シベリア鉄道は、過去の日本へのタイムマシンだった(後編)

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僕は英語が、使えるわけではない。

かといって、Google翻訳もWi-Fiが飛んでいる駅の間しか使えない。
そう聞くのならば、その間のコミュニケーションというのはできず、酷く気まずい時間が続くのではないだろうか。
行く前の僕であったら、そう思っていただろう。
実際、英語と中国語を話せる隣のロシアのおじいさんと上手く話せなくて、何を言っているのかわからなくて、困ったことはあった。
だけど、話をしていて、駅から離れてWi-Fiが通じなくなったことを、Wi-Fiエンドと、楽しそうに二人で言うこともできたし、
隣で黙ってロシアの広大な自然を眺める相手の中には、自分が知らない世界があることに、奥深さを感じたこともあって、平気でいられた。

もし、長い同行が日本人だったら、こう行かなかったろう。
天気だの、互いの仕事だの、趣味だのを軽くなぞっただけで、もう相手の中に知ることはないと、永久に関心を失いかねないからだ。
そんな相手と、長く隣を強いられる悲劇もないだろう。

このリアルタイムの世界で、タイムラグのような認知の差異や通じないことは、今後贅沢品になっていくのだろうかと、そう思った。


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旅の朝は、規則正しい。

だから、トイレに起きて朝焼けを見れば、それだけで心は眠りのことを忘れてしまう。
広大な平原と、疎らな白樺。
多くがそれの車窓も、時に集落の街がある。
そこはまず、山の横を通ることから始まった。
陽ざしを浴びたそれは、やがて遠くになり、広めの囲いに畑と雪落としであろう急な屋根がある家の村が広がった。
山は輝き、この村に光を届け、木々と草原もそれに応えるように緑を誇った。

道はあり、車はあり、鉄塔も廃棄された場所も確かにあるし、きっと家の中には近代的なテレビもスマホも勿論あるのだろう。
ここに住めば何もなく、閉じられた場所のように思うのだろう。

ただそれでも、その時の僕は、この場所が世界で一番輝いているように思えた。

列車は、この街を大きくカーブするように回る。
それに合わせて陽ざしも、自分の正面へ来るようになった。

この街には、どんな暮らしがあるのだろう。
ここには、どんな人が暮らすのだろう。

たとえそこで嫌なことがあったとしても、きっとそれを知ることは名跡を回ることと、同じかそれ以上の価値はあるはずだ。

列車はやがて、大量に線路の並ぶ、車両の中継地みたいなところに辿り着いた。
こうして世界へ広がるように、全ての場所の根源が、あぁいう光輝く街であればと、優しく私は思った。


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今度の駅では、僕が部屋の中にいて欲しいと言う。

荷物番として、お母さんが常に残り、お父さんと少年と僕が外に出てばかりで、お母さんが外羽を伸ばせなくて大変だと思ってたから、わかったとそう言った。
しかし話を聞いてみると、そういう理由じゃないらしい。

ロシア人家族は、近くの駅で僅かに止まる時間の間、親戚と会うらしい。
この安く飛行機が行ける時代に、どうしてロシア人がウラジオストクからモスクワまで行くのかというと、そういう事情があるのかと、僕は知った。
到着し、家族が降りるとすぐに、急におじさん達がここに荷物を置き始めて、何だ押し売りかと思ってるうちに、握手して去っていった。
あぁ、と後から親戚の人のお土産かと僕は理解した。

ここから見えるかなと、廊下から駅の方を見る。
両親が話し合っているのが見えて、少年は親戚の女の子と話している。
遠くからなので表情はよくわからないが、7、8人くらいの中で話しをしていた。
一方で少年の方は、少女がすぐに行ってしまう少年にグズッたのが見え、おじいさんに連れていかれるのが見えた。

背を向けて、少し窓に寄りかかり、両手を枠に乗せる。
そうして、後ろに引かれる自らの想いを感じながら、僕は部屋に戻った。

それでも、その家族が僕のことを父に言った時にもらった言葉
「旅行者の同行者が、あなたで良かった」
を聞いた時、私は嬉しくて、こちらこそと深く心の中で、その父に向って頭を下げた。

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子供ってのは、遊びを思いつく天才だ。

少年は旅行中、既存のトランプに似たフールというカードゲームをしたり、それこそスマホゲームをしていることもあった。

そのトランプみたいなゲームが強くて、本気を出しても普通に負けたこともそうだが、身の回りにあるつまらないもので、即座にゲームを思いつく発想も脱帽である。

例えばチュッパチャップスの棒につまようじを差したような、それだけのものを、部屋の中の取っ掛かりのある場所に投げて、乗っける遊びとか、
輪ゴムをスライドドアに引っ掛けて開いて、どこかに飛ぶのに怯える遊びもあった。

特に良かったのが、最終日の、学校で使うような数え棒を飛ばして攻撃する遊びである。
その棒は上手くしなるので、ソファの隙間に入れて後ろに押してから放すと、前にまぁまぁの勢いで飛ぶ。
ルールは特にないけども、それで相手の方に飛ばしたり、一気に8本全部を腕を使って飛ばそうとして、全然飛ばなかったりも楽しかった。
急に細長いカプセルみたいなのを持ってきて、爆撃だとやってくるのも凄かった。
そんな相手につられて、僕もその棒が飛ぶ軌道が何となくわかってきたので、棒を空中で落とすニンジャの真似など、中ボスみたいなことをした。
少年と遊んでいると、自分の想像力も豊かになっていくようだと、そう思えた。

