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「最澄と天台宗のすべて」に行ってきた(前編)

最澄+αへの興味

久しぶりに「あさ記事」以外の記事になります、みのくまです。この前、東京国立博物館に行ってきたので、そのレポートを書いてみますよ。

東京国立博物館、略してトーハクに行ったのはふたつ目的がありました。ひとつは、伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」がやっていたからです。今回はこの特別展に行ったレポートを中心に書きますね。

もうひとつは、土偶を見たかったんです。最近、土偶や土器、埴輪などに凝っていまして、トーハクは有名な遮光器型土偶が展示されていたりと、なかなか有名な見所満載なので、それを期待して行ってきました。こちらの方は考古展示室を見物してきたのですが、余力があれば書きたいと思っています。

というわけで、最澄です。最近はおかざき真里「阿・吽」で盛り上がりを見せている最澄ですが、この特別展もコラボしておりました。ついついTシャツを買ってしまったり。

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(※ううーむ、美麗です。何種類かありましたが、やっぱり最澄が入っているデザインにしました。彼の特別展ですしね。)

もちろんぼくも「阿・吽」は全巻読んでおりますが、それ以前から最澄には興味があったんです。いや、もう少し正確に言うと、鎌倉新仏教について調べているうちに、どうしても平安新仏教にぶちあたってしまったんですね。

鎌倉新仏教って、仏教史を超えて日本の思想史として捉えても非常に面白い思想運動です。とくに法然や親鸞、道元、日蓮あたりの思想はとてもユニークで、なんでこんな思想的なブレイクスルーが起きたのかをずっと調べていました。しかし実はこの4人、全員比叡山で学んでいるんです。当時の比叡山は仏教の総合大学であったようですが、ではそもそもこの比叡山を開山した最澄とはどんな人だったのかわからないと、鎌倉新仏教のことがわからないと気がついたのでした。

また、別の方向からも最澄には興味がありました。それは「奈良時代」とはなんなのか、という問いの外部からのアプローチとしてです。奈良時代とは非常に特異な時代です。律令制の確立、万葉集や古事記・日本書紀の成立、伊勢神宮祭祀のはじまりといった日本の基礎が出来上がると同時に、東大寺盧舎那仏や全国に国分寺・国分尼寺を建立するというダイナミックでラジカルな仏教信仰の興隆、また公務員の役職名をすべて大唐帝国に倣う国際性。とても不思議な時代です。

ですが、平安時代に移行すると、途端に視界が開けて見えてきます。おそらく「源氏物語」を筆頭に文学作品が多く遺されているためでしょうが、平安貴族の生活や行動原理は、奈良時代のそれと比べてとても想像が容易になります。

この「わかりやすい」平安時代を作ったのは、おそらく桓武天皇から嵯峨天皇の御代だと考えられます。そこには多くのキーパーソンが挙げられると思いますが、なかでも最澄と空海は、その筆頭に挙げるべき存在であると思われます。最澄と空海は、奈良時代とどう決別したのか。彼らの問題意識とはなんだったのか。それを知ることで、逆に奈良時代とはなんだったのかが炙り出されると思ったのです。

「最澄と天台宗のすべて」に行ってきた

特別展について書くまでに文字数を使いすぎてしまいました。さて、それではいよいよトーハクに乗り込みますよ!

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(※トーハクまでは上野駅から上野公園を通り抜けて向かいます。朝から公園内は子どもたちの遊び声で賑やかです。)

9時半入場の前売り券を購入していましたので、チケット売り場には並ばずに済みました。もちろん展示のほとんどは撮影不可なので撮影できておりませんが、展示の流れと感想を書いていきます。

第1章 最澄と天台宗の始まりー祖師ゆかりの名宝

このチャプターは天台宗の祖師たちの肖像画がずらっと並んでいました。面白かったのは、聖徳太子が天台宗では重要人物だったということですね。他にも天台宗開祖の智頭や慧思、もっと遡って龍樹の肖像画もありました。もちろん最澄や円仁もいましたね。でも聖徳太子一人だけ僧体ではなく、しかもおそらく子どもの身体で描かれており異彩を放っていました。どうやら天台宗では、聖徳太子は慧思の生まれ変わりだと信じられていたようですが、それにしても不思議な肖像画でしたね。

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(※【国宝】聖徳太子及び天台高僧像 聖徳太子)

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(※【国宝】聖徳太子及び天台高僧像 最澄)

