見出し画像

落ちこぼれだった私が通信制大学で学んでみたら

35歳の春、無性に大学で勉強したくなって、東京にある某通信制大学に入学した。

高校卒業して早17年。
その間、勉強らしい勉強なんて、全然してこなかった。
卒業した高校だって、県内では下から数えたほうが早いくらいの低偏差値女子校だ。

当時の私は大学進学よりもバンド活動が人生のすべてで、やりたいことが音楽しかなかった。
「高校卒業したらプロになるんだ!」
と息巻いて、先生や家族からの助言なんて、一切耳を貸さなかった。(詳しくは後述)

兄の部屋から拝借したブルーハーツのカセットテープを、買ったばかりのウォークマンで擦り切れるほど聴きながら、
「ここではない、どこか遠くへ行きたい」
と、いつも夢見ていた少女時代。

まだ実力も実績もないくせに、小さなカラダのなかには、根拠のない自信だけが渦巻いていた。

学ぶ理由

学校も勉強も苦手だった私が、30歳を過ぎてようやく自分の意志と貯金で「学びたい」と思えるまでに変わった。

なぜ今更?
あの頃からは想像もできないくらい真面目になってしまった自分に自分でも驚いてる。

たぶん大学で学ぶことへの憧れは心のどこかにあったけど、
「試験が苦手だから」
とか
「この年齢で卒業しても費用対効果が」
とか、あれこれ理由をつけて後回しにしていたのかもしれない。

「学歴が必要だから」
というよりも、
「丹田から湧き上がる純粋な知的好奇心に突き動かされた」
というほうが、動機としてはしっくりくる。

バンドを始めたとき。
恋に落ちたとき。
新しい仕事に挑戦するとき。

何か新しいことを始めようとする瞬間、自分の胸のなかにあるランプがまぶしく点滅する。

「今だ、行け!」

と、直感のシグナルが稲妻のように全身を走る。

毎回この言葉にならない本能的なシグナルを頼りに、最初の一歩を踏みだしてきた。

いつだって昨日とはまったく違う、新しい私でいたい。
明日死ぬかもしれないから、今できることを全力でやりたい。
自分に飽きてしまったり退屈することが、なによりも怖かった。

「大丈夫、まだ胸の火は消えてない」

そう自分に言い聞かせ、未知の世界へ踏みだした。
それはいつも、見えない何かに引き寄せられるように、踏みだすしかない一歩だった。

大学選びから入学まで

通学制は時間的・経済的に難しいので、通信制で興味のある分野が学べる大学を選ぶことにした。

音楽、福祉、心理学、マーケティング、世界史…

学びたいことは山のようにある。

そもそも通信制大学というのは入学は簡単(審査は基本書類のみ。あっても小論文や面接くらい)だけど、卒業するのが難しく、人によっては何年間もかかってしまうらしい。
もちろん留年すれば、その分追加で学費も自己負担。
今までコツコツ貯金してきたとはいえ、何百万ものお金を学費に回すことはできない…

『4年間で確実に卒業できる』
『学費が4年間100万円以内に収まる』
『福祉や心理学の資格を取れる』

を条件に、検索と知人からの情報収集を重ねた。
各大学の説明会と見学の機会があれば必ず足を運び、自分の目と耳と感覚で確かめた。

複数の大学を見て回った結果、東京に本校がある経営マネジメント系大学の心理学コースに入学することに決めた。

案ずるより産むが易し

入学前は

「学校も試験も苦手な私が本当に卒業できるの?単位?なにそれ美味しいの?」

状態で不安だらけ。

しかも通信とはいえ、土日2日間はキャンパスでのスクーリング(面接授業)があり、見ず知らずの学生たちとグループワークをするうえに、模造紙に何やら書いて発表しなくてはいけないらしい…

「大学なんて10代20代の若者ばかりでしょ?35歳の私が最年長だったらどうしよう。リーダーとか任されちゃうの?どう話を合わせたらいいの〜(泣)」

正直、心配だった。

しかし、案ずるより産むが易し。
実際キャンパスに足を踏み入れてみたら、私よりも年上の学生が半数以上だったのだ。

高卒認定取得した元不登校の子、大卒になることで年収を上げたいサラリーマン、経営を学び直したい社長さん、資格取得して転職を目指すOLさん、子育て中のお母さん… などなど

