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握りしめた手を放して

大きな体験があった。
私が今から話すことと同じことを言っている人は山ほど居るだろし、斬新な発見ではないとは思うけど、私の体験を通して伝えることで誰かの気づきになるかもしれない。そう思って、この感覚を忘れない内に書いておきます。

私のnoteを読んでくださっている人はご存知だろうけど、私は去年彩雲に見惚れて左足靭帯損傷をした。

その時はその時でピンチだった。休職しなければならず収入がストップ。それでも傷病手当などで何とか乗り切った。10月に仕事を復帰してから半年。動けるようになったらなったでお金はいるし、動く用事が増えたらお金はかかる。足の大事をとって働く時間を減らしている為、またしても金銭的なピンチが訪れた。もう何度目だ。吉本新喜劇のお決まりキャラみたいになってないか。

こんなに同じことを繰り返してしまうのは、何かしらの意味があるんじゃないかと思った。可哀想で大変な私を条件反射で演じてるみたい。このパターンにハマる時、私は根本的なことを見ずに何とかしようとしてるんじゃないか? それで何も変わらないんじゃないか? そう思い、意を決してFacebookでこんな投稿をした。

吉田峰子よりお願い🙏

何かわからんけど、4月後半からイベント目白押し!! 水面下でめちゃくちゃ動いていて、今のところ決まっているものをこの後の投稿でお伝えしますが、本決まりではないけどやる予定のイベントもあります。

そこで実はめちゃくちゃ恥ずかしいけどお願いがあります。

私に活動資金を与えてください!!

左足靭帯損傷後、働く時間が短くしたけど勤務時間を延ばした方がいいのでは?と考えると、何故か左足が痛んだりジワジワしたり、ギターの弦を押さえられなくなるくらい手荒れがひどくなります。

他のバイトを探したらいいのか?とも思ったけど左足のこともあるし、最近父が転びやすいこともあり長時間家を空けるのも気になる。

なのに何故か私が主催になったり、イベントのお誘いの声がかかる。1番のネックは交通費。できれば私に声がかかったお誘いは応えたいのだけど、今の仕事のお給料だけだと足りなくてお断りした案件もありました。だけどもう、私がやりたいこと、受けたいことを、自分の稼ぎの無さを理由に諦めてお断りしたくないなと思いました。

私の経済観念がおかしい部分もあるとは思うけど、そこを改善して我慢して…ってやればやるほどおかしくなる。ならば突き抜けてみようかと!

吉田峰子にもっとイベント主催したり、イベントに出てほしい、ちょっと応援したいと思ってくれる方が万が一いたら以下の口座に振り込んでいただけると私が喜びます。

私が喜んでいろいろ動いていくだけではあるし、こんなこと言うの詐欺みたいで嫌だなぁとか、私ががんばってないだけやん!とも思いましたが、勇気出して言ってみることにしました。

よろしくお願いします!

……………

吉田峰子 活動応援先▶︎

◯三井住友銀行 門真支店 
普通口座 4075508

吉田峰子

◯ゆうちょ銀行 普通預金
記号 10010-2
番号 11198811

吉田峰子

狂ってますよね? 全世界に自分の口座番号をオープン投稿。Facebookには怪しいアカウントもたくさんあるし、誰が見てるのかわからないのに。でもやってみた。知人が同じような投稿してるのを見て、「甘すぎないか?」とか「そんなんで振り込んだら、この人つけ上がらないか?」とか「まずは自分の仕事ややりたいことへの努力を見せろよ」とか思っていたんです、私は。だけどやってみた。怖かった。バカにされるんじゃないか、呆れられるんじゃないか、軽蔑されるんじゃないかと思って。

気持ちがザワザワしたまま一夜明け、何人かの方から振り込みがあった。驚いた。自分で書いた癖に「そんなことあるのか?」と思った。そして、その時に最初に湧き上がった感情は喜びではなく申し訳なさだった。「何もしないのにお金もらえてラッキー♡」という人間になってしまわないかという懸念もあったがそうはならなかった。

