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60歳はさびしい | 自己紹介を兼ねて

6月に還暦を迎えた。名前の由来はそこである。
人生の一つの節目だ。いや、かなり大きい節目だ。
昔だったら、赤いちゃんちゃんこを着て来し方を偲ぶところだろう。
でも、今時は特段祝うほどの年齢でもない。
人生の先輩方は山ほどいる。
しかも私などよりよっぽどお元気でいらっしゃる。
60年生きたくらいではまだまだ若輩者である。

そうは言っても60年はそこそこたいした年月だ。
その間自分はいったい何をしてきたのだろう。
学生の時はそれなりに学業に励み、大人になってからは仕事と育児に大部分を費やし、気がついたらこの歳になっていた。
子供はすでに親の保護を必要とする歳ではない。
3年前に父を見送った母は、弟夫婦と同居しており、差し当たっての心配はない。
夫と二人の生活は気楽である。

しかし、暇なのだ。
ときめきが何もない。
可愛がる孫もいなければ、推しを追いかける体力も経済力もない。
子供は自分の生活に手一杯で、用事がない限り実家に寄りつかない。
好きな読書をしていても、昔のように時間を忘れて没頭する集中力すらなくなっている。
何の充実感も持てない時間だけが、サラサラと流れていく。
この先死ぬまでこうなのかと思うと、さびしいなぁと思う。

誕生日を迎えるまでは「いよいよ還暦だ〜」とちょっとワクドキする自分がいた。
いざ当日になると、周りからのお祝いの言葉が「お誕生日おめでとう」ではなくなぜか「還暦おめでとう」だったのが、腑に落ちなかった。
一気に歳をとったように思えた。
「還暦」と言われるたびに気持ちのHP(=Hit Point)を削られる気がした。
この虚しさは何なのか。

まだまだ元気な親世代からは、いまだに「若者」扱いされ、子供世代からはいい歳の「老人」扱いだ。
何か世界からつまはじきにされているような気分になる。
60代はさびしさで始まった。

でも、このさびしさの正体(もしくは原因)が何なのかおぼろげながら見当がついている。
毎日少しずつ降り積もる不満。
自分が少しだけ我慢すれば何事もなく丸くおさまるもろもろのこと。
それが、容量の少ない私の心の器から溢れそうになっているのだ。

若い時は我慢できた。
まだまだ自分には未来があったから。
いや、若いが故に気づかなくて我慢する必要もなかった。
歳を重ねた今になって分かることもある。
もしかしたら自分の親も、かつて同じさびしさを抱えていたのかもしれないということを。
年の功で気づいてしまうがために我慢してしまう。
でも心の器は小さいままだ。

そんな自分を慰めるためにnoteを書くことにした。

《読んでくださった方へ》

最後まで目を通してくださり、ありがとうございます。思い切り自己満足のためのnoteです。読む人にとっては何の得にもならないだろうけれど、これも何かの縁と思ってこれからもおつきあいいただければ幸いです。

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #自己紹介 #初めてのnote

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