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『逃げ恥』から考える、価値観の変化と多様性が導く先

2021年初記事は「日本ドラマ」レビューから。

今日は朝から(TVerで)「逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル」を鑑賞。
久々に「ほのぼの丁寧語カップル」平匡さんとみくりに会えて嬉しかったのはもちろん、社会における課題あれこれ、価値観の変化・多様性といった時代性のあるトッピクも盛り込まれていて、興味深く鑑賞した。

さて、盛り込まれていたトピックはおおよそ以下のとおり(自己分類)。

◼︎妊娠・出産
◼︎夫婦の家事分担
◼︎初めての子育て
    →永遠のテーマ
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◼︎事実婚
◼︎選択的夫婦別姓
    →浸透、あるいは実現しない新たな制度
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◼︎女の産休・男の産休
◼︎昭和的価値観の上司
◼︎親世代との価値観のズレ
    →価値観の変化
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◼︎結婚しない生き方
◼︎子供を持たない生き方
◼︎LGBT
    →多様性
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◼︎コロナによるニューノーマル
◼︎コロナ下における働き方
◼︎コロナによる経営危機(Barオーナー)
    →新しい課題
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約2時間のドラマに「よくこれだけ盛り込んだなぁ」と感心すると同時に、それらについて問題提起をしつつ、登場人物たちが前向きな視点で解決あるいは判断を下し前進する姿が、観ていてとても気持ちよかった。

ここでは、上記から二つ(価値観の変化、多様性)をチョイスし、思うところを書いてみたい。


1. 価値観は自然に変わるものではない

「価値観」とは、「考え方」であり変化していくものでもある。
変化するということは時間の経過が前提にあり、つまりは生きた年数や生きた時代に大きく影響を受けることになる。

同年代、同地域に生きた人々であれば似たような価値観を持っている可能性は大きい。一方で、年代や地域が違ったとしても、同じ時代を生きることは価値観を共有する機会となる。が、変化を好まない人は新しい価値観を取り入れることに消極的なので、そこに価値観の相違が生まれる。

人によっては自分の価値観を変えずに一生を終える人もおり、要は価値観の変化は意識的に行われる(あるいは行われない)のだと思う。


さて、このドラマで古い価値観の持ち主として描かれているのが、平匡さんの父と平匡さんの新しい上司、灰原。

父は平匡さんに言う。

家族を養う大黒柱として、今まで以上に責任を持ってしっかりせにゃいけん

「大黒柱は古い」と反論する平匡さんだが、父はその価値観を信じてこれまでの人生を送ってきたのだからしかたがない。


また、平匡さんの上司灰原が口にした、

「年下の「劣化」していないピチピチの…」

なセクハラ発言は極めて昭和的。

同じく

「(モヤモヤの原因が)男が長く育休を取るから」

も然り。古し。
彼に悪気がないのが最も残念なところだが、こういう価値観を持っている人は少なくないように思う。



彼らだけではない。
実は当の平匡さんだって「男」側の価値観に縛られている。

みくりの妊娠がわかった時、彼が力を込めて言った言葉がそれ。

僕は全力で、みくりさんのサポートをします

これ、かなりのアルアルだと思う。
自分の子供を育てるのに「お手伝いする」と言い切ってしまうことに疑問を抱かない男性。
自分が出産するわけではないので、実際に子供が生まれるまで実感が湧かないのもしかたがないとは思うけど。

が、みくりはキレる。

手伝いなの? 一緒に親になるんじゃなくて?


ここで「よけいなことを言わせてしまった…」と、すぐに反省する平匡さんは本当に良い人。
しかし、男女の役割に敏感な平匡さんであったとしても、「育児は女、仕事は男」という刷り込みは思考の深いところまで浸透していて、意識しなければポロリと口に出てしまうのだ。

たとえば「男性の育児休暇Xヶ月間を義務化」などと表明する企業があるが、要はそれが全く実行出来ていないことの裏返しであり、今までの価値観の中にそれが存在しなかったことの現れだ。だから意識的に規則を作る。でもここには「女性管理職30%」という目標と同じような難しさがある。

意識はできてもなかなか変わることができない人々のマインドセットが難しいだけでなく、制度を形骸化させない体制が不十分なのだ。誰かが育児休暇を取得することによって仕事が回らなくなるというのもその例のひとつと言える。


話を価値観の変化に戻す。

「男だから」「女だから」の呪縛は、呪縛だからこそモグラ叩きのモグラみたいに不意に顔を出す。不意に出てくるので防ぎようがない。
だから、そのたびに叩いて穴に沈めなければならない。
モグラが顔を出さなくなるまでその戦いは続くのだ。


