書きたくない時は、書かなくてもよいのに
文筆業を生業としていると、とにかく日々、何か書かないと焦燥感がある。
でも最近思うのは、自分は「書きたいのか」「書かされているのか」どっちなんだろう?と言うこと。
執筆ではないけれど、YouTuberの方は本当にマメに動画をアップします。
どうやらYouTubeのアルゴリズムに乗っかって再生数を増やすには、投稿頻度が重要なファクターになっているようだ。
他にもコメント欄の盛り上がり、グットボタン(バットボタン)、視聴維持率、そしてもちろんチャンネル登録者数。
もろもろの数値をYouTubeに伝える必要がある。
これはウェブサイトのSEOにも同じことが言えるだろう。
しかしそうなると、頻度を守ることが第一になり、どうも流れ作業感が出てくる。
ファッション系のYouTubeをよく拝見するけど、ユニクロやGUをよく取り上げるのは、そいういった頻度の問題があるためだ。
そして毎月、毎週、新作を買って紹介するので、YouTuber本人が日常でその服を着ることはない。
だからそのレビューも、一定のレベルから上のクオリティになることはない。
それが悪いと言いたいわけじゃない。
ただ、情報には生態系のようなものがあり、その生態系に応じて情報の質が決まってくるということだ。
ファストなメディアには、ファストなファッションを。
自然の摂理だと思う。
そのファストを奨励しているのは、間違いなくYouTubeでありYouTubeが設定するアルゴリズムである。
わたしを含むクリエイターは、アルゴリズムに対して作品を納品する。
そのような側面は、プラットフォームが力を持つ以上、少なからずある。
しかしわたしは、そんなファストなスピード感で生きたくはないな。とふと思う。
一昔のインターネットは、もう少しスローメディアだった。
わたしの肌感覚では、2017年頃に仮想通貨、オンランサロン、投げ銭、(そしてnote)などが盛り上がるにつれて、ヒトとカネが増え、スピード感が上がった。
古い本を読むと、ブログのトラックバッグが生まれた頃から、すでに「早すぎる」と嘆く人が現れ始めたみたいだけど。
とにかくもう、インターネットでスローに生きることは難しそうだ。
しょうがないから、山奥で自然とともに生きようか…。
書きたくなったら、書く。
それで生計を立てるのは夢物語のようだけど、しかしそれが達成できるのなら、他のいろんなことを犠牲にしても良いような気もしている。
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