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"加齢"はもうどうしようもない
さびしさの原因3つ目は、決して目を背けることができない「加齢」だ。
(「かれい」と入力したら「華麗」と出てきた。そっちなら良かったのに)
60になるだいぶ前から年による衰えは感じていた。
感じまくりだった。
もともと胃腸が弱いので体力もない。
仕事や好きなことに傾けるエネルギーが人より断然足りない。
若い頃は気力で保っていたが、年をとってどうにもならなくなってきた。
老眼もやっかいだ。
手元で細々したことをやるのが好きなのに、手元がどんどん見えなくなる。
近眼なので眼鏡を外せば見えるのだが、そうするともちろん遠くは見えない。
焦点のスイッチがすぐに切り替えられないというのは、こんなに集中力が削がれるんだと知った。
最近になって気が付いたのが、常に頭のどこかに「焦り」があるということ。
年を取るということは、気力体力が減退するだけではない。
人生に用意されている残り時間がどんどん減っているということだ。
自分なりの夢がなかったわけではない。
40代くらいまでは、まだなんとかなるとうっすらとした期待はあった。
頑張っていればいつか結果がついてくると。
でも、50代を過ぎ、60代を迎えた今となっては正直諦めの方が強い。
それでも完全に諦められないから、ここ数年はずっと足掻いている気がする。
そして、何かをしている時でも「今これをやってる場合じゃないのでは?」と急に思い立って別のことを始めたりする。
結果、何をしていても没頭できないし常に焦燥感が付きまとう。
若者が心ゆくまで惰眠を貪れるのは、もちろん寝るためのエネルギーが有り余ってるってこともあるけれど、時間が無限にあるからだ。(正確に言えば無限じゃないけど)
年を取ると、時間がもったいなくて寝ていられなくなる。
自分にはもうあまり時間が残されていないんだ!とがむしゃらに何かしたくなる。
でも差しあたっての目標もないので、何をしたらいいか分からない。
結局、焦りと不燃焼感ばかりが募る。
こんなことばかり考える歳になってしまったことがさびしい。
これは性格にもよるんだと思うけれど。
私はいったいどうしたらいいんだろう?
とりあえず、さびしさの原因は分かってきたので、どう立ち向かっていったらいいか考えていきたい。
さびしさの原因、1つ目と2つ目はこちら。
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