ちなみに、平匡さんの父は調理家電を買って料理にチャレンジし、灰原はコロナ下における働き方の柱「リモートワーク」を実現するために奔走する。
二人は二人なりに自身の価値観を意識的に変化させ、行動を起こしている(灰原の場合は必要に迫られてだが)。

行動がいつか思考に影響を与え、価値観の変化をもたらす。
とにかく、一歩づつ進むしかない。


2. ゆりちゃんからみる大人の女の本音

平匡さんとみくりはもちろんだが、ゆりちゃんもこのドラマの重要人物(自分比)。

そのゆりちゃんだが、連ドラ版でせっかく結ばれた風見とお別れしてしまった設定でスペシャル版は始まる。

そこにはゆりちゃんの大人の女としての切実な事情があった。

風見を好きという気持ちがはあるものの、「ぎりぎり産める年齢の年下の男」とは、持っているエネルギー量が違うことを思い知らされたのだ。

人生のステージが違うことで、見ている方向や向かっている場所が違うことに気づいてしまった年上の女の悲しさよ。

それだけではない。体力の差も切実だった。こちらはダイレクトに体にダメージがくるので、わかりやすくキツイ。

これは年の差カップルだけが直面する悩みではないけれど、年の差があればあるほど顕著になる。


そして思うのだ。

「無理して人に合わせるくらいなら、一人で生きて行く方がラク」と。

これを「寂しい五十路の女」という風に描かないところがこのドラマのいいところ。独り身には独り身の良さがあるのだ。
自由度は大きいし、何より気楽だ。

一方で、不安がないワケではない。
たとえば病気になった時。

実際、ゆりちゃんに早期の子宮体癌が発覚するが、彼女は友達の支えで救われる。

ここで示唆しているのは、独りで生きるために大切なことは「人に迷惑をかけないこと」ではなく、自分の側にいる人々、つまりは「信頼できる友達の存在」だということ。
なんかこう、逆説的ではあるけれど。


ともあれ、多様な人々が集うこの世の中、独りでいることが好きだったり向いている人だって一定数存在する。
方向性は違うけど、マイノリティという意味ではLGBTも同じこと。


ところで、マイノリティが肩身の狭い思いをする世の中、つまりは、不寛容な世の中は生きづらい。

マイノリティがいるからこそマジョリティが存在するわけで、言い方を変えればマジョリティはマイノリティのおかけでマジョリティとして生きている。

だから「マジョリティ→ふつう→まっとう」などという思考回路に陥ってはいけない。

「マジョリティ=多数派」


それ以上でもそれ以下でもない。

そもそもみんなが同じ考え方をしたり、同じような嗜好であることなどあり得ない。
それぞれに、それぞれの幸せがあるのだ。

そして自分と異なる価値観を持つ人から学べることは思った以上に多い。


3. 最後に

これだけのトッピクを盛り込めたのは、視聴者が登場人物のキャラクターを既に理解しているスペシャル版だからということもある。
それでも、現在進行中のコロナまで入れ込むのはかなりチャレンジング。コロナ下で乳幼児を育てる不安や混乱はある意味生々しく、現実のコロナに思いを馳せつつ鑑賞した。


さて、劇中、平匡さんが「疎開」という言葉を口にするシーンがある。
その言葉が象徴する戦時中かの如く、離れ離れになる家族の悲哀や切なさが描かれる。ここが今回の「きゅん&じーん」なポイント。

前半での社会課題系あれこれを乗り越え、ドラマが伝えたいメッセージは、平匡とみくりの再開シーンで登場する言葉「必ず、生きていれば、また会える」だと思うけど、その言葉の反対側にあるのが「ささやかだけどしあわせな日常はいつも手の届くところにあるとは限らない」または「共に過ごせる時間の価値を忘れてはいけない」という想いなのだと思う。


ともあれ、逃げ恥のスペシャル版が放送されると聞いて、子育てのドタバタをコミカルに描くのかと思っていたのでこの内容は意外だった。
新年早々、大好きなカップルに癒されるだけでなく、社会課題の問題提起に「そうそう!」と頷きながら鑑賞した。

観終えて思ったことは、人は価値観の相違があったり、歩み寄れたり寄れなかったりするけれど、結局のところ他人は関係ない。と言うか、まずは自分の価値観があり、その上で他人の価値観を見守ればいいのだ。つまりは共存。

本当に大切なのは価値観を押し付け合うことではなく、価値観を超えて自分を支えてくれる人、そして自分が支えるべき人がいることだと思うので。

そして、その「人」とは家族でも友達でも恋人でも同僚でもいい。ここも多様性で。


そんなことを肝に銘じた、2021年お正月なのであった。


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