目的もバックグラウンドも十人十色。
境遇も社会的立場もてんでんばらばらの個人が同じ教室に集まり、決まったテーマに沿って議論し合うのだから、時には衝突が生じる場面もある。
たった一人の発言や態度で、グループ内の雰囲気が一気に険悪になることもままあった。

長い間家から出れなかったけど勇気出して来たんだな、過去のつらい経験や障害を抱えて今も頑張ってるんだな、と感じられるような繊細な学生もいた。

音楽の世界しか知らなかった私にとって

「あぁ、きっとこのキャンパスが社会の縮図なんだな…」

と、肌で感じられる空間だった。

今まで私はとても狭い限られた世界で生きてきて、知ったような顔して実は何も知らなかったんだ…

と、横っ面を強く叩かれたような感覚を覚えた。
無意識に気の合う仲間だけ選んで付き合って、予定調和の人生を望んでいたのかもしれない。

今まですれ違うだけだった人たちと、一つのキャンパスで偶然に出会う。
それは偶然のようで、どこか必然的にも感じられた。
ここは不思議な世界線だ。

グループワークと最終試験

グループワークは毎回5〜7人くらいの人数でランダムにグループ分けされる。
その中で、リーダー、書記、タイムキーパー、発表する人などの役割を決めて、プレゼン準備を進めるのだ。
(グループワークでの参加度合いも成績評価に加味されるため、試験で点取る自信のない科目ほど積極的にリーダー・発表係をやるのが賢い)

毎回異なるグループの顔ぶれを眺め、
「自分がどのように振る舞えばみんな楽しく過ごせて、グループで良い成績がもらえるかな?」
と、意識して取り組む。

リーダーになりたい!と手を挙げる人は少なくて、それが結構意外だった。
自己表現の世界では主張や個性が強い人ばかりだから、なんだか拍子抜けしてしまう。
でもきっとこの奥ゆかしく周りに合わせる感じが、日本の標準なのかもしれない。

グループ発表の後には、その科目についてどれだけ理解できたかを確認するための『最終試験』がある。

この最終試験が曲者なのだ。

さっきまで同じ課題に一丸となって取り組んできたグループの仲間が、途端に成績を争うライバルに変わる。
(スクーリングの評価は相対評価で、担当講師がランク付けする)
大学のシステムとして仕方ないけど、縁あって知り合った仲間がライバルに変わる瞬間に、昔から知ってる
あの『違和感と寂しさ』を思い出すのだった。

大学での学び方

大勢の人が黙々と机に向かい、監視されながら問題を解く。
思えばこの試験特有の堅苦しさと緊張感が昔から苦手で、それが学校嫌いの理由にもなっていた。
要領良く暗記して、先生が喜ぶ解答ができる人ほど上位になる歪なシステムだと思っていたから。
仲良しだったはずの友達が突然敵になって、大人の都合で順位付けされるのが子どもながらに嫌だった。

でも、大学の勉強で必要なのは暗記じゃなくて
『自らの頭で考えて、整理して、答えを導き出す力』だった。
このことに気がついてから、勉強することがグンと楽しくなった。
今までただの食わず嫌い・やらず嫌いなだけだったなぁと反省する。

すべての学びは、主体的に頭を働かせて自らの手足と口を動かし、言葉にし続けないと定着しないのだ。

相変わらず苦手な試験と向き合い最終問題を終えた瞬間、2日間の疲れと解放感がどっと押し寄せる。
せっかくおしゃれな街にキャンパスがあるのに、寄り道する気力もなく、フラフラの頭で家までの道のりを辿るのがいつものパターンなのだった。

むかしぼくはみじめだった

冒頭に書いたとおり、高校時代までの私は、学校も勉強もあまり好きじゃない、いわゆる『落ちこぼれ』だった。

小学生の頃、いじめに遭ってから
「学校なんてロクな所じゃない。私はみんなとは違うんだ!今に見てろよ」
と息巻いて児童劇団に入団してみたり、中学校に上がってからは大学生とバンドを組んだりして、いつも『学校以外のどこか』で、はち切れそうな自我を爆発させていた。

