僕でも、経営者になれました。
皆さんこんにちは。ポジティブ経営者こと野田です。毎度お馴染み的にいってますがまだまだ知られていません(笑)
さて、今回は僕が飲食店開業してから現在に至るまでをお話しさせて頂きます。皆さんにメリットは・・・ないかな(笑)
けれど、こんな人間が飲食店してるんだぁ。もしかしたら私もできるかもぉって思える内容かもしれませんので興味のある方は読んでみてください。
性格があだとなる?1店舗目の開業
飲食店に勤めて4年。理由はともあれ、ある日突然仕事を辞めた。20代半ばでいきなりの無職でした。貯金はなかったのですが、仕事には別に困りませんでした。ありがたいことに、飲食店でホールをしていたので他業種に渡り、お誘いを受けていました。
しかし、やりたいことも特にない。突然やめたので多少の常連さんには挨拶を。と言うことで、常連さんの美容室へ。
普段通りに切ってもらいながら辞めたことを報告。当然のようにこれからどうするのか聞かれました。
「ん~特に決めてないですけど実家に帰って農業でもしようかと」
そんな言葉を無視されて、美容室のオーナーにさらっと言われました。
「自分でお店したら?」
意外かもしれませんが考えていませんでした(笑)話だけでもしてみたらと言うことで美容室のオーナーにその場で不動産屋さんを紹介されてその日2人で不動産屋さんへ。
その場で物件が決まってしまった。
けれど20代半ば無職、貯金無しの僕に不動産屋さんから
「お金あるの?ないなら銀行員紹介するから話してみたら?今から呼ぶよ」
その日に銀行員とあって事情を説明。事業計画書を書くことになった。
断れないというか無謀というか思い切りがいいのかあれよあれよで話が進んでしまいました。
「僕と人」「人と人」を繋ぐカジュアルレストラン
年末前に事業計画書を銀行に提出。もちろん書いたこともないし、借金をするなんて考えてもいませんでした。そもそもお店を出すとも思っていなかったのですが(笑)
年が明けてすぐ銀行からの連絡で融資OK.1週間後に振込。
「いや・・・、早っ!!来月には返済始まるじゃん」
そこからが大変でした。まさか通ると思っていなかったのでバタバタ準備をしました。とりあえず僕にできること・・・・
・料理はパスタとピザとデザート
・親しみやすいと言われた接客
これぐらいしかないのかと思いましたがもうやるしかありませんでした。
これから何をするにしろもっと多くの人と出会いたい。僕自身多くの人と出会って変わったのをみんなにも体感してほしい。
これが1店舗目のテーマでした。
そして、元々裕福でもなく育った僕は、お金がなくても平気。物欲やこれといった趣味もないのでお金をつかうことが少なかったので、数百万の借金なんて車を買ったぐらいの気持ちでお店がダメなら辞めて工場でも行こうぐらいの気持ちでした。
経営なんてしたことも学んだこともなかったですし、とても順調とは言えない経営ぶりでしたが最初のテーマ通り多くの出会いがありました。
お客さんとお客さんが出会い結婚
お店でプロポーズした方
毎年記念日に利用してくれる方
他業種の経営者と出会い事業拡大
そこで結婚した夫婦は今でも付き合いがあります。それ以外でも多くの付き合いが今でも継続しています。
そして、多くの経営者と出会えたことで2店舗目の開業が決まりました。
「僕と故郷」「故郷と日本」を守る個室居酒屋
1店舗目からおよそ5年。隣町にて今度は業種を変えて、居酒屋をオープンしました。1店舗目は2人ぐらいで回せる小さな店舗でしたが2店舗目は規模も拡大して開業した。
色々な諸事情で大分県から出たことがない。他県へ出たい憧れや目標はありますが、やっぱり故郷も大切。故郷の為に何かできる事があるんじゃないかと思い、郷土料理や地産地消、大分県の素晴らしさを発信し、残していく。
これが2店舗目のテーマとなりました。
業種が違い、規模も違だけでこんなにもうまく回せないものかと思いました。それでも、誠心誠意お客様に尽くす。僕たちはこういうお店です。まだまだ成長しますって言っているとみんなが助けてくれます。
お客さんだけでなく、従業員にも沢山支えられ、お店は軌道へとのっていきました。
結婚と決断
