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(連載小説)パーク〜 小さなお話2

いつもの小さな公園で、様子がいつもと違うという、ささやかな変化を体験した翌日。
私はとある探し物を漁るべく、押し入れに半身を突っ込んだ姿勢で、かなりの時間を費やしていた。幸いに休みでやる事もなく、時間はたっぷりあったのだ。

狭い押し入れは暗くてもスマホのライトで充分に光は届くはずなのに、なにせ肝心の探し物が見つからない。ずっと窮屈な姿勢のせいで、だんだんと腰が痛くなり、もはや限界となった矢先

むにっとごわっとした感触が指先に触れ、間違いないとばかりに私はそれらを握り締め、ここは狭い押し入れという事を忘れ勢いよく飛び出した。

あった、あったー!痛てーーーー!!?

案の定、低い押し入れの天井にしたたかに頭をぶつけ、腰の痛みも相まって、その場でしばらく悶絶するという醜態振り。

それでも握り締めた手の中に、確かに探していた物の感触を捉え痛いけど満足という、感情はプラスに働いた。結果オーライなのだった。

そうして散々探してひと仕事終えたぐらいの気分でいたが、まだ日も高く外も明るい。
探していた物をどうにかする時間はたっぷりあった。

むにっとごわっとしたそれは、ちりめんの布で包まれた中に小豆の詰まったお手玉だった。

祖母の御手製の可愛らしいお手玉。

小さい頃に、それこそ沢山遊んで失くさずにいた手縫いのちりめんのお手玉は、ちゃんと本物の小豆が入った本格的なやつで、レトロ可愛いが新しいとも言えよう。

左右の手のひらにいっこずつ握ったら、右のお手玉をぽーんと高く弧を描くように放り投げ、すかさず空いた右の手のひらに左のお手玉をパスして、空いた左手で落下する先ほどのお手玉をキャッチする。

これでまず1回、成功したら間髪を入れず右投げて左でキャッチ、また右投げて(割愛)を繰り返す。くるくると文字通り回すように上手に繰り返す。
そうする事で、連続技のお手玉遊びが完成するのだ。

小さい頃、祖母に習ってそれはもう必死に覚え夢中で遊んだお手玉。
たかがお手玉、されどお手玉。

正直に言おう。
公園のジャグリング青年の、あの白いボールを思うがまに操る姿に感化されたんだと思う。

たかが1度、通りすがりに目にしただけで、似たような事(お手玉だけど)出来たはず!と私の謎の負けず嫌いと童心が頭もたげ、結果休みの日にもっと他にやる事あるのでは?という疑問など全く持たずに専念したお手玉探し。

ちりめんの布を互い違い配色を変えて、様々な模様で仕上がった手の込んだお手玉は、正直とても可愛い。フォルムも可愛いし、小豆の感触も癒やされる。

存在が泣ける程ノスタルジック過ぎる、宝物。

お手玉をどれだけも絶賛したのち、ようやくぶつけた頭の痛みと腰の痛みも和らいで、いよいよあるべき姿、お手玉遊びをしようかと意気込んだ私は、えっ、あれっ!?、、違ったのだ。
正確に言うと、違うではなく覚えていないのだ。

お手玉が上手く出来なくなっていた。
あんなに夢中に覚えたのに、全く言う事をきかない左右の手、リズミカルなんて以ての外なのだ。

うそでしょ。

そこそこ高く投げて無惨に床に落ちた右のお手玉、最初の1回がまず無理という失態。

大人になるとただでさえ、出来る事が少なくなって行くというのに、出来たはずの事さえも忘れて行くの。どうしたもんだろう、哀しい。

ジャグリング青年と比べるには程遠かった1日無駄にしたしょうもない私、、。
ジャグリングとお手玉をそもそも一緒にするというおこがましい考えに微塵の疑問も持たず、いつの間にか日は傾いて、茜空から夕闇へ。

そうして昨日見た、空舞う白いボールをつくづく思い描いたら途端にまた、明日も通りすがりに見れたらいいなと願っていた。
偶然なんかそうそう無くても、期待するのはタダなんだし、あの鮮やかな技をまた見れたなら。

平凡な私の帰り道、いつもの小さな公園のいつもと違う色付いたような顔見せてよ、と。

3に続く。











 


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