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ぺぺぺのひろば

ぺぺぺの会という、へんてこな集まりを去年からはじめた。


ぺぺぺの会は、
へんてこなひろばを作ろうとしている。

SNSをつかった、アートのひろばだ。

けいこ場に来てくれた人や、わたしたちの演劇を見てくれたひと、わたしたちと一緒に何かを作りたい人が、みんなごちゃごちゃに集まって、ただなにかを作る、ひろば。

わたしは、意味もなくなにかを作るのって、とても大切なことだと思っている。
それは、生産するために作るのではなくて、ただ作るために作る、作って満足、だれかに見てもらえればもっといい、褒められたらその日だけ最強、みたいな。


モノが人間たちにとってよそよそしくなっている、というようなことを、こないだロッテリアで女子高生たちが言っていた。
でもさでもさ、少なくとも、みんなであれこれ言いながら作れば、目の前の作品がよそよそしくしてくることなんて、ないんじゃないかな。

その作品には、見るがわも見られる側も、棲まっているのだし。


「芸術家は孤独であれ」

という言葉は、去年の流行語大賞に選ばれていたけれど、そういう考え方からすると、共同で作品を作るわたしたちは、ぜんぜん芸術家ではないのかもしれない。
じっさい、演劇を作るようにわたしたちはキャンプに行ったりしている。月に一度は魚釣りをしているし、最近はヒマワリも育てはじめた、芸術家の風上にもおけないとおもう。

そもそも、孤独でない人なんて、原理的にいるのかしら。
死ぬときは、みんな一人なのだし。

むしろ、棲まうモノがなくなってしまった、平成のわたしたちの方が、よっぽど孤独な倹約家で、そういうわたしたちが、どうやって共に棲まうことができるのかが、令和のわたしたちの宿題なのかもしれない。




「見るがわと見られるがわの区別を取り払おう」
これは、ぺぺぺの会のスローガン。

お客さんも俳優も、同じ空間にいる演劇を、つくった。

見る側と見られる側を、わたしたちは分けたくなかったから。
(よかったら、動画もみてください)


わたしは、わざわざ劇場に行く意味って、やっぱりあると思う。
それは、見るがわと見られるがわが、ぐちゃぐちゃと混ざっていくところにあるような気がする。

ユーチューバーと視聴者たちは、それを見ているときにはバラバラだけれど、本来ひとびとがモノに棲まうことができたように、劇場では、作品や俳優に観客が棲まったり、逆に作品が観客に棲まうことも、全然できるはずだ。

演劇の動画がおもしろくないのって、わたしたちが持っている、そこに棲まう力が、5.5インチのそれを超えていかないからじゃないかしら。


これは、お客さんたちと、上演後、お酒を飲みながらしゃべっている「おうち公演」のときの一枚。

はじめましての同窓会みたいな、不思議な時間がおもしろかった。

お客さんを含めて、みんなで何かを作ろうと思う。

初対面の同窓会みたいな時間になればいい。


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