第2章 教えのつらなりー最澄の弟子たち

ここで一番面白かったのは、最澄の弟子でも二大巨頭である円仁円珍の像と筆跡です。ふたりの像を見比べてみると、直感的に円仁は頭が良さそうで懐も深そうな感じです。

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(※【重要文化財】僧形坐像 伝慈覚大師円仁)

他方、円珍はちょっと恐ろしいオーラがあります。

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(※【重要文化財】智証大師円珍坐像)

筆跡を見ても円仁は非常に綺麗で整然とした字を書いています。円珍はというとあまり綺麗ではなく、些細なことは気にしないような雰囲気を感じます。

あくまで感想に過ぎませんが、その対比が興味深くありました。のちに円仁の派閥が山門派、円珍の派閥が寺門派に分派し大変だったような、ぼんやりした知識がありましたが、それに触れらた展示はありませんでした。天台宗的には黒歴史なのかもしれません。

第3章 全国への広まりー各地に伝わる天台の至宝

個人的に一番の見所はこのチャプターでしょう。天台宗系の仏像が多く展示されており見応え十分です。特に薬師如来立像のフォルムは非常に優美で素晴らしかったです。

また、慈恵大師良源坐像は触れないわけにはいかないでしょう。これだけを見るために、この特別展に行っても十分だと言えるほどの大迫力です。

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(※慈恵大師良源坐像 とにかくでかいです。そして黒い。目が金。)

第4章 信仰の高まりー天台美術の精華

このチャプターは絵画が中心になります。六道絵は地獄を描いたものですが、そのなかでも人道不浄相は九想図のようなおどろおどろしさがあります。これでもかこれでもかと、人体の不浄さを描き出しています。

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(※【国宝】六道絵 左から閻魔王庁、阿鼻地獄、等活地獄、人道不浄相)

鬼や死体が入り乱れている絵を見ますと、とにかく暗い世相だったことがわかります。他方、阿弥陀聖衆来迎図などを見ますと、当時の人々にとっての「救済」の概念がわかります。上空からぞろぞろと阿弥陀如来一行が降りてくるのは、結構ギョッとするのではないかと思うのですが。。。

第5章 教学の深まりー天台思想が生んだ多様な文化

ここでは、比叡山に元々いた日吉の神々と、天台仏教が結びついていくさまが、美術品をベースに観察できます。そのなかでも非常に興味深い展示品が天狗草紙 延暦寺巻です。この絵巻ではクチバシと翼を持ち、法衣を纏った天狗が登場します。中世において、天狗とは魔道に堕ちた僧侶のことだったのです。(魔仏一如)

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(※【重要文化財】天狗草子 延暦寺巻)

比叡山延暦寺が日吉大社の権威も手中に収め、どんどん巨大になっていくと同時に、天台僧の横暴が目に余るようになってきたことの現れとしての天狗なのでしょうか。ですが、天狗を退治するのも法力を持つ僧侶たちだったようで、その構造からなんとなく延暦寺内の自浄作用は働いていない気もしますね。

第6章 現代のつながりー江戸時代の天台宗

織田信長による焼き討ちからの復興に重要な役割を果たした慈眼大師天海の坐像が見られます。すごい偏見ですが、この坐像を見る限り、天海は一筋縄ではいかない海千山千の政治家という感じがします。まるまるとした顔と、赤い頬と赤い唇を持つ最澄と比べると、その違いが明白で興味深くはあります。

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(※【重要文化財】慈眼大師天海坐像)

また、根本中堂内陣不滅の法灯のセットを鑑賞できます。(撮影可)

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(※記者撮影。手前の灯篭が不滅の法灯。)

つづきます

以上が特別展「最澄と天台宗のすべて」の鑑賞の流れです。9時半に入場し、退場したのは11時過ぎでしたので、1時間半以上集中して鑑賞できました。改めて本記事を書いてみますと、国宝や重要文化財がたくさんあることに気づかされますね。いやはや、すごかった。

しかし、それだけ集中して鑑賞するとがっくりと疲れ果てまして、ラウンジでお茶をして体力回復を試みました。

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(※「梵字カフェ」で自分の干支の梵字を書いてもらう。ぼくは「卯」。)

さて、とりあえず今回の記事はこれにて終了します。次回の後編は、ぼくの気になったポイントをいくつかピックアップします。また、規模は小さいですが、考古展示室にも行きましたので、それについてもちょっと書ければいいなと思います。

いやー、「あさ記事」とは違ってちゃんと書かなきゃと思って書いてみたものの、なかなかうまくまとめられませんね。悔しいですが、いつか上手に文章が書けるようになれたらと思います。

ではまた近日中に!



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