私の母は異常?part2 離婚おめでとう

こんにちは。
帰国子女のこじらせ女子のmintOle(ミントオレ)です
平均より豊な生活を送っていたが、どんどん落胆人生を送っていく
様子を楽しく面白くお伝えするブログです

子供たちは、父と母がどちらかが有益な離婚になるためのアイテム


記事を7つ書いてきたけど、話暗すぎて流石にちょっと病んできたので
ちょっと、気分転換に一言。

「チョコミント食べたい」よし、書こう


1.リストカット 母のパフォーマンス 


この頃は、もう完全に夫婦と言えず、お互い弁護士を立てて
離婚調停をしていた。
私の家には、離婚に向けた書類がたくさん部屋に積みあがっていた
母は、父の会社によく電話をかけていた。
海外にいるはずなのに、日本の本社に良くかけていたようだ
おそらく、父との連絡が一切とれなくなってしまっていたため、
会社に父への言付けをお願いしていたんだろう。

会社関係者も父もプライベート(内容:離婚について)の言付けなんて
相当、迷惑だったであろう。

しかし、母の行動はどんどん加速していった

矛先は、父方の実家とその親戚までいってしまった

とにかく必死だった母 誰からも認められない
私の苦しみを気が付いてくれない 誰か助けて
なんでみんな、わかってくれないの?

母は、父方の親戚の前でリストカットした

そのころ、私達兄弟は、家で留守番をしていた
「自殺未遂をして病院にいる」と父方の親戚から連絡が来た時

私達兄弟は、冷静で、何も心配しなかった

お母さんやっちゃたね。って感じだった

死ぬ気のない、パフォーマンスってことわかってたから



2.ついに2人が離婚、本当におめでとう

私が中学2年生になったころ、兄弟3人でリビングにいた
そしたら、その日どこかに出かけてた母が帰ってきた
父親と一緒に……

私達兄弟はびっくりした…なぜなら

父と母が二人、にこにこ笑顔で帰ってきた来たからだ

私は、二人が笑顔なところを見たことがなかった

この組み合わせは、いつも喧嘩して母が泣いてて、悲惨なペアという
イメージしかなった

母が言った

「私達、離婚したの!だから二人でお寿司食べて来ちゃった!」
「みんな聞いて。私かお父さんかどちらか好きな方を選ぶのよ」

父が言った
「お兄ちゃんは、俺の所って決まってるからな」


私と妹が、この時無言で、顔を合わせたのを覚えている
暴力的な兄は、この時、母に捨てられたのだ

この時、兄は高1 私は中2 妹は中1の春だった

私と妹はすぐ部屋に戻り、二人で話した。

妹「遂に二人離婚したね!ねぇねぇmintはどうする?」
私「ほんと、ここまで長かったね!!てか二人の笑顔やばいw
  私は父親の方にいくよ。名前変えるのも引っ越しも嫌だし」
妹「全然、私たちの事考えてないからね!私は、暴力的なお兄ちゃんと
  離れたいから、母親のほうに行くよ!」

こんな会話をしたと思う(笑)
早く二人離婚しないかなって思ってたから、やっとこの地獄から
平和へ行けるんだと妹と二人で喜んでいた

私が父を選んだ理由はもう一つあった。

母から父親の悪いことしか聞いたことがなかったため
父親はどんな奴なのか確かめたいという思いがあったからだ

やがて妹と母は引っ越した。
でも私達は、中学校で毎日会えることができたから、何も寂しくなかった


3.さすが、父、金には困らない 

離婚してからは、父は少しだけ日本にいてくれた
中学校のお弁当を作ってくれたが、お弁当は
ご飯以外すべて「茶色」だった
しかも、スカスカだったから、食べる頃には具は寄り、
おかずはぐちゃぐちゃになっていた

一週間もしない内に自分で作ることにした

mint「これからは自分で作るから、お弁当のおかず代ちょうだい」
そしたら、父は一か月のお弁当代として3万円くれた
余りにも多いお金で、私は大好きな漫画を買い込んだ(笑)

しばらくして、父はまた海外へ行ってしまった
広い一軒家で兄と私と二人だけの暮らしになった。


4.中学3年生、私は家政婦になった




父が海外へ行くと、私が家の家事をやることになった
中学3年生の受験のシーズンだった
広い一軒家の掃除、買い物、日用品の補充、食事
お弁当作り、学校帰りはよくスーパーに行っていた

この頃、兄と私は仲が悪く、普段兄は部屋から出てこない人間になり
ただ、私が買ってきたおかずやパンなどは、食べて生きていた
私はせっせと、兄の分の食事を冷蔵庫に詰めていた(笑)

