ひかりごけは私の傍に

先日図書館に行った。本屋にはよく行くけれど、図書館にはあまり行かない。図書館は、家から少し遠いからだ。

そちらの方へ向いて行く用事があったついでに寄った。この機会になかなか本屋ではお目にかかれない本を借りるぞ!と思い、かねてより読みたかった本の名前や作家の名前を検索機に放り込みまくった。

こうして私が借りたのは三冊、椎名麟三の作品が収められている作品集と、今村夏子の『むらさきのスカートの女』と、武田泰淳の『ひかりごけ』が収められている全集である。椎名麟三と武田泰淳は、書庫に仕舞ってあるようだったので、わざわざ司書さんに取ってきてもらった。

椎名麟三の作品は読んだことがなかったので、何でも読んでみたかった。借りてすぐに『重き流れの中に』を読み切った。

そのあとすぐに『むらさきのスカートの女』を読んだ。なかなかテクニシャンであった。

一方、武田泰淳の『ひかりごけ』は、まだ読めていない。今回借りた三冊の中で、一番読みたい度合いが高かったものであるのに、返却期限が4日後に差し迫った今日をも、読まずに終えようとしている。

武田泰淳『ひかりごけ』の存在を知ったのは、大学2年のときである。大学の授業で、教授が雑談している最中に登場した。

それ以来、「武田」とか「ひかり」とか「苔」とかいう単語を聞くと「ああ、ひかりごけなんて作品があるらしいな、読んでみたいな」と思うようになった。どうしてそこまで惹かれたかは分からないけれど、おそらく言葉の口触りが良いからだろう。

しかし、家で過ごしている時や学校で過ごしているときには「ひかりごけ」のことをふと考えるのに、いざ本屋に行くと「ひかりごけ」の存在をすっかり忘れてしまっていて、思い出せないのである。

本屋に行くと、川上弘美のところを見て、山田詠美や山尾悠子のところを探し、異常なし!と巡回を終了してしまうのである。

ある時は、しっかり「ひかりごけ」のことを考えながら本屋に行った。しかし、その本屋には「ひかりごけ」が置かれていなかった。せっかく来たのだから、店員さんに頼んで取り寄せしてもらえば良かったのに私は、ないなら仕方ないか〜という具合に軽く済ませ、何故か中原中也の詩集を買って帰った、ということもあった。

そうこうしているうちに、大学を卒業して、社会人になってしまった。

これだけの年月をかけて冀ってきた「ひかりごけ」をやっと手元に迎えたというのに、読まずに一週間以上経ってしまった。

ずっと欲しかったものが傍にあると、それだけで満足してしまうのかもしれない。


傍にあると安心して放ったらかしにしてしまうのは、本だけにしておきたいところである。

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