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自己犠牲、「実現させよう」とすると実現しない。自己紹介③


起こる出来事は大切なメッセージ

23歳以降、時には実際に、人が変わったと言われて、傷付くこともありました。ですが、一見悪いと思う、傷が深ければ深い出来事こそ、人の傷付いた心や痛みが分かる、大切な、必要な経験です。

例えば、人に嫌われるという体験は、誰かに好かれよう、気に入られよう、という思考から自分がその現実を創り出したのだと思いました。

悲しみの感情を味わって、心に反した自分の望み通りの体験を通し、間違った思考に気付かされるのです。

0視点(ゼロ・ポイント・フィールド)

神秘的な記憶を思い出した(目覚めた)方は、思考が180℃違う方へ向き、良い悪いという定義された世界から抜け出る(高次元、別世界に移動し存在する)ので、0視点から判断をするようになります。宇宙からの視点で、地球に存在している自分を見ている感覚になります。

※良い悪いで判断しない

自分のものさしで測らない=物事、起こった出来事を良い、悪いという視点から判断しなくなります。もしも神さまだとしたら、どういった感情をするのかを体験するように人生が変わります。善悪の存在する2極化したこの世界(地球)の枠の外に、さらに新しい視点が生まれるのです。

戦士の生き方

自然と自分や周りの人すべての行動や言動に対しても、良い、悪いの判断をしなくなり別人のようになるので、周りの人にそう思われるのは仕方がない、むしろ正常なことかもしれません。

勇気を持って、自分の使命や役目を全うする人生しか送れなくなるからです。(そういった方々のことを、戦士と読びます。)ブログに書くことも、書いているのではなく書かされている感覚。それは決まっている事であり必然だから。どう足掻いても、別の行動、違う道を選ぶことができないのです。

自分の心に正直に、強く生きよう

#他人にどう思われても構わない  
死ぬわけではないし、必要な人はきっと側にいてくれるはずだし、心に正直にしたいことをする、その感覚で大丈夫だ、と思っていました。

死ぬ時に後悔することの第一位は、『自分の人生を正直に生きなかったこと』だそうです。

他人にどう思われても恐れるものは何もない、と話していたら、ある友人はその言葉にすごく勇気をもらった、と感動してくれました。

周りの人を幸せにする為には‥

もちろん、そんな風に畏れず勇気を出して自分の想いをお伝えする生き方は、正解だったと思います。けれど今は、その頃の過去を振り返ると、自分を大事にできず犠牲にしてきた気がします。

なぜなら、私がいくら伝えようとしたところで、人に影響を与えることはできないから。人に影響を与えたり、人をよりよく変えることは不可能なのです。

突き進むと、お伝えしたいことは、私が私らしく生きることで言葉無くして伝わるものだ。今の自分を幸せにすると、周りの人々も遠からず必ず幸せになる、と気付く時が来ました。

神秘的な記憶は、波動でも自然に伝わりゆくものだから、何かを願ったり、成し遂げようとしたり、無理して頑張ることは自分を犠牲にしている、と心の底からわかったのです。

「〇〇を実現させよう」とすると実現しない

今までは、困った人を助けたいと思い行動してきたのですが、そんな大それたことを思わなくても、本当に私の力が必要で困っている人であれば、必然的に目の前に現れ、きっと助けることが出来るのです。

もっとも、実現させるためには自分の意思は必要ない、ということです。助けよう、伝えよう、周りに影響を与えよう、その他、人に好かれよう、気に入られよう、愛されよう‥など、「〇〇を実現させよう」と思うのは愚かで未熟でした。

それでは、どうしたら願いは叶えられてきた、または叶えられるのでしょうか?



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