つき

14歳から現在まで摂食障害と一緒。 5回入院し、心も体も何度も死にかけた。 永遠のテー…

つき

14歳から現在まで摂食障害と一緒。 5回入院し、心も体も何度も死にかけた。 永遠のテーマは「共生」。人と自然の、人と人の、そして自分の中のたくさんの気持ちと。

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  • 目が疲れる前に読み終わる記事

    声に出しても、1分で読み終わる記事たち。

  • 他者と生きる

    社会の中で生きるとは、 人とともに生きるとは。他者との「共生」について、私が感じること。

  • 摂食障害と生きる

    生きづらさとともに生きるとは。コントロールできない自分との「共生」について、感じること。

  • 自然と生きる

    自然とともに生きるとは。 自然との「共生」について、私が感じること。

  • うさぎと生きる

    ごきげんうさぎのルーナと暮らす中で、彼女と私が感じること。

最近の記事

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共に生きる

「共生」について考え始めたのは、歳が一桁から二桁に変わる頃でした。 熱帯雨林が人間の活動により、急激に減少していること。 生物多様性の宝庫とも言われる熱帯雨林がなくなることで、多くの動物が危機に陥っていること。 国産の木材を使用するより、輸入の方が安く済むこと。 おかしいと思ったのです。 わざわざ遠い国から持ってきた木材の方が、どうして安いなの。 知ってしまったので仕方ありません。 小学生にして、再生紙か確認してから学習ノートを買っていました。 “知った責任”を感

    • そのとき 自覚がなくても さまざまな人から さまざまなことを 教えていただいていた 最近 灯籠の光のように 柔らかに脳裏に浮かび 感謝と温かさが 心に灯ります。 日々学び。 生きていること自体が 学びなのかもしれません。 2024.7.20

      • だるすぎる。重い頭痛と眠気。 ふと、今何が一番不安なのだろうと考えた。 今日からまた35℃が続くことだ。 2024.7.18 写真は「えっ!?」のルーナ。 うさぎは蒸し暑いのが苦手である。

        • 心を結ぶ秘宝

          わたしたちは、 …弱さを持っている人ほど 「似ているだれか」を探しているのかもしれない。 今までも、弱さについては、 私がその塊だからか、 考えたり、noteにも書いてきた。 つい先日、 “人を結ぶのは、弱さの部分だ” という話を聴き、 そうか、やはりそうなんだなぁ、と。 弱さをどう説明するかは難しいけれど、 本人がまわりには理解されがたい、受け入れてもらいにくいと感じていて、 本人にとっては隠したくなる部分、 とここではしておく。 もちろん、オープンにしている人もい

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          とてもきれい♪

          とてもきれい♪

          +4

          生きるかなしみ

          私が私であるかぎり 生きていてゆるされることはなく 私が私を殺さないかぎり 解放されることはないのでしょう 私は私が生きていることが かなしいのだから 死ぬまで背負っていくのだなと かなしくなるのです 2024.7

          生きるかなしみ

          Uターン

          人を傷つけたと感じたとき、 自分のみぞおちに 刃物を突き刺したいくらい 苦しくなる。 以前からそうだ。 そのことを自覚していても ぅ゙〜となる。 たいていは自分が話した後に、 流れる空気がかなしみや困惑の色に変わったときに、そうなる。 言わないことができたと思うほどに。 私は言わないでおこうとすれば、言わないでいられるので、 このパターンは割とある。 大事なことだったりすると、少なくとも数日前から口にするかを考えていて、 何度もシュミレーションしたり、練習したりしてい

          Uターン

          深く 深く

          深い森に ひとり 宇宙の中に ひとり 今日は かなしみは ひとりで背負いたい このかなしみは 言葉にしたくないから 溶けるまで 待ちたい 2024.7.10

          深く 深く

          道路のヒキガエルを手にとって 草むらにそっと返す 私の手に乗ったその体は 少しだけ重みがあって 確実に生きていて 好きだなぁと思う 生きているものに触れたとき 言葉にはできない喜びが私を包む 命そのものに触れられたことに 涙が出てしまう 2024.7.10

