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非認知能力(≒姿勢)を身につける その1

今、通信制大学を使って教職を目指す人たちに呼び掛けて、教員免許科目を題材に、自主ゼミ・自主PBLというのか「学びの対話会」のようなものを開ないか考えています。参加者をどう集めるかも、内容をどうするかも、なかなか決めれず悩んでばかりですが、そんな中、ひとつのnoteを読みました。

小学校教育のと、大学での学びは、条件の面でいろいろ違ってくるものですが、共通するところや繋がるところもあるように感じました。

それぞれが繋がりを感じるキーワードは、『非認知能力』です。(ただ、どうも僕の考えているものは、一般的に“非認知能力“と表現されているものと一致しているとはいえなさそうですが。)

筆者のJUNさんとnoteを通したやり取りで、触発されたこと、気づきなどを、自分自身が通信制大学の授業でえた学びとも結びつけて、また言葉にできればと思います。

「なんで、勉強しないといけないの?」

JUNさんには、いつも触発と気づきをもらっているだけでなく、前に書いた「学びの方法としての『対話』』というnoteにもコメントをいただき、ほんとに有難いことです。

大学の授業でもしばしば話題にのぼっていたことでもありますが、JUNさんとのやり取りの中でも、問題解決学習(アクティブラーニングやPBLとか)が推されているけど実践するのは難しいといった話が出ていました。

実のところ、僕も、学校の授業を講義型からアクティブラーニングに入れ替えていくべきとは思いません。講義を聞くというのも、学び方の一つです。

それに、インプットがなければ、アウトプットもないですし、そもそも調べ学習や問題解決型学習をすれば、皆が皆、“主体的” になるわけでもありません。「班を作って、○○について調べましょう。皆んなで、発表しましょう」だったりすると、むしろ、「どうやって逃げ出すか」が最大のテーマになる子もいるのではないでしょうか。

そして、講義型だから悪いわけでも、だからツマラナイわけでも、ありません。ただ、教科の講義 だけしか 受けたことがないと、子ども達には学び方や “学びの姿勢” を身につける機会がない、ということなのではないかとは思っています。

もっとも、個人的にPBLなどアクティブラーニングとして考えられた学習法は「面白いもの」だとは思ってます。

ただ、だけど、今必要なのは、優れた学習法や教授法ではなく、「なんで、勉強しないといけないの?」という問いに、子どもも大人も真っ向勝負で “対話” する時間を持つことじゃないかと思うのです。

大人にだって、「わからない」。だから良い、それが良い

ところで、「なんで、勉強しないといけないの?」に、まともに答えられる人っていうのはいないんじゃないか、と思います。この “まとも” というのは、持論の押し付けでもなく、一般論でもなく、目の前の子どもが必要としている “答え” を答えられるという意味でです。

学歴が生涯賃金に影響することは統計データでも出てますし、「将来の仕事の選択の幅が広がる」というのにはうなづけるものがあります。ただ、実際に賃金や選択権を、誰かに保証してもらえるというものでもありません。

また、「勉強する理由」も、ひとそれぞれのものでしょう。そこで求められているのは、反論できない正論とやらでも、国やら権威やらが認めた正解でもありません。その子本人が、自分なりに「納得できる答え」です。

そして、「納得できる答え」は、自分で見つけるしかありません。誰かに教えてもらえたり、与えてもらったりするものでもありません。“真っ向勝負で” などとは書きましたが、大人や教師であっても、その出来ることは考える機会をもうけたり、“対話” したり、本人の振り返りに寄り添うことくらいです。自分自身も、「わからないけど、知りたいと思っている一人」として。

思えば、「わからない」と言えないがために、大人は「いいからやれ!」と逃げたり、正論っぽい一般論でごまかしたりしていないでしょうか。そうではなく、自分も真剣に悩んで考える。という意味での ”真っ向” です。

「わからないけど、一緒に考えよう」は、実際に教える立場にあるときには言いにくいことかもしれません(保護者や社会の目もありますし、先生生徒という関係をある意味変えてしまうことではあります)。

だけど、それを言うことができれば、子ども達にも「世の中には“正解のない問い”がある」ということや「『わからない』ということは悪いことじゃない。それを受け入れられば『学び』の出発点になる」といったメッセージが、なんとなくであっても伝わっていくのではないでしょうか。

正解のない「なんで、勉強しないといけないの?」といった ”問い" について考え、対話することは、子ども達が “学びの姿勢” を身につける機会にもなるのではないかと思います。

もし、学校教育にアクティブラーニングを取り入れるのなら、全ての授業のやり方を変えてしまったりとかでなく、そういった時間を持つことからなんじゃないかと思います。

いったん、まとめ

僕には、まだエビデンスのある確かな学習法や教授法といったものは分かりません。そもそも、試す現場も持ってません。

でも、非認知能力や学ぶ力、社会情緒的スキル、そういった学力やIQ以外のものや、それらの前提となるような条件に注目が集まりながらも、まだまだ、子ども達は、「わからない」ということや「疑問を持つこと」を否定されているかのような環境に置かれている気がします

本来は。わからなかったり、疑問を持てるからこそ、知りたい何でだろうと思えるものです。

それに、「わからない」という不安定な状態を受け入れられるからこそ、自分を振り返ることもできる。学びにおいて、非認知能力や数値で測れない能力とは、そういうことなのではないでしょうか。

今は、まだPBLとかの方法をどう導入するかとか、子ども達を“主体的に” できているか、“協働”させれているか、ましてやそれらをどう評価するか、よりも。

まず、子ども達にも「勉強すること、学ぶことというのはどういうことか」と考える機会と時間を用意して、大人もわからないけど「わからないことは悪いことじゃないんだよ」というメッセージを発信していくことが、大切なのではないかと思います。

そして、それは、まず大人自身が、“学びの姿勢”を身につけるということでもあるのではないでしょうか。

どうしてそう思うのかの理由も別のnoteで書いていければと思います。もし、ご興味がありましたら読んでいただければ嬉しいです。

ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます🙇‍♂️

参考文献

JUN子どもの「居場所」をつくる先生(2023/2)「【メンバーシップ】子どもに教えてあげたい「勉強」を通してつけたい力と、性格から分かる「職業選択」のヒント」note(最終閲覧2023/3/13,https://note.com/hanex/n/n2b2bb2aa44a3

西田季里、久保田(河本)愛子、利根川明子、遠藤利彦 (2018)「 非認知能力に関する研究の動向と課題」東京大学大学院教育学研究科紀要(58)32

遠藤利彦(2017)「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」,平成27年プロジェクト研究報告書,国立教育政策研究所


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