ここで一番困っていたのが
信じられないと思うが

兄の「土足生活」だった

家の中を靴で歩き、自分の部屋で靴を脱ぐようになった


私は何度も、部屋中の床を拭いた。
兄の足跡を、何度も何度も消した。

何度かはキレて兄に土足は止めろと言った。
「俺に指図するな。お前は床を拭いてりゃいいんだよ」と殴られ
蹴られ、私の腕の骨を折ろうとした

高校2年生の兄の力は私じゃとても勝てなかった
兄もそれを楽しんでいた


私は父の家政婦で、兄のサンドバックになっていた

この時は生活費5万円もらっていた


5.思春期 女の子事情


この中学2年生~中学3年生になると、はやり出てくる
女の子の事情 初潮と胸のふくらみ
幸いにも、近くに住んでるおばさんが親身になってくれ
私の成長する体や体調の問題などを聞いてくれていた
初めてのブラジャーもおばさんが下着屋さんへ付いて来てくれた
父子家庭の女の子が一番困ることを、カバーしてくれたおばさんには
今でも感謝してる。
先ほど、生活費は5万円と言っていたが、こういったお洋服代
学校で必要な物の買い出しなんかは、おばさんが父の代わりに
立て替えて払ってくれていた
なので、毎月5万円はかなり貰いすぎていた。
何に使ったんだろう…漫画しか覚えていない(笑)

6.学校で見かけた妹がガリガリに痩せていた

同じ校内にいても、いつも会うわけではなかった
そんなある日、廊下で久々に妹と会った

妹はガリガリに痩せていた

細すぎた 足も手も 顔の頬もこけていた

mint「ど…どうしたの!!!!ガリガリじゃん!!」

妹は言った
「家に食べる物がなくて…お母さんが何も作ってくれない…」


私はそれを聞いてびっくりした。

そう、実は、母は離婚してからも、毎日のように
私の家に来て、おかずを持ってきていたからだった


7.失った子供への想い

実は、この頃、第二の地獄の生活を味わっていた
家では家政婦だった私、その裏では、母を家に入れてはいけない
門番の役目をしていたからだ

離婚してから、母は毎日、私の家におかずを届けに来ていた
でも、父は離婚した母を家に入れたくなくて

私は「絶対にお母さんを家に入れてはだめだぞ」と強く言われていた。

私は、毎晩、おかずを持ってくる母親を追い出した。
でも毎日、毎日家に来て、「開けろ」と言う母
次第に声も行動もヒステリックになってきた母が恐怖で
仕方がなかった。
母は、熱い夜も寒い夜も、ずっとベランダの外で立っていた
グアムの生活で自分が苦労したこと
父の浮気 親戚の悪口 子供たちを育ててきた苦労
人生を振り返るかのように、

ベランダで 2時間3時間 一人で喋っていた

彼女はカーテンが閉め切られたベランダの窓の外でこれを毎晩やっていた

私は恐怖でしかなかった一番の恐怖は、鍵をかけ忘れて、彼女が家に入ってきてしまった時だった

いつもなら2時間3時間で終わる儀式も、3時間4時間5時間、
直接、彼女の儀式を聞く羽目になる。

私も頭がおかしくなってきそうで、彼女を乱暴に外に追い出そうとした
しかし、なかなか手ごわく、一回家に入れると帰ってくれなかった

海外にいる父からは、ちゃんと鍵を閉めなさいと言われた

8.彼女の作るおかず 


彼女が毎晩作るおかずは、ほぼ見たことがなかった。
しかし、一度だけ、かわいそうになって受け取った事がある。
それは、野菜のポトフだったが

皮のついた玉ねぎ、ニンジンそのまま一本、じゃがいもそのまま
ネギそのまま が煮込まれた3~4人前のスープが鍋に入っていた

これを見た時、鳥肌が立った

この頃、妹は母に何も食べさせてはもらってなかった。
私の家には、兄と私の2人暮らし、
3~4人前のスープは明らかに多かった

お母さんの目には、妹はどこに写っていたのだろうか

妹は、母の財布からお金を盗んで食べ物を買っていたらしい

母は、私が父の方に行ってしまった事がとてもショックで
完全に頭がおかしくなってしまっていた

9.夜中、妹が警察官と共に私の家へやってきた

夜も遅くなり、そろそろ寝る時間に家のチャイムが鳴った

大人がいない、この家に誰かが来るのはドキドキしたのを
覚えている

開けてみると、
妹と警察官2人だった

警察官「おねぇちゃんかな?ちょっとお母さんと喧嘩したみたいで
今日はここに泊まらせてもらっていいかな?」

妹の顔はとても暗く…きっと大変なことが起きたんだと思った

話を聞くと、やはり母の事だった

母は家の事を一切しなく、ご飯も作ってくれない、食材もない
学校で必要な物もかってくれない、何もしてくれない
毎日喧嘩して 怒鳴りあって らちが明かなくて 警察を呼んだ
とのことだった。
妹は本当に痩せていた。表情も暗くて本当に病んでいた。

10.妹の親権は父へ 再び兄弟3人で暮らす

また、裁判が始まった 

この時、高校一年生の私。妹は中学3年生

妹の生活が危ないと感じた父は、妹の親権を母から奪うために
裁判を起こした。
私達兄弟3人は、家庭裁判所に呼ばれた
妹 私 兄 一人一人 個室で、知らないお兄さんと話した

内容は「お母さんってどう?どんな人?」

私は正直に話した。毎晩家に来て困ってる事。
メールは一日に100通くること。
お兄さんはずっとメモを取っていた

そして、妹の親権は無事に父の方へと渡った
母は妹を育てられないと判断されたのだ。

また、兄弟3人がそろうことになった
私は、心から妹の事を心配していたから、この結果は本当に嬉しかった


次回、エスカレートする母の異常な行動 狂気的な母
まだまだ、闇に入っていきます。




 







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