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量をこなすことの意味 (TOEIC900を目標にしていた頃の話)

会社員だった頃「管理職はTOEIC900以上」という高い目標を課された。

しかし、初めて受けたTOEICのスコアは560。

900という目標はあまりにも遠過く、到達するのは到底無理だと思っていた。しかし人間やればできるもの。時間はかかったが達成することができた。

でもその道のりは簡単ではなかった。
まず、どうすればスコアを上げられるのか、そのやり方がわからない。
評判の良い問題集を買いまくり、TOEIC専門の学校に通ったり、できることはなんでもした。学生の頃と違い記憶力が残念になってからの挑戦だったのできつかった。相当の労力、時間、そしてお金を使ったと思う。

そして、わかった。
語学習得に近道はないと言うこと

基礎中の基礎である単語は死ぬ気で覚えるしかないし、文法問題は制限時間内に解きまくるのが必須。間違える箇所は徹底的に潰す。リスニング力を鍛えるために聞いて口に出す(シャドーイング)を繰り返し、聞いた音をそのまま書く訓練をする。

とにかく地道に英語力を蓄積していった。

英語の勉強をメニュー化&ルーティン化し、一日最低2時間を勉強に割いた。社会人として仕事をしていれば時間の捻出は簡単ではないが、早起きして勉強したり、昼休みや通勤時間も学習の時間に当てた。

そしてTOEIC試験日には、試験後自宅でワインをのみながら、その日出題された問題の答え合わせをする音声サイトを聞いたり、TOEIC試験の感想を綴った受験者たちのブログやTweetをチェックする時間が楽しみになった。とにかくTOEICが生活の一部だった。

ところで、自分で言うのもなんだが私はどちらかというと要領が良い方で、たとえば仕事などでは基本をある程度クリアすれば、あとは効率性重視でなんとかなることが多かった。

でも英語は違った。
どれだけ量をこなすかにかかっている。
時間と労力をどれだけ費やしたかで結果が変わる。(もちろん闇雲にやればいいわけではなく、どうすればスコアが上がるかを考えながら実行することは必須)

その事に気がついたのはスコアが730に到達した頃だ。
ここまではいつもの要領の良さを発揮し比較的楽にスコアを上げることができた。でもその後がきつかった。特に850から900に到達するまでめちゃくちゃ時間がかかったし、まったく動かないスコアに長い間苦しんだ。

そこで量をこなした。
とにかく「量」。
それも圧倒的な量をこなすことで見える景色があることを英語を習得する過程で知った。

考えても見てほしい。
世の中は努力しても報われないことがどんなに多いことか。
でも英語(語学)は違う。
やった分だけ返ってくる。全てが自分の財産となる。
つまり時間と労力を費やす価値があるのが語学学習なのだ。

何かを達成するためには要領も大切だが、まずはとにかく量をこなす事
何かが見えてくるまで続ける事。
「継続は力なり」というけれど、本当にそうだと思う。

今までと景色を見るためには愚直にやるしかない。

と、現在あることにチャレンジ中の自分に言い聞かせている。



写真:見たい景色を見る(ニュージーランドにて)

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(day57)




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