このままでよい、ということ
手書きの日記を書いている。
高校生になったときに、なんか日記をつけてみたくなって、それからB5のキャンパスノートにほぼ毎日、その日あった出来事や思ったこと、マンガや小説で出会った好きな言葉たちを綴っている。
気づいたら今書いているので26冊目となった。
ここまで書くことを続けてきて、何かが変わったとは思わない。だけど、書き留めてきたことで、自分の小さな変化には気づくことができる。
古いほうの日記を読み返してみて、昔の自分はこんなことを考えていたとか、こんなことで悩んでいたのだなとか、何も変わっていないようで少しずつだけど、日々変化しているのがわかる。
だいたいはいいことと悪いことの繰り返しで、最近調子が悪いと書いてある日もあれば、こんなうれしいことがあったと、書いてある日もある。本当に只々それらが順番に来ている。
誰しも自分の人生をより良くしたいと思ったりもするけれど、成功とか失敗とかはあまり関係がなくて、どういう状況下にいてもいいことと悪いことが交互に来るだけだと思う。
何をもって成功者と言えるのかはわからない。
いい学校に行くこと、いいところに就職すること、モテること、お金があること、地位があること等々、それらを備えていたとしても、きっと悩みは尽きないだろうし、苦しい時期もあるはずだ。
そうやって、自分以外の外の世界の人たちを俯瞰してみると、案外”自分”というのも悪くないなと思える。
何も特別なことでもなく、月並みにも感じるが、これが真実なのだと思う。それぞれ自分たちの人生を通して、最後は似たような結論に至る。
過去を悔んでも、未来を心配しても、私たちにはどうしようもない。
私たちは”今”を生きているのだから、今の自分でできることをコツコツ積み重ねていくほかないのだ。結局は、”今”をいかに生きるかに尽きると思う。
他人の人生が羨ましく見えたり、自分の人生がみすぼらしく見えることがある。でも、それはほんの一面であって、私たちはもっと多面的な存在だ。自分にも他人にも、それぞれいいところと悪いところがある。
ただ、それだけなのだ。
生きていれば、自分にはどうしようもないことに遭遇することがあって、でもそれは誰の人生も同じで、自分だけが特別に不幸なのではない。そして、同時に必ずいいこともたくさん起きていて、気持ちが俯いているときには気づけないだけである。
バカボンのパパもよく”これでいいのだ”と言っている。ほんとうにその通りなのかもしれない。
もっと「変わらなくては」「成長しなくては」と考えてしまいがちだが、実は何も変わらなくてもよかったりする。欠点は無理に直さなくてもいい。他人から見たら案外些末なもので、実はそこが魅力になっていたりする。
慎重さや臆病な部分があるから、他人から受けれられることもある。
無謀な勇気や大胆さがあるから、物事がうまくいくこともある。
どれをとっても、いいところと悪いところがある。
ただ、それだけなのかもしれない。
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