そんな中、2店舗目を開業して僕に結婚の転機が訪れました。結婚後すぐに妊娠。子宝にも恵まれました。妊娠中も、出産後も妻にはお店に出てもらい随分と苦労をかけました。
朝から1店舗目と2店舗目を往復する毎日。子供と過ごせる時間は少なかったのですがお店は順調でした。
そんなある日。1店舗目を任せていた従業員から独立したいとの提案が。僕が1店舗目に常駐すれば問題ないのですが2店舗目に顔を出しづらくなる。家族との時間がさらになくなる。僕の脳裏に店舗の閉鎖がよぎりました。
沢山の出会いを見せてくれた店舗
沢山の事を学ばしてくれた店舗
沢山の出会いをくれた店舗
初めての店舗
それでも決断の時期は迫ります。僕は閉鎖の決断をしました。2店舗目の居酒屋のみでやっていくと。
名残惜しい想いもありますが後悔はありません。そして、また同じような出会いがある店舗はまたするつもりです。
その店舗の最終営業日は僕1人で営業しました。貸し切りでお客様は妻と子供。最後のお客様は家族です。僕が作るパスタが大好きだって言ってくれる妻に最後のパスタを作りました。自分で言うのもあれですが、本当にいいお店だったと思います。
年収が日本の経営者上位8%だって知る
自分で開業してから10年。1店舗目はもうないですが2店舗目は右肩あがりに成長しています。自分の支払う税金に愕然としますが(笑)
さらに、1店舗しかないのに、2店舗していた時より集中して働いくせいか、余計に家にいる時間が減りました。
ある日。
「飲食店でこれだけ売り上げて、これだけの年収を稼ぐってどうなんだろう」と思い、Google先生に聞いてみました。
びっくりですよね。同業種で僕と同じぐらいの年収の人って8%しかいないって。うちのお店って実は凄いんじゃないだろうかと感じました。皆さんも同業種の年収調べてみたら面白いかもしれませんよ。
もちろん上には桁違いに稼ぐ人が沢山いるのしょうが、僕は1店舗で上位に入れたのが驚きでした。
年商がいくらとかは関係ないんですよね。売り上げがいくらあっても利益なかったら同じですし。かと言って原価を抑えたり、人件費をけちっても長続きしない。逆に原価をかけて、人件費を上げたほうがお客さんも従業員も理解してくれるんです。
家族に支えられる
僕がこうして仕事に専念できるのは家族のおかげです。妻が家の事をしてくれる。子供の事もしてくれる。僕は家の事何もできませんでした。
感謝しかありません。
そして、世がコロナで経済が最悪の状態となりました。もちろん僕の店舗も売り上げは下がりました。
店舗休業もしましたし、従業員にも休業してもらいました。そんな時に一緒に頑張ってくれるのもやっぱり妻です。
従業員も数カ月間の休みを経て、復帰をしました。
従業員が成長してくれる
このコロナのせいで売り上げは下がりましたが嬉しいこともありました。それは、従業員が育ったこと。2人の社員がいるのですが色々考えてくれる。まだまだ粗削りだし間違っていることもあるけれど、今は任せてみようと思います。
任せられるとやっぱり責任感が出ます。本人ではないのでわかりませんがきっとそうだと思います。
成長してくれるんです。
※ここは今後重要になってくるので別記事で詳しく
従業員が成長することで僕自身が楽になりました。自分で使える時間が増えました。
なので今では専業主夫に近い形で子守をしています。保育園の送り迎え、お風呂、ご飯で一緒に寝ます。まぁ家の事は相変わらずできないのですが(笑)
そして自分の時間が増えると言うことは新しい事業に取り組めるということです。その新しい事業のスタートに向けていまから進んでいこうと思っています。
これが飲食店に携わる部分の自己紹介です。簡単にではありますが最後まで読んでいただきありがとうございました。
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1人で開業して、ずっと独身生活を送ってきたので全て1人でできると思っていました。しかし、従業員、嫁に支えられ、今では子供にも支えられている気がします。1人の力には限りがある。1人でも応援してくれる人がいればずっと頑張れるんだと自覚しました。よかったらサポートしてもらえませんか。