、彼の作品の中で、金閣寺と並ぶ、極致の創作であると位置付けます。
豊穣の海って、どこのことだと思われますか?
実は、この地上にはなくて、月の”豊穣の海”と呼ばれる、月にある海の一つなんです。
何と美しい、言葉のレトリックでしょう•••。
実は、まだ、怖くて、読んでいないのです。
余りに自分と似ていて、怖くて近づけない人の様なものです。
きっと、読み出すと、数々の共通の概念やら、美意識やらが、パンドラの箱を開けた様に不意に飛び出して来そうな気がするのです。
それは、人との関わりもそうで、過ごした時間の長さや、下世話な親近感とかではなく、精神の何処かが、肉体を通さず、直接触れ合っている様な、ヒリヒリとした感覚が、伝わってくる事が、極稀にあるのです。
冒頭の質問と同じ質問をされた人とは、親友と呼べる様になる迄に、さほど時間は、かかりませんでした。
三島文学に対して、同じ様に感じたり、概念だったり、美意識だったり、価値観だったりが、似ていたのです。
しかし、長い間、音信不通になっていたのですが、最近、其の消息がわかりました。
ある日、何気なく見ていた、映画のエンドロールのプロデューサーに、友人の名前があったのです。
其処だけが光っていて、あの小さな文字が、しかも、数秒の間だけが、あの質問の後のスローモーションの笑みと同じくらいゆっくりと見えたのです。
ドキュメントコラムによると、再び日本に留学し、日本の大学の講師をした後、映画関係の仕事をして、今は、本国の大学で教鞭を取っているようです。
(苦難を超えて、栄光へ参照)
人の人生の中で幾度か、其の様な人や出来事や、文学作品等と出会う機会が有りますが、それが多いほど、振り返えって、思いを馳せる時、あの月の豊穣の海の様に豊かで、穏やかな、心になれるのでしょう。
三島由紀夫も、きっと、今は、月の豊穣の海にいて、私たちに、其の銀色の優雅で静謐な光を送ってくれている気がします。
次回も、弛まぬ創造を、巡る旅に出ましょう•••。
Mio
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