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時間に対する後悔は時間に対する"過信"が原因なのでは?

今日は1日を家で過ごした。 
1日中家で過ごしたのは本当に久しぶりのことだった。

というのはここ最近は、昼間にカフェに移動して閉店時間まで英語学習に向き合うというのが日課となっていたからだ。
今月のブログの殆どが英語学習に関する内容だという事からも分かるように、夏休みなのにも関わらず今月はずっと英語学習に励んで来た。

またこの英語学習に関しては
事前に学習方法などを丁寧に情報を集めていたことで自分の中でこの英語学習における目標や計画なんかもしっかり明確になっていた。
そのおかげか誘惑などに対しての無駄な気力を費やすこともなく自分でも信じられないほどに自らの意識を英語に向かわせることが出来ている。

しかしそれと同時に1つのことに熱中することには意外なある側面があることにも気づいて来た。

普通に考えるともしかしたら当たり前の事なのかもしれないが、これは曖昧な志でこれまでたくさん誘惑に負け続けて来た僕にとっては改めて実感させられることだった。

それは、1つの物事に熱中している分
時間の経過も段違いに早く感じてしまうということである。

夏休みに入ったのはおおよそ1ヶ月も前のことだったのだが気付けば8月ももうすぐ終わろうとしている。
ついこの間のブログで
「夏の終わりはすぐにやって来るものなので今のうちに心構えを..」と覚悟していたはずだったのに。
秒速で今夏が終わりかけているではないか。

中身は充実していたのにもかかわらず
それでも夏休みにおける時間の絶対数が圧倒的に不足しているかのようなまるでそのような感覚に陥っている。

去年の夏休みと比べると今年の夏休みは
しっかり自分を律してより時間を有効的に使ってきたはずだ。
しかし実際、時間に対する印象はまるで変わらなかった。
どうしても充実感よりも時間の儚さの方が勝っているような気がする。

こうなってくると何が正解かが分からない。
もしかすると
いくら充実した時間を過ごそうが過ごすまいが
どちらにせよ時間の流れに対する印象というのは本質的には変わらないものなのかもしれない。
今回少なくとも自分の手応えとしてはそうだった。

この経験から僕は、今までの自分は少し
「時間が持つ力」を過信評価しすぎていたのではないかと思うようになった。
そしてだからこそ、自分の時間は常に自分が納得するような使い方をしていきたいと思った。

時間の流れはコントロール出来なくても
せめて時間の"可愛がり方"は全て自分で決めるんだ。

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