          道路のヒキガエルを手にとって 草むらにそっと返す 私の手に乗ったその体は 少しだけ重みがあって 確実に生きていて 好きだなぁと思う 生きているものに触れたとき 言葉にはできない喜びが私を包む 命そのものに触れられたことに 涙が出てしまう 2024.7.10

          良心

          刺激に反応しやすい個体というのが、哺乳類で全体の2割ほどいるそうだ。 哺乳類といっても、人の身近にいてくれて、よく観察できるほんの一部の、ですが。 ヒトは、そう、哺乳類の中の類人猿。 ある調査でも、全体の2割ほどの赤ちゃんが、刺激に対して鋭く反応したという。 なお、花粉症に関しても、猿、馬、犬、猫などの哺乳類で観察されており、なかなかつらそうなのだそうだ。 ー 5人に1人の割合で、繊細さん(HSP)は存在するといわれる。 ほぼ生まれつきで、兄弟でも違う。 受け取っ

          少しずつ慣れる

          知らず知らずのうちの 遠慮 端(はした)ないと切り捨てている 感情 気づかぬふりをしている 心の動き ごまかしてしまう 身体の感じ 取り巻くものにうずもれて はっきり見えなくても 靄の中に見えているのなら 見えている気がするのなら そのままを 伝えればいいんだね ちょっと嫌な感じ できれば離れたい 何だか嬉しい こっちの方がいいな 〜 怖くない 怖くないよ それを知っても あなたへの見方も あなたへの評価も 変わらない 伝えてよ 伝えた方が楽でいられるな

          少しずつ慣れる

          言わないと 伝わらないことは多い でも 一言二言 口にするだけで伝わる それなら私は 言葉にしよう 2024.7.4

          言わないと 伝わらないことは多い でも 一言二言 口にするだけで伝わる それなら私は 言葉にしよう 2024.7.4

          青色〜6月から7月へ

          自然界では作りづらいとされる 青色。 梅雨のこの時期、私たちに 「雨も好きになって」 と言っているかのように、 涼やかな色が街中にあふれる。 青、青紫、紫。 毬のようなまるいアジサイは、ガクアジサイから品種改良されたもの。 近所を少し散歩するだけで、様々な種類や色のアジサイを楽しむことができる。 昔の人は、この時期に 多くの地域の人に色を届けたかったのかな。 心から感謝したい。 紫陽花と虹は結びつく。 雨と仲良しだからかな。 隣り合って、違う色が並ぶからかな。 土壌

          青色〜6月から7月へ

          残したいものは

          東京のほんの少しだけ田舎の とあるショッピングモール。 夜になると鳥たちが けたたましく鳴き出す。 彼らの声をきいて 思い出すのだ、 ある方からきいたお話を。 〜 その方の好きだった 大きな大きな木、 建物の三階まではあろうかという、タイサンボクの巨木だったとおっしゃる。 タイサンボク(泰山木)は、 梅雨のこの時期に 真っ白で上品な花を咲かす。 その姿は、蓮の花が木の上にあらわれたかのようで、 親指姫が中で眠っていそうな大きな花。 モクレン科の常緑樹。 葉は

          残したいものは

          場の当事者

          少なくとも割と最近まで、 “いじられる人も悪い” という考えが、受け入れやすい風潮があったと思う。 いじめや嫌がらせは、する側とされる側で、 する側が悪いことは間違えない。 される側も悪い、というのは違う。 その上で、いじめる側になった人が悪い人か、というと、それは違うと思う。 その人自身は悪くない。 “いじめ” というかたちにして出してしまったことが悪い、 と私は感じる。 繰り返しになるが、いじめられた人自身は何も悪くない。 過去や今のつらい場面が思い起こされてしま

          場の当事者

          “だいじょうぶ”の度合い

          “だいじょうぶ”の度合い、程度が、相手によって大きく違うことを ずっと感じてきた。 それは、その人とどれくらい仲がよいかとは、必ずしも結びつかない。 “だいじょうぶ”、の度合いなのだ。 (ここで「仲がよい」は、 一緒によくいる、会話が多い、打ち解けている、親しい、としておく。) 私は、家族と家族以外の人といるときでは、身体と心のゆるみ具合が明らかに違う。 だらしなさ、気を遣わない程度、とも言える。 見捨てられない、離れていかないでくれる確信の度合い、 とも言えるかな。

          “だいじょうぶ”の度合い