先日の記事で、腸活の一環として朝日を浴びると良いらしいと書いた。 朝日を浴びるのは、メラトニンの生成を抑えて体内時計をリセットするという意味もあるが、日光を浴びることでセロトニンの分泌を促す意味もあるそうだ。 このセロトニンという物質、心身を穏やかにし、眠りを深めるなど、人が気持ち良く生活するために必要なものらしい。 脂肪も溶けてなくなればいいのに!と思ったのは私だけだろうか。 セロトニンの効用を知って、noteの初記事から書き綴っていた抑えようのない寂しさとか、家族へ
今日は暑さにやられてしまいました。 朝ベランダで洗濯物を干すだけで汗が滴り落ちる。 地球はどうなっちゃうの? 洗濯物はよく乾くんですけどね。
「からだ改善計画」その2 この前唐突に始まって、続くのかどうかも定かでなかったが、今日はめでたく2回目の記事をアップしようと思う。 第1回はこちら。 私の胃腸の弱さと言ったら! 何を食べても「食べたらお腹が痛くなるんじゃないかな」と不安になるし、いつトイレに行きたくなるか分からないので外出もままならない。 だいたい、好きなものを美味しく楽しく食べられないなんて、生きているかいがないじゃないか。 まずは胃腸を整えることが、「からだ改善計画」の第一歩だと考えた。 そもそ
noteを始めて10日以上が過ぎたけど、特に書くこともない日でもついつぶやいてしまう。 ◯日連続投稿しました!とnoteが褒めてくれるから。 そういえば、ラジオ体操も休まず通ったっけ。ハンコがもらえるのが嬉しくて。 私、チョロい。
「キングダム〜大将軍の帰還〜」を観てきました。 個人的には、昭王のキャスティングに納得!
今日は長男のことを書こうと思う。 現在、都会で一人暮らしをしている長男は、盆と正月しか帰ってこない。 子供の頃から読書やゲームが好きで、自分から進んで人と関わろうとしない。 多分人が嫌いなわけじゃなく、口下手ゆえに無理に人と話すより一人でいた方が気が楽なんだと思う。 話題が広がらないのは夫と似ている。 子供の頃一緒に行った旅行の思い出を語ろうにも、覚えていないと相手にもしてくれない。 LINEをしても、いつになっても返信がない。 せめて既読をつけてくれないと、こちらは心配
久しぶりに帰ってきた息子が「これ、もう見た?」と見せてくれた。 初めて見た〜!
子供の頃から胃腸が弱い。 今まで何度このフレーズを使ってきたか分からない。 自分にとっては厄介な問題だし、生活や性格に大いに影響を与えている気がする。 冷たいものはもちろん、脂っこいものも食べるとすぐにお腹を下す。 牛乳もコーヒーもラーメンもNG。 給食は辛かった。 給食は残しちゃいけないと思い込んでいた小学生の私。 牛乳を飲むと5時間目の授業は地獄だった。 中学生になると、最初から食欲旺盛な男子にあげていた。 牛乳もコーヒーもラーメンも決して嫌いなわけじゃない(むしろ好き
今日も暑いですね。 今日は、音楽鑑賞に行ってきました。 生の楽器演奏はやっぱりいいですね。 心が洗われました。
突然だが、夫は大酒飲みだ。 毎晩晩酌は欠かさない。 一晩に500mlの缶ビール(性格には発泡酒)を4、5本飲む。 そして、飲んでいる時に話したことをほぼ覚えていない。 翌日、伝えたはずの話が全く伝わっていなくて愕然とする。 なので、大事な話は飲酒中にはしないことにしている。 そしてもう一点。 夫はまったく気がつかない人だ。 私が美容院に行っても新しい服を買ってもノーコメント。 それに関しては常々苦言を呈していた。 もっと妻の変化に気付けよと。 その2点を踏まえて今日の話を
今日は左目が充血している。 というより、血管が切れてる??? よく母の目がこうなっているのは見たことがあるが、自分の目は初めてだ。 いよいよ「加齢」も極まれりというところだ。 ネットで検索すると「結膜下出血」という症状らしく、原因は様々だが、数日で吸収されるのであまり心配はいらないらしい。 目は起きている間中酷使しているから仕方ない。 特にPCやスマホ、本を注視することが多いから疲れ目にもなるだろう。 くしゃみや咳などでも発症することがあるらしいから、どんだけ血管がもろくな
さびしさの原因3つ目は、決して目を背けることができない「加齢」だ。 (「かれい」と入力したら「華麗」と出てきた。そっちなら良かったのに) 60になるだいぶ前から年による衰えは感じていた。 感じまくりだった。 もともと胃腸が弱いので体力もない。 仕事や好きなことに傾けるエネルギーが人より断然足りない。 若い頃は気力で保っていたが、年をとってどうにもならなくなってきた。 老眼もやっかいだ。 手元で細々したことをやるのが好きなのに、手元がどんどん見えなくなる。 近眼なので眼鏡を
「60歳はさびしい」のさびしさの原因の2つ目にして最大のものは子供である。 ひとつ目はこちらをお読みいただきたい。 * * * いつか子供は離れていくもの。かつて自分がそうだったように。 分かり切ったことだが、人生初めての体験にやはり人は慣れないものである。 今までの経験上、去る立場の人間はそこまでダメージが大きくない。 さびしさ以上に、新しい生活への期待や気構えがあるからあまりさびしさを感じる暇がない。 でも、去られる方は、今までの生活からその存在だ
昨日のとりとめもない文章に「スキ」をいただいて、少なからず驚いている。 noteは優しいところだなと思った。 今日は昨日の記事を踏まえてのものなので、良かったらそちらを読んでから読み進めていただきたい。 * * * 昨日の記事を踏まえて、なぜ今日は「年をとってからの親とのつきあい方」なのか。 それは私のさびしさの原因の一つが「親」に違いないからだ。 父は3年前に87歳で亡くなったが、母は今年85歳、年の割に若く見えるし元気である。 元気で何よりだが、ここ
6月に還暦を迎えた。名前の由来はそこである。 人生の一つの節目だ。いや、かなり大きい節目だ。 昔だったら、赤いちゃんちゃんこを着て来し方を偲ぶところだろう。 でも、今時は特段祝うほどの年齢でもない。 人生の先輩方は山ほどいる。 しかも私などよりよっぽどお元気でいらっしゃる。 60年生きたくらいではまだまだ若輩者である。 そうは言っても60年はそこそこたいした年月だ。 その間自分はいったい何をしてきたのだろう。 学生の時はそれなりに学業に励み、大人になってからは仕事と育児に大