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「つけびの村」が他人事とは思えない

限界集落で行われた連続放火殺人事件の犯人を取材したノンフィクション「つけびの村」が、まあ怖かった。恐怖を与えるために書かれた本じゃないのに、不安になるツボを刺激する内容だった。
それは、ぼくが電車内で叫んでいる「どうかしてる人」を見ていられないのと関係がある。
そういう人が、向こう側の人間とは思えないのだ。

「つけびの村」では、連続放火殺人をおこして、殺害予告のような川柳を残した犯人の印象を聞いてまわる。
生まれも育ちも凶悪、理解できない悪人なら単に憎めばいいけど、昔の印象や発言を調べるほど、村に来た当初は普通の人として頑張っていた部分も見えてきて、痛い。こわい。

犯行後「田舎の人間は娯楽がないからうわさ話ばっかり…」と言っていた男。
妄想癖と、田舎の狭い寄り合いの様子が結びついて、あいつらは自分の悪口を言っているんじゃないかと妄想をつのらせ、周囲と関係を断ち、しまいには家の中から爆音でカラオケを響かせる異常行動を起こすようになる。

近所の爆音おじさんほど怖いものはないけど、僕だって家の前を祭りのおみこしが通るのを相手にするのがいやで、ヘッドホンして「いないふり」を装ったことがある。騒音おばさんの対義語「沈黙おじさん」である。
周りとなじめず、爆発するまで溜め込むタイプ。
田舎の寄り合いに姿を見せないで、明るくあいさつできず家にこもって川柳を作る犯人と行動は対称的だけどタイプは近い。

読みながら、ノンフィクションのハラハラ感がわくポイントがいくつかある。
まず「作者の事情で話が中断する」ところだ。
昔の事件に興味をもつ人は多くない、ノンフィクションは売れない、と編集の判断で取材が中断。出版が断念しかけるけど、過去に他の事件の取材をしていたことから、NOTEにもアクセスが殺到しーー

取材が再開する。
頑張って仕事を続けていたら見てくれる人、応援してくれる人はいるんだ!と「いい話」ともとれるけど、活動の場所が近くてびびった。遠い村の話を遠いところで連載してたんじゃなくてnoteの話やんか。ここやんか。

田舎の非協力的なお年寄りに昔の事件のことを聞き回るところもかなりの緊張感だし、
なにもない村に「魔女の宅急便」の絵が描かれた家がドン!と出てくるのも、奇妙な風景だけど絵が浮かぶ。(田舎あるある。見よう見まねで看板に描かれた有名キャラ。だいたい顔のバランス狂っていて不安になる)。

裁判傍聴のために「レンタルなんもしない人」を雇うのもポイントだ。
推理小説にレンタルさんが出てきたら緊張感台無しだけど、取材費を抑えるためにこの人を呼ぶ理由がある。知ってたので、作品内と現実が地続きになっていることが強調される。

拘留された犯人と対話する場面では、妄想に取りつかれた犯人が「真犯人がほかにいる証拠」を繰り返す。

死刑囚に女性が呼ばれて「本当の犯人を知っているから期限までに救ってくれ」と頼まれるNetflixのドラマがあったら、絶対証言者が正しくて他に真犯人がいるパターンだ。だけど、真実では救いはなく、ただただ犯人の妄想とか、ブックオフで安いから小説を差し入れしろとか、面倒くさい話を聞かされる。
犯人の筆跡が奇妙という話を何度もするから、何をそこまでこだわってるんだろう?と思ったら、そのあとに実際の犯人の手紙があって、本当に奇妙すぎる筆跡で怖すぎて笑ってしまった。こんな文通いやだ。

つけびの村の犯人は「田舎特有のうわさ話」によって妄想をつのらせていって犯行に及んだ。
それは被害妄想と診断されたけど、実際に作者は村で犯人のうわさ話をする人と接触した。
それどころかSNSを使ってる人なんて、みんな「うわさ話」にかかわっている。誰を傷つけて、いつ攻撃されるかわからない。ふとしたきっかけで大量にコメントされて、田舎の寄り合いより無神経なうわさ話の標的にされる。
遠い村の話じゃなくて、最初から、「ここ」の話。自分や隣人の話をしてたんだ、ってことに気づく怖さ。関係ない架空の村の話みたいに思っていたのに、気づいたら犯人は背後にいて、自分が現場のド真ん中にいた。
読む前から「自分も参加者」だった。

文庫版のあとがきは、すぐ近くが「ポツンと一軒家」で紹介された話などが追加。「なにもない田舎に見えて、実はこんな一面もあるんです」って番組がここに来るなんて皮肉だ。


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読書感想文

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。