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宇佐美りん「くるまの娘」 話がはずまない人との車内会話あるある、話題が前の車のナンバープレート!

宇佐見りん「くるまの娘」を読みました。

車は、家と違って部屋にこもることもゆるされない「ゆるい密室」。
DVの父、病気で不安定な母、逃げたり病んだりした兄妹が久しぶりに祖母の葬儀のために集まる。

短い話に書かれてない「空白」でも家族それぞれが生きてきた感じ、名前すらはっきり出てないのに、それぞれが人間として言い分がある感じ。たまらなく不快で上手い。

父はおとなしいけど、人が変わったように家族を攻撃するDV気質。
母も病気をしてから感情の起伏が激しくなり、昔に戻りたがっている。
兄は家族のきゅうくつさに耐えられず家を出て、弟はいつもヘラヘラ笑って家族のもめごとを避けている。
三兄弟の真ん中の「わたし」だけが逃げ方をしらずに、メンタルを崩してしまった。

「ふつう」の人が笑い飛ばすような、会話のひとつひとつの小さなトゲに気づいてしまう娘。
「この繊細さだと、この子は壊れてしまう」のがわかるから辛い。
追い詰めてきた父に反抗するでもなく、逃げることもできず、頭のいい優しい女の子なりに父を理解しようとする。殴られたのに「じつは他のどの家庭でもこういうことはあって、当たり前にみんな耐えてて言わないだけじゃないか」という考え方になったときはたまらなかった。

それ以上にさりげなく爆弾みたいな文章書き込みやがったな宇佐美さん、と思ったのが、弟に「姉ちゃんに昔言われた」本人は完全に忘れてる悪口をさりげなく告発される場面。
いじめた側は忘れてる理論で、他者の悪口言って忘れてることは全員あるぞ、と。あなたの記憶にないひとことを、他人がずっと覚えてるぞと。
そのあとに、なんで今になって言われたのか、実は弟なりの「踏ん切り」をつけて、さりげなさをよそおって思い切って言ったんじゃないかと気にするけど、答えも出ないしそれが何か劇的な結末につながるわけじゃない。
ちょっと胸の奥に積もったまま処理できず次の日がくる。
家族はそういうもんだ。生きるとはそういうもんだ。

ほつれが何本も出て、引っかかるとするするほどけるパッチワークみたいになった家族だけど、母にとっては車中泊というシチュエーション自体が、みんな仲良しだったころを思い出す、仲良くなるチャンスだと期待していた感じもつらい。全部つらい。
作者は、いやなものに見てみぬふりをせず、わざわざ掘り出してきれいな作品にしてまで、みんなで共有することで癒されようとする気質なのか。楽しい話ではないけど、これは私のことを書いてくれた!って思える人もたくさんいそう。なかなかに嫌な汗が出ました。


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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。