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「おばあちゃん格差」を逆転するには

学歴・収入など、自分で変え得る格差と比べると、美貌格差・親ガチャあたりは絶望的に見えます。

だけど、一見不可抗力なカテゴリーのほうが、意外にも扱い易かったり。

私も毒親を持ったから思います。経済的に独立し、結婚してしまえばもう関係なし!

普通の音楽家の親のように、楽器を買って音大に行かせてくれて、卒業後も収入が安定するまで援助してくれたりするのに比べたら、「何で私だけ」とは思いますが……。

元々親なんかいないと思えば、育ててくれただけでもありがたいもの。

美貌格差については、整形がありますよね。アタマの中身までは整形できませんから、一見自分で何とかできそうな学歴よりも、よほどお手軽かも。

つまり、ほとんどの格差は克服可能ということです。それよりも、働く女性の難題は「おばあちゃん格差」。

私自身、親の支援なしで娘を育てました。その当時、1990年代には、今ほどネットで他人の情報が流れてこなくて……。自力でやるのが当たり前と思っていました。

ところが、娘が大学生になった時にふと周りを見回してビックリ。中高時代のクラスメイト女性の多くが、破格の出世をしていたのです。もちろんみんな家庭持ち。

一例を挙げれば、東大など最難関クラスの大学で教授になっている人が3人も……。音楽関係でも、多方面で活躍している演奏家がいました。

事情通の友人からの裏情報で納得。上記の全員が、実の親との二世帯住宅だというのですから……。中でも一番有名な教授は、二世帯住宅の2階に住んで、お子さんは1階に居ついているとのこと。

こういった人たちが、世間から「ワーキングママの成功例」ともてはやされるのでしょうね。一方、当時の私は何者でもありません。娘の塾代を稼ぐために就いていた編集プロダクションの仕事を辞めて、ようやくクラシックの音楽事務所のオーディションに受かったところ。

クラシックの音楽家としては、スタートすらしていませんでした。おばあちゃん格差って、本当……。

でもね。みんなのサクセス・ストーリーを聞いて羨ましかったかというと、そうでもないのです。教授になった一人とは割と親しかったこともあり、成功した同級生たちを誇らしく思う気持ちの方が大きかったです。

理由は、「彼女たちは自分で子育てをしていない」という印象がなんとなくあったから。二世帯住宅だからといって、任せきりだったとは限らないですけどね。

何にせよ、保育園のお迎えに間に合うために髪ふり乱していたあの頃を思い出すと、「自力で育てられて楽しかったなぁ」としみじみ。立派な子ども嫌いなのに……。

例えば、事務所から外出の度に駅のホームなどを全力疾走していて、冬でもコートの下にいつも大汗をかいていました。

郵便局へのお使いを率先して引き受けていたのは、当時代官山郵便局の並びに産直野菜の販売トラックが出ていたため。買った野菜は素早くパーキングのマイカーに放り込み、何くわぬ顔で事務所に戻っていました。  

当時は今ほど生協の個配が普及してなく、限られた時間と体力での食材確保には、策略が必要だったのです。出世のために使うべきエネルギーは、こうして失われていきました。

私の現状は、成功した同級生たちとは差がついているでしょう。事実私は、幸せではありません。

ただ、人って幸せになるために生きているのかなあと、最近思うんですよね。なぜなら、みんなが欲しい成功というものは、みんなが手にできるわけではないから。

もし仕事で昇進とか、望みの業界で活躍とか、愛した人との結婚などで幸せになると思うならば、多くの人は幸せになれないことに。競争があるからこそ、輝く人がいるわけですから……。

「じゃあハードルを下げればいいじゃないか」という考えもあるでしょうが、人の感情はそう都合よく変わらないもの。「欲しいものは欲しい。」その感情を捻じ曲げるのは、無理があります。

だったら、幸せになろうとするのをやめればいいのでは。幸せのハードルを下げるよりも、「やってきたことに意味があればいい」と考える方が、私は抵抗なくできます。

アメリカのHappinessの権威によるリサーチ結果では、「目的(purpose)は今では意味(meaning)と言いかえる人が多く、皆が求めるものになってきている」と報告。カルマ(やってきたことが未来を決めるとの仏教思想)はある、と説いています↓。(カリフォルニア大学バークレー校教授のDacher Keltner博士。Greater Good Science Center 創始者。早口だけどまあ聞き易い英語)

経済停滞の日本は、誰もが安価に生活を楽しめる世の中を見事に創り上げました。世相的に「そこそこやれば良いじゃない」みたいな空気が目立ちます。瞑想流行りのアメリカでも、「足るを知る」の東洋思想は最近人気。

ですが音楽家は、「これでいい」と思ったらおしまい。高名な一流ピアニストでも、生涯のうち自分で及第点をつけられる公演は一度か二度、と言われます。

統計はありませんが、下記のようなワーキング・ママの退職はいまや広まっている気がします(ぜひスレッドをお読みください)。時短勤務に昼休みがないのは、1990年代の私も同じ。仕事しながらでもランチにありつけるのは、週に1日あるかないかでした。

「おばあちゃん格差」の上流民には関係ない話。有能でも仕事好きでも、「足るを知」って退職するしかない女性は多いはずです。

でも以前に述べた通り、キャリアの遅れは誰でもいつからでも挽回できます。子どものお迎えは、永遠には要らないのです。

「足るを知る」のは、おばあちゃん格差の現実に対してだけでいいです。「足るを知」らず、可能性を諦めたくないあなたへ。

私が親ガチャをひっくり返すために使った方法を、特別にシェア致しましょう。それは、自作品をオーディションに出す時に「親にグランドピアノを買ってもらった人には絶対に負けない」と思って出すこと。

この方法で、アメリカではほぼ不可能と言われる「レーベルからのアルバムリリース」や、業界上位の音楽ライセンス販売会社との契約も手にしました。

経歴や能力や努力よりも、集中がものを言うことは多々あるのです。「おばあちゃん格差」の上流民と勝負になったら、「絶対に負けない」と唱えてベストを出してみてください。

あなたのご健闘をいつでも祈っています!