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毎日を大切に生きること

 列島がオリンピックに沸いています。テレビ中継を前に、柔道では審判かのように「いっぽーん!」と叫び、体操では着地の瞬間に震え、繊細すぎる卓球のラリーに思わず息を止め、陸上や競泳のスタート直前に静まり返るリビング…。
胸躍り、感動に震え、惜敗に涙し、限界を超える戦いに歓喜する。まさに4年に1度の祭典です。
 はー、オリンピックが4年に1度でよかった!毎年行われていたのでは、心と身体がついていけません。戦う者も、応援する者も、この4年に1度という絶妙な巡りだからこそ、心血注げるのかもしれません。
 さて、今回のおたよりは、そんなオリンピックの話題から始まります。

「今日できないものは明日もできない」

 ロンドンオリンピックの銀メダリスト、そして続くリオオリンピックでは、満身創痍にも関わらず銅メダルを獲得した、重量上げ選手の三宅宏実さんの言葉です。リオオリンピックでは、1、2回目のバーベルを失敗し、追い詰められた3回目で、そのバーベルは三宅選手の頭上へと持ち上げられました。今まで重ねてきた努力や苦労、それが結果につながった瞬間の喜びに満ちた笑顔に、思わず胸が熱くなりました。
 持病や足腰の故障で、思うように練習ができない中で、彼女を支えていたのは「一日一生」という言葉だそうです。
 あるインタビューで、「重量挙げは毎日同じことの繰り返し。昨日できたことが、今日できなくなっていたりする。パターンが一定化していないからこそ、面白い」と、重量挙げの魅力を語っていたことがありました。進んでは立ち止まり、後ろへ下がっては前を向き、そうやってつなげてきた道が、彼女を途方もない場所へと連れて行ってくれたのでしょう。
 三宅選手はウエイトリフティングを始めるとき、元選手だった父にコーチを頼みました。そのときに、お父さんが出した条件は「途中でやめないこと」でした。三宅選手は、この父の言葉を胸に、「続けること」をとても大切にしています。
 「今日できないものは明日もできない。いつもそう思って毎日を大切にしていきたい」という言葉からも、彼女が「努力」と「目標」を重ね、挑戦し続ける気持ちが伝わってきます。

 勉強でも、スポーツでも、より強く、より高く、上を目指すためには「今日の自分」に勝ち続けるしかありません。怠けたい気持ち、ゆるんでしまう心、そんな弱い自分に勝ち続け、「今日の自分」ができる精一杯を重ねていく。それが人のもつ強さなのだと思います。辛い時、負けそうな時は、ともに歩む仲間の姿を励みにしてください。うまくいくことばかりではないけれど、歩み続けるその先に、辿り着く場所があるはずです。

あなたが「挑み続ける姿」に、人の心は震えるのだろう

 オリンピックではないですが、スポーツ選手にとって、もう1つの大舞台がワールドカップです。
 2019年、ラグビーのワールドカップが日本で初めて開催されました。正直なところ、私はラグビーなんて全く見たこともなく、スポーツというよりは格闘技のようだという勝手なイメージを抱き、ちょっと怖くて、敬遠していました。また、「日本代表」といいながら、外国人のような顔立ちをした選手を目にすることが多く、日本人には馴染みのないスポーツだとさえ思っていました。
 ところが、日曜日ドラマでラグビーチームを話題にしたドラマが放映され、同郷の俳優が主演ということで見始めたこともあり、私の中のラグビーに対するイメージが、少しずつ変わり始めたのです。

 それは、ある日、何気なくテレビをつけ、ラグビーの日本代表が出場する試合が放映されていたときでした。1つのルールも分からず、得点以外の要素ではどちらのチームが勝っているのかさえ分からない中、試合を見ているうちに、私の心は選手たちの戦いぶりに釘づけになったのです。
 相手のタックルを恐れず立ち向かう姿、指示を出しながらチームの陣形を整える姿、あと1歩をあきらめずに走り続ける姿、仲間を信じて一丸となって力を発揮するスクラム、痛みや疲れをいともせず立ち上がり続ける雄姿、審判の声を聞きながら突破口を探す姿、試合終了のホイッスルとともに敵味方問わず抱き合う選手たち。
 どの場面、どの選手、どのチーム、どこを見ても、その力強さと勇気と、なにより、お互いを称えあうノーサイドの精神と、最後まであきらめずに前に進み続ける勇ましさに、私はただただ心が震えるばかりでした。
 人が何かに向かって「挑み続ける」姿が、こんなに心を動かすものなのだということに気づかせてくれたラグビー。それは、きっとアスリートだけではなく、私たちも同じなのだと思います。

あとがき

 困難があっても「挑み続けてほしい」という思いで書いた学級通信でした。ですが、「挑み続ける」って、口で言うほど簡単なことではないですよね。何か自分が挑み続けているものがあるかというと、答えに窮します。

 でも、なんだか思春期の子どもたちって、なんだかいつも闘っている感じがします。何と闘っているのかは分かりません。子どもたち自身は、闘っているなんて思っていないかもしれません。
 それでも、なんだかいつも闘っているように見えるのです。そして、あるときは思い通りにならない結果に苛立ち、落胆し。あるときは晴天を目指し吹きすさぶ風のように清々しそうに。
 相手が誰かも、何かもわからないその戦いに「挑み続ける」姿に、私たち大人は心揺さぶられ、あるいは「挑み続ける」戦いをいつの間にか失ってしまった自分自身に気づかされるのでしょう。

 さて、今日もそろそろパリの地で「挑み続ける」戦いが始まります。

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