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大学生、終わりました。社会人の旅=(^.^)=

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大学生、終わりました。社会人の旅=(^.^)=

最近の記事

おそらく分岐点

朝井リョウ『正欲』を読んだ。 この小説は、私にとってとてもとてもタイムリーな内容だった。 この物語は、"多様性"について深く考えさせられる内容だ。性的マイノリティや、異なる人種の人を偏見なく受け入れていきましょう、というような多様性を謳う文面は、2017年ごろから広まってきたように思う。 多様性というワードで想像されがちな構図は、"世間体"や"ノーマル"+"そことはちょっと違う人たち" で、その、"そことはちょっと違う人たち"を受け入れるということだが、そもそもこの構図は正

    • わたしの日常

      ここには自分のプライベート?な部分について書いたことが無かったので、今回は最近のわたしの日常を紹介しようと思う。 昨日、大学の友達とご飯を食べに行った。卒業近い時期なので、卒論発表が近く、卒業発表嫌だねーというような話をしていた。その子は明日が卒論発表なのだそうだが、私は来週なので、頑張ってねー、なんて、呑気に言っていた。 そして今日。 今日は夕方から英語の授業があるだけだったので、その授業の課題をやった後、韓国ドラマを悠長に観ていた。すると、 ピコン スマホのスケジ

      • 愛のサイクル

        私が一昨年よく聴いていた曲の冒頭に、こんな歌詞がある。 自分のことをも愛せないのに、一体どうやって人のことを愛するというのか 賛同するならアーメンを! という意味である。 メロディーがキャッチーなだけでなく、この歌詞の意味がグサッと刺さり、頭からこびりついて離れなかった。 何故なら私も、自分のことを心から愛している人間しか、本当の意味で人のことを愛せないと強く思うからだ。 アーメンである。 この議論をする上で、そもそも"愛"がどういったものなのかを定義付けておく必要があ

        • 夢追人

          大学生は、若い。自由だ。たくさんの道が開かれている。 とよく言われる。私も実際、大学2年の時、大学近くのバス停でそんなことをおじさんに言われた。 だけどなんだか、年々年々、夢がなくなってきている様な気がするのだ。 というか、みんな多分気づいていないけど、無意識のうちにみんなが心の中に持っていた何か、を諦めている様な気がする。  高校生や中学生、いや、小学生、いやそれよりもっと前、、私たちは沢山の夢を持っていた。みんなは昔、お花屋さんやケーキ屋さんになりたかったし、サッカー選

        おそらく分岐点

          "何を選択するか" じゃ

          この前、『ハリーポッターと秘密の部屋』を観ていたら、ダンブルドア校長が気になるセリフを言っていた。 ハリーは、グリフィンドