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曖昧ななにか。

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最近の記事

臆病者の恋

わたしは臆病者だ。 夕焼けは恐ろしい。朝と夜はもっと怖いし、言葉を書くことを中心に生きているのに、唇は酷く重くて。 だから、わたしは見るのだと思う。黙って見ているぶんには、夕焼けは襲いかかってこない。 わたしは愛する対象について根本的にはノーアクションな性格で、愛しいと思ったものを、ひたすら見つめていたいと思う。 美しさに気がついた次の瞬間も、きみは色を変えて、触れたり言葉にしたりして自分のものにしようとすれば、自分の存在の軽さに気がつく。 ただふとした時、きみも眠るい

    • 仏という猫

      この写真は違うのですが、我が家の近所に、「仏」と呼んでいた老猫がいました。 仏は、骨が縮んで毛並みもバサバサしていて、いつも殆ど目を閉じて、あるお婆さんの家の目の前に貼り付けたように鎮座していました。 真夏の日に仏の姿を見ると、少しハラハラしつつ、暑さなど感じてないようなその佇まいに、仏と呼びたくなる趣きを感じました。 仏は、半分はお婆さんの飼い猫で、半分は生涯野良だったのだろうと思います。 大体同じ場所に鎮座しているのですが、時たま、少し離れたところを歩いている姿を見

      • 死なないために生きること

        ライオンの捕食の映像を観て、泣いてしまったことがある。 小さい時のわたしはそんなシーンが苦手でしょうがなかった。必死で逃げる草食動物達がかわいそうで、子供を狙う肉食動物が憎くて怖くて、直視することができなかった。 けれど、大人になった時に映像を観て涙が出た理由は、かわいそうだからでも、怖いからでも無かった。 彼らは、死なないために生きているということに心が震えた。 動物が死なないために生きていることなど、当たり前のことだ。 ラ

        • 2015年2月の言葉

          これらはわたしが過去に書いていたブログから掬い上げてきた言葉と写真の一部です。 今までネット上に書いてきた言葉を、このnoteに少しずつまとめていこうというのが、この場の目的のひとつです。 それは、わたしはこんなにも前からまったく同じ場所にいた、その確認作業のようなものでもあります。 おんなじことをきっと一生言い続けているな、わたしは。そんな風に思うと、本当に成長しないのねきみは、と自分に言いたくもなり、そしてなんだか安心します。 2015年 2月 2日 時々、会話

        臆病者の恋

          言葉の器

          言葉は内側に器がないと入ってこないんです。 元々美しい器を持っている人でも、時に器が欠けてしまったり、割れてしまったりする。 そんな時、言葉はどうしたって、溢れていってしまいます。 でも、そんな時その人や自分を責めなくてもいいんです。 金継ぎをするように、器は修復することができるし、溶かして焼き直したりすることだってできるかもしれない。 もしかしたら、金継ぎした器は、割れる前よりも、味があって、美しく、自分はその器を大好きになるかもしれな

          言葉の器

          なぜひとは自分が生きていることを許せないのか

          不思議ですよね。 ひとは、生き物なのに、自分が生きていることを許せない時があるんです。 もちろん皆が皆抱えている感情ではないだろうと思います。 自分が生きていることを許せないと言われて、ぴんとこないひとは一生ぴんとこないと思います。 わたしはそれでいいと思います。 何がきっかけでひとは自分を許せなくなるのか。 それはひとによるし、長い長い時間をかけないと分からなかったり、きっかけなんか無い場合があります。 子供は本当に不思議なことに、いつの頃からか自分が存在する事を許さ

          なぜひとは自分が生きていることを許せないのか

          壊れることのない記憶の箱

          わたしは、ある理由で幼少期から10代にかけての記憶の大部分が欠けています。 だからなのか、わたしはこの先一体どれだけのことを忘れてしまい、どれだけのことを覚えていられるんだろうとよく思います。 根無草のような二十代初期の頃に比べて、人との関わりが通り風のようだと思っていたものが、段々もう少し欲張りになってきたようです。 この先もしも何かあってわたしがいなくなったら、あなたが覚えているわたしはどんなひとだった? わたしそんな風に思うようにな

          壊れることのない記憶の箱

          普通という言葉

          普通という言葉を使うことに、日々わたしは抵抗がある。 「普通」というのは、視野を狭くさせてしまう気がするし、断定的に思えるし、過去から受け継がれてきたものだから。 普通なんてないだろうって場面がこの世界には多すぎる。 「みんな違ってみんな良い」って言葉も私的にはそんなに好きな言葉じゃないのですが、それは置いといて。 わたしにとってはあらゆることが普通じゃない。 特に、あまりに長い間ひとの優しさについて、それが普通だと感じとることができなくなっていた。 別にわたしが可哀想

          普通という言葉