子育ての終着点はどこ?
こんにちは。
雨ばかりですが☔️、カラッとした真夏がもうそこまできていますね。
さてさて本日は、子育ての最終目的地について考えたいと思います。
その前に
あなたは何故、子供を生み育てるのでしょうか。
だって
子供を産むのも大変、さらに育てていくのはもっと大変。
そのうえ
計画通りに子どもが育てば、大変であっても何とか頑張れるでしょう。
ところが
子育ては想定外のことの連続ですから、それはそれは泣いたり怒ったり落ち込んだり、そして時々嬉しかったり……
過ぎてしまえばあっという間ですが、その時々で心折れそうになったり、投げ出したくなったり、こんな筈じゃないともがいてみたり。
私自身の子育てを振り返る
子ども3人を育ててきて思うことは、自分が未熟だったということ。
何もわかってないくせに、親になるなんてことをよくできたわね
恐らく、何もわかってなかったからできたのです。
こんなことになるとわかっていたら、親になんてなっていなかったと思う。
子供は天からの授かりものだから、いずれは天にお返ししなければならないと、頭ではわかってはいたのに、いつの間にか自分のものだと錯覚していく愚かな私。
知らぬ間に、自分の思い通りに自分の為に子供を育ててしまっている。
自分の小さな世界の価値観に沿って、その価値観を子供に浸透させていく。
子育ての最終目的は、「自立」「独り立ち」していくことだと、言葉でいいながら何と矛盾してるのか。
自立とはいったいどういうことなのか
学校を卒業して働き始めたら自立なのか。
結婚して家庭を持てば自立なのか。
実家を出て一人で暮らし始めたらなのか。
親が死んで初めて自立したと言えるのか。
「自立」と一言で言っても捉え方は人それぞれ。
①経済的自立
②物理的自立
③精神的自立
この3点が揃ってこそ、「自立」したと言える。
つまり
経済的にも物理的にも精神的にも自立してこそ、子育ての終着点にたどり着いたと言えるだろう。
ここまでは、誰もが理解していることだろう。
私自身、十分理解しているつもりでいました。
終着点を目指して子育てしていく中で、勝手に終着点を都合のいいように書き換えていたように思う。
就職先や結婚相手や生き方や考え方に至るまで、親の価値観を押し付けていないだろうか。
正解を親が決めてしまっていないかということ。
親の勝手を押し付けているから、例えば「嫁と姑問題」が勃発するのだと思う。
きちんと「自立」しているなら、「嫁と姑」問題なんて起こらないはずだ。
「自立」していないから、いや、「自立」させていないから夫婦関係にまで割って入って、自分達親の機嫌をとれと言わんばかりだ。
「これはあなたの幸せのためだから」という名台詞で、子供の人生に割って入って、子供は成人してもなお、親の人生を歩いていないか。
自分の人生を自力で切り開き、責任を取る。
そして自分自身が幸せを感じられる人生を歩んでいけること。
誰かの機嫌をとったり、誰かのために犠牲になるのではない。
ましてや、自分以外の人が描いた人生を歩くことではない。
それができる子供に育ててこそ、子育ての終着点で子育てを卒業したと言えるだろう。
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