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子供っていう存在は

「60歳はさびしい」のさびしさの原因の2つ目にして最大のものは子供である。

ひとつ目はこちらをお読みいただきたい。

*     *     *

いつか子供は離れていくもの。かつて自分がそうだったように。
分かり切ったことだが、人生初めての体験にやはり人は慣れないものである。

今までの経験上、去る立場の人間はそこまでダメージが大きくない。
さびしさ以上に、新しい生活への期待や気構えがあるからあまりさびしさを感じる暇がない。
でも、去られる方は、今までの生活からその存在だけがぽっかりと空いてしまうのだ。
気を抜くとそこにいるような気がして、いないと気づくと更に虚しい。
世間では空の巣症候群と言われるらしい。

子供っていう存在は一体なんなんだろう?
昼夜構わず世話をかけて人を振り回し、面倒なことこの上ない。
それはある程度成長しても一緒に住んでいる限りあまり変わらない。
現在、二人の息子はそれぞれ一人暮らしをしている。
いなければこんなにも心安らかに過ごせる。

でも、もう私の手は必要ないんだ、これからは別の人と生きていくんだと思うと想像を絶するさびしさを覚える。
生まれてきたと思ったら、今までに味わったことのない幸福感や絶望感をジェットコースターのように味合わせてくれて、たった十数年で離れていく。
その間、いい思いをいっぱいさせてくれたんだからもう十分という考え方もある。
ただ、味をしめさせておいてもう打ち止めだよっていうのはあんまりじゃないか。
それを上回る幸福を見つけ出すのはなかなか至難の技である。

思えば育児とは、大変だ大変だと言いながら、その最中には気づかない幸せのシャワーを浴びている期間のことなんだろう。
今は、年に数回帰ってきては食事だ洗濯だとやっぱり世話をかける子供とのほんの短い時間を楽しみに、古いアルバムをめくるように昔を偲んで過ごす日々。
しかも離れているから心配しないわけじゃないのだ。
そしてこの心配は生きている限り続く。

人間、暇になるとろくなことを考えないから、子供の世話に手を焼いているうちが花である。
と思えるのも子供の手が離れたから言えることなのだが。

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