なぜ、今日もユニクロを着てしまうのか
本当は毎日“一張羅”を着たい。
「この服を買ったら毎日着るんだいっ。」
「この子を着て、代官山のカフェでお茶をしよう。」
「海辺の景色にはこの子がよく似合う。この夏は絶対これを着てデートに行く!」
運命感じて、一目惚れ。新しい出会いにワクワク、キラキラしながら意を決してレジに進む。
なのに、数日経ってもなかなか着ていない服ってありませんか?
その素晴らしい洋服は、神聖な城(クローゼット)から外の世界に期待をするも、一向に出てこない。
そのうちに季節は変わり、気持ちも冷めてきて、“一目惚れした洋服”に寂しい想いをさせてしまいます。
とびきりときめいて買ったあの服は、きっと外の世界を夢見て、本気で約束したはずの「いつか着る」の「いつか」を待って、ずっと期待してる。
なんて健気なんだっ。
そんな気持ちも知りもせず、せっかく買った洋服たちの、旬の美しさをまたしても逃してしまう。
ここで言う旬の美しさとは、流行りの服という意味ではなくて、意を決してレジに進んだ、「服に恋い焦がれたあの時の気持ち」
きっとあの時、服との出会いに運命を感じて、ちょっと気恥ずかしさを感じながら自分の体に合わせてみたはずなのに。鏡ごしに、その服を着てキラキラと輝く未来の姿を想像したはずなのに。
なのに、なぜ、今日もユニクロを着てしまうのか。
一張羅との出会いは特別で、心の底から幸せを思い描いたはずなのに、なぜかユニクロばかり着てしまう。
もちろん、一張羅は特別な日に着るものだから、普通は日常的には着ないかも知れませんが、クローゼットには案外そういう一張羅がたくさん。
((注)ユニクロをディスっているわけではありません。なぜか毎日着てしまうと言うのは、むしろすごい魅力です。)
毎日着たいと思ったほど惚れ込んだ服を着ずに、朝になるとユニクロのTシャツやウルトラフィットジーンズを履いてしまう。
「あの服を着たい」と思っているのに、できないんです。
これはどうしたことか!
こんまりこと近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」に感化されて、毎日お気に入りの服を着てトキメク人生を送ろう!と誓ったにも関わらず、なぜか。
しかも毎朝、一度着てみるんです。だけど、「今日は違う気がする」と、違和感を感じて結局着替えてしまう。
毎朝「今日は違う気がする」んです。
シャネルのパンプスを履きたい。
イッセイミヤケの服を着たい。
でも、すぐに足が痛くなるし、ちょっとスーパーに行くくらいじゃもったいないし、学生かおばちゃん達しか歩かないような道を歩いただけで汚すなんて。。。せっかくのお気に入りなのに劣化に近づくじゃないか。
そんな貧乏性なことばかり考えてしまう。
で、考えることに疲れて、結局諦めてユニクロに着替えている自分がいるんです。
毎日お気に入りの“良い服”を着ても誰も否定しないのに!
買うときに何をイメージしたかな?
ユニクロの服を買った時と一張羅を買った時の、レジに進んだ時の頭の中を思い出しました。
一張羅を買った時、日常の暮らしではなく、『理想の暮らし』をイメージしたのです。
毎日着るんだ→「代官山のカフェ」「海辺の景色」
多分、理想の暮らしでは、毎日昼時に代官山のカフェで風を感じながら本を読みたいんです。
週末には、海辺をドライブして、波の音を聞きながら涼しげにディナーがしたいんです。
その服を着るとそうなれると思っていたし、そういう時に着ようと思っていたんです。
ところがね、日常生活はちょっと違う。
数年前に引っ越して、今は静岡で暮らしているから毎日代官山には行かない。海は近いけれど、意外と海辺のドライブなんて行かないし、今のところ一緒にディナーデートをしたい相手もいない。
さらにコロナの影響をじわじわ受けていることで、あまり目立った外出もしていないし、遊びたい盛りの姪っ子(2歳)と遊ぶことが多い。
すると、一気に理想から遠ざかり、動きやすい・着心地が良い・歩きやすい・汚れても悲しくない服を選んでしまうんです。
さて、逆にこういう日常をイメージして買ったのはどんな服だっただろう?
そう、みんな大好きユニクロの服なんです。
ユニクロで服を選んだ時には、この日常を想定して買ったものだから、すんなり着れてしまうんです。
なんなら、毎日着てしまうくらいにしっくりくるし、安心してしまうんです。
だけど、その安心感に甘んじると、いつの間にか一張羅が似合う自分の旬の美しさを逃してしまう!
ユニクロは、いろんな人の『日常生活』に寄り添ってくれています。だけど、ユニクロは歳をとっても、みんな似合う。
でも、一張羅は今だから似合うかもしれません。
一張羅の違和感を、ちゃんと感じよう。
「一張羅が着れない」、理由がはっきりしたら、なんだか明日は一張羅が着れそうな気がしてきました。
好きな服を着ているときには自己表現の勇気が湧いてきますよね。
みんなと同じユニクロを着ているときよりも、わたしにとっての特別な服を着ていると自身が湧いてきます。
するとアイデアも湧いてきます。
自分を好きになれるから。
クリエイターとしての源が潤ったように、やっと元気が湧いてきます。
すると、気づきました。
わたしは誰かが一張羅を着たくなる体験をつくりたいんだった。
コロナと営業力不足によって、しばらくフードパフォーマンスをしていなかったことですっかり元気をなくしていたけれど、一張羅を着ていると創作意欲が湧いてくる。
日常には似合わない違和感を感じることは、クリエイターにとって、源。
安心感ばかり求めていては、刺激的な創作はできないものね。
忘れてたなぁ。
みなさんも、明日は一張羅を着ませんか?
Live, Love, Laugh, and...Be HAPPY.
2020.06.25
Mineko Koyama
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