見出し画像

人間の最大の罪は、不機嫌である



わたしが意識している3つのことのひとつが

機嫌よくいること


これは、どれだけムカついたことがあっても
嫌なことがあっても、
不機嫌な自分を周りに出さないとイコール


自分自身で実験もした。
プライベートで人にムカつくこと、イラッとすることは滅多にないから、職場で。

職場ではわたしは基本的にニコニコしていて
自分から声かけをしたり、
作業が思い通りに行かずイラッとした時も
ぐっと抑えて切り替えるようにしてる

「それさっきも言ったよね〜〜〜?!」
ってことがあっても、そのイラッの感情を
相手にそのままぶつけることは絶対にしない


けど、それをなんでわたしがしなきゃいけないの?
と3、4月と思っていた時期があった。


別にわたしだけがそうする必要はないよね?
周りは不機嫌を大いに表してきて
うまく行かないことがあると物に当たる人もいる中で
なんでわたしだけ??

って。


だから、ある一定期間
用事があればもちろん話すけど、
今までしていたように常に機嫌よく過ごす
ことをやめた。

そうすると職場の雰囲気が一気に変わって
(もちろんよくない方に)
そしてまた、この空気を作ったのはわたしか…
と自分を責めたりもしてた。

それで
自分が機嫌よくいることはだれかのためじゃなく自分のためだったんだ
って気づいた。

わたしはそうゆう自分でありたかっただけ、
そしてそれがわたしの役割なんだ
不機嫌を表している人はそうゆう自分でいたいだけ

って考えるようにした。

それで5月から今まで通りの自分の役割をしよう!って改めた。


別にわたしだけがそうする必要はないよね?
周りは不機嫌を大いに表してきて
うまく行かないことがあると物に当たる人もいる中で
なんでわたしだけ??

多分こう考えていた時は、
「自分のために、自分がそうしたくてやっている」
ってことを忘れてた。
自分のことを見ていなかった。

だから、そうしない周りに余計イライラしてたけど
自分で全部解決させちゃえばよかったんだ。


誰かのために、機嫌よくいるんじゃなくて、
自分のために、そうする。
その視点を忘れてた。


ゲーテも言ってる通り、
「人間の最大の罪は、不機嫌である」

不機嫌は不機嫌をよぶ。
それは全然幸せな循環ではない。

不機嫌を誰かにどうにかしてもらおうとする姿勢。
自分のこのムカつきを察しろよという姿勢。
そんな姿勢だと、だれもあなたのために動こうとしない。


いいことがなくたって、
悪いことがおきたって、
それでも人と人が関わる場面では
いい機嫌でいる。

そうすると、いいことが起こって、
悪いことさえもいいことになるかもしれない。

不機嫌はチャンスも運もタイミングも逃してる、
って職場の不機嫌さんを見てて思う。


人のふり見て我がふりなおせ。

機嫌のいい自分でいたいから、今日も明日も、
わたしは機嫌のいいわたしで過ごすんだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?