振り込んでくれた人たちは決して裕福な人たちではない。シングルマザーやシングルファザーの友人。自分の好きなことをしながらも働いている人。自助グループを主催している人。お祖母様とお母様の看病をひとりでしてきた人。そういう人たちから振り込みがあった。気持ちがザワザワしていろんな感情が湧く中で、お金の重みやありがたさを金額以上に感じた。私の中にあった浮ついた気持ちは失せ、「お金を大切に扱おう」と思った。

気づいたことがある。知らず知らずのうちに、私の安心=お金になってた。お金の不足を感じると恐怖と不安に飲み込まれた。コレは私だけではなく、私の母や母の家系に強く見られる傾向でもあり、それがすごく嫌だった。

ザワザワとする心や感情を感じている内に、私の中から湧き上がる想いがあった。私が小学2年の時に交通事故に遭い、多額の保険金がおりた。その保険金を父が使い込み、さらに借金が膨れ上がっていた。何かの拍子でそれが発覚し、母は親戚中に頭を下げてお金を借りていた。そしてそのお金のやりとりの電話で、母がこんな話をしていたのを聞いた。

「あの子のせいであの人はおかしくなった」

あの子は私であの人は父だろう。私の事故のせいで父はおかしくなったと話していた。母は何の気無しに話していたんだとは思う。父が何に使ったのかわからないまま頭を下げなければならない辛さの中で出た言葉だとは思う。だけど当時の幼い私には「私のせいで」という言葉が重くのしかかった。その頃の家族内には冷ややかな空気が流れ、ギスギスして居心地が悪くて息が苦しかった。そのぜんぶが私のせいなのか。

高校生の頃に突然母が実家に帰った。いきなり家事全部を私がすることになり、慣れない家事に戸惑いながら何とかやるけどうまくできない。父から「お前は高校生になっても味噌汁ひとつできんのか!」と怒られ、兄から洗濯物がなってないと怒られた。日曜日の昼にハンバーグを作った際、兄の友人が来ていて「友達が来てるのにそんなもん食えるか!」と怒鳴られた。心細くても誰も助けてくれなかった。その間に中間テストがあったが成績は悪かった。家に帰ってきた母に成績を見せるた時、「何なのコレ」と言われた。「家事が忙しくてあまり勉強ができなかった」と答えると「そんなの言い訳でしょ? アンタが努力してないだけじゃない」と言われた。

その時に何かが凍るような感覚があった。「私のせいだから、誰も助けてくれないのか」「私のせいだから、酷いことを言われても耐えなければならないのか」「私のせいだから、どんなに嫌なことも我慢しなければならないのか」強烈にその時の思いが自分に刻まれた感覚があった。その感覚をしっかり握りしめた。それを忘れてしまうと、また嫌な思いをする。「嫌な思いをしない為に忘れてはいけないんだ」と、どっかで思って握りしめたんだと思う。本当は怒りたいし泣きたいし怖いし助けを求めたいけど、私の気持ちは誰にも受け止めてもらえないし助けてもらえない。私のせいだから。そう自分を責めて、自分を無力にして、感情を感じないようにずっと握りしめていた。

もうその握りしめた手を放そう。

お金の無心をオープン投稿してみて、バカみたいだし惨めだったかも知れないけど、助けを求めたら助けてくれる人がいることがわかった。必死に握りしめていたものを手放して、もう自分を責めなくていい。私のせいだって、もう思わなくていい。簡単にしあわせになっていいんだ。そう思えた。

もちろんこの話は私から見た景色だから、家族には家族から見た景色があるだろうし、私が必要以上に大袈裟に捉えていた部分もあるだろうし、私が何一つ悪くない訳じゃないだろうとは思う。それでも私の気持ちをもっと大切にして、我慢せずに助けを求めていいんだと思えて嬉しかった。大きな心の重石が取れた気がする。

怖くて固く握りしめていたものを手放して、心置きなく自分のしあわせに素直になれたら変わっていくのかな。しあわせに素直に動けるようになれたら、何か変わっていく気がする。

私の助けに応じてお金を振り込んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。お金は愛やエネルギーなんだということを実感して理解できました。私にとってすごい体験だった。私は可哀想じゃない。この感謝の気持ちで動いていきます。


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