テコンドーもやっていて、遊び上手で、体力も無尽蔵なかわいい少年の、将来が豊かであることを思った。

(最終日前日に、このトランプみたいなの買おうかなと言っていたら、僕のをあげると言われた。それは今、僕の机の上にあり、もし機会があるのならば、日本人ともやってみたいと思う)


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最終日、前日くらいに、途中でシベリア鉄道に乗ってきた日本人の何人かとも話をした。

僕の部屋のロシア人家族の話をすると、それはとても運の良いことだと言われた。
その人は、ちょっとの間だけしか話せないのが入れ替わるだけだったらしい(地元の人がたまに使う足でもあるし)。
そういう時ならば、他にいた日本人のように、積極的に一人同士話しかけて友人になることもありなのだろうが、僕はそこまではできなかったと思うので、とても運が良かったと思う。

今これを書いている時に思い出すのは、家族3人の写真を撮って良いかという申し出た時の、三人の姿。
僕が撮った写真は下手だったけど、それを前にした時の、三人のとても暖かで楽しそうな笑顔。父は母と子を優しく見つめ、母は父と子をロシア人らしい固い顔ながら、微笑ましく見守る。そんな二人の間で少年はとても強い信頼で二人を見上げている。

それは僕の心に、今も残っている。

(※プライベートがあるので、目線は隠してます)

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これは、シベリア鉄道最終日に、僕が書いた手記を少し変えたものだ。

『最終日で、三人とも眠っている。
時間は、あちこち進んだり戻ったりする列車の時刻を頼りにするには6時で、あと八時間半くらいで、このシベリア鉄道も終わり、別れが来る。
おそらく、自分には持つことのない子供と、子供と遊ぶ機会もない(兄の子とは可能性があるか)自分にとっては、こういう形での癒しは、他の日本人から聞く同行者に関して言うように、私はとても幸運だったのだろうと思う。

長屋のような近さ、分け合うこと、自分で淹れるお茶の習慣、他人の家族団欒に目を細めること。
それは、過去の日本には当たり前にあった光景で、今の日本からは遠ざかってしまった光景を、ウラジオストクからモスクワへの旅にて知るという、何かのメタファーのような旅だった。

文学はもう読まない。
結局、自分が少し前向きになったところで、社会のシステムがアレなら元に戻ってしまうからだ。
そうして文学を捨てた私ではあるが、しかしこの旅情という酷く個人的な文学は、当分先ではあるだろうが、また拾って読みたいものである。
この、人から遠くなった日本で生きている以上、私はいつかやられて、またシベリア鉄道に乗ってしまうかも知れないのだから。

彼らに私が持ちうる限りの祈りを
その彼らがいる、このロシアの地にありったけの幸運を

 2019.06.11 6:30  M.S


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そしてモスクワに辿り着き、家族と別れ、観光旅行をした。

いろんな場所に行き、いろんな美味しいものを食べ、欲しかったものをありったけ買い込んだ。
そこでも様々なトラブルを起こしてしまって、ロシア人に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ない気持ちと、ロシア人の親切さに心から感謝したい気持ちでいっぱいだった。

最後に、飛行機の窓からロシアを眺め思ったことを踏まえて、締めたいと思う。

ここからは散りばめられたかのような雲が、ぽつりぽつりと疎らに広がっている。
その浮かんでいる様は水に浮かべられたようで、その下に見えるロシアの自然や街は沈んだように見えた。

来る前なら、例えばそれに、あの日の北海道で見た夜闇の列車のことを重ねられたのだろう。
全ては死んだようで、ここにいる自分は孤独で、しかし車内の温かさが、こことそこが全て繋がってるかのような安心感を覚えたのだろう。
だけど、下にある人々を少しでも知った今では、僕はその水温自体に幾らかの暖かさを感じることができていた。

いつかそうして全ての国の人々のことを知ったのならば、私は世界そのものに暖かさを感じることができるだろうか?
それともそこに遠く及ばない自身が消えるべきだと思うのか?
答えは知らず、きっと知らないまま日本で朽ちていくことになるのだろう。

そこにいる人を知れば、一切人工物が見えてこない自然ですら意味が変わる。
『あの地平線輝くのは どこかに君を隠しているから』。そう語ったあの唄の意味を、ようやくここで実感する。
自然をただ冷たいと、その美しさがより良いと、廃墟に抱く想いを、過ぎた栄光をただ浪漫にし、一人一人の悲劇があることにすら思考を移さず無邪気でいたことに、17歳以前の無意味な上で無思慮であった自身への憎悪と同じものを少しでも感じていたのならば良い。

そうすれば、あの夜闇の孤独だけを美しいとする僕が再び現れた時に、このことを教えてあげることができるのだから。
そして僕は、話してあげるのだ。

朝日射す山間の、小さな街のことを。
雲の下に沈む、暖かな人々のことを。

その光景と僕は、どこでも繋がっているということを。


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