高校は、地元のしがらみから離れるために、なるべく東京寄りの学校を選んだ。

今までの自分を脱ぎ捨て、お洒落な女子高生アイコンに擬態して、覚えたてのメイクと幼く尖った言葉で精一杯の武装をしたつもりだった。

家庭的な雰囲気の女子校でそれなりに楽しく過ごし、いつも地面から3センチほど浮き足だつような青春時代。
まだ何者にでもなれると本気で思っていた、夢見る桃色の時代。
このゆるやかな時間が、卒業後もずっと続くと信じていた。

しかし、現実はそう甘くない。

バンドは結成と解散を繰り返し、それぞれの仕事や家庭の事情、方向性の違いなんかで、メンバーがなかなか定着しない。
しかたなく一人で活動しようと、覚えたてのMTRを駆使してデモテープを作成し、手当たり次第レコード会社に送りつけた。

つたないプロフィールに荒削りなデモテープ。
玄関先で部屋着のまま撮った貧乏くさいポートレートを同封した。

もちろん返事をくれる会社なんて一社もない。

東京で色々なバンドのライブを観て才気溢れるミュージシャンと出会うたびに、生まれ持ったセンスの違いや自分の努力不足を思い知って、自信を失くすばかりだった。

気がつけば20代も半ば。
もう音楽でプロを目指すなんて諦めて、もっと安定していて自分に向いてる『手に職』をつけたいと、試行錯誤の日々が始まった。

販売、経理事務、文字校正、webライター…

色々やってはみたものの、高卒フリーターを雇ってくれる職場なんてブラックなのが関の山だ。 
まだコンプライアンスが今より浸透していなくて、若い労働力が無残に使い捨てられる時代だった。

すっかり社会不信で、半分引きこもりのような状態になってしまった時期もある。
そのことで同居中の父と度々喧嘩になり、口答えをしては頭を叩かれた。
出てけと言われても、行く場所なんてどこにもなかった。

10代の頃は
「何にでもなれるし、どこにでも行ける」
と思っていたはずなのに。
青春の幻は泡のように弾けて、澱んだ色の水がヒタヒタと心を蝕んでいくようだった。

これからどうしていいのか分からない。
もういっそここで人生を終わらせてしまいたい。

大人を信用できないまま自分の殻に閉じこもり、悔し涙で前も未来もぼやけて見えなくなっていた。

「やっぱり大学に行けばよかったのかな…」

と思い始めるも、当時は父が脱サラして立ち上げた会社で莫大な借金があることを知っていた。
「大学に行きたい!」
…なんて、とても言えない。

日雇い派遣から社会復帰へのリハビリを始め、毎月少しずつお金を貯め続けた。
やっと大学の学費を工面できた頃には、30歳をとうに過ぎていた。

社会に出て嫌でも働かなくてはいけない状況になってから、やっと学生という身分の贅沢さを知る。
好きなことを好きなだけ学べる学生時代の時間と環境が、実はかけがえのないものだったと遅まきながら気がついた。

卒業後の目標

入学前は本当に卒業できるのか心配だったけど、必死にレポートを仕上げ試験に臨み、なんとか順調に3年次まで進むことができている。

コツコツと単位を取ったり、良い評価をもらったり、仲間や先生から褒められた小さな成功体験の積み重ねが、少しずつ自信へと変わっていく。
もうダメだと腐っていた20代の頃に比べたら、ずいぶんと成長した自分の姿に気がついた。

卒業までに心理学の科目で必要単位を取り、まずは認定心理士の資格を目指したい。
さらに大学院まで進学して『臨床心理士』や『公認心理師』を目指す場合は一段とハードルが高くなるのだけど、何かしらカウンセラー的な仕事ができたらと思っている。
特に児童〜成人期までの若者やアーティストを対象としたカウンセリングができるようになれば、今までの経験も活かせるし、苦労も報われるんじゃないかな。

一歩踏みだした先に

あれこれ悩んでいたことも、始めてしまえばなんて事はない。
もっと早く始めればよかったのに‼︎と思うくらいだ。
結局人生はやったもの勝ち。
いち早く誰よりも先に始めた人ほど報われる世界だと思ってる。

明日できることでも今日やろう。
勇気を持って踏みだした小さな一歩の先に、あなたが出会うべき大きな世界が待っている。

#一歩踏みだした先に

面白い、役に立った、応援したいと感じていただけましたら、サポートよろしくお願いいたします。 今後の創作活動や自己投資に使わせていただきます。