普通という言葉
普通という言葉を使うことに、日々わたしは抵抗がある。
「普通」というのは、視野を狭くさせてしまう気がするし、断定的に思えるし、過去から受け継がれてきたものだから。
普通なんてないだろうって場面がこの世界には多すぎる。
「みんな違ってみんな良い」って言葉も私的にはそんなに好きな言葉じゃないのですが、それは置いといて。
わたしにとってはあらゆることが普通じゃない。
特に、あまりに長い間ひとの優しさについて、それが普通だと感じとることができなくなっていた。
別にわたしが可哀想な扱いを受けてきた子だというわけではなくて、ひとが見せる優しさは普通と言うにはあまりに尊いと思っていた。
だけど優しい人間は、優しさを示した時に「こんなこと普通だよ」と言うものだ。
そんな時、わたしは感動してしまって、
その瞬間だけは「普通」と言う言葉を好きになることができる。
「普通」という言葉は、他人へ向けていい言葉ではなく、自分に向けた時に使っていい言葉、それだけのような気がする。
だけど、ひとは根が優しくて真面目だから「普通ならもっとこうできる、(できた、)はずなのに」「普通ならもっとあんな風な人にわたしはなれたはずなのに」
と、自分に対して思い込んでしまう時だって、きっとある。
でもそれは、
誰が埋め込んだ「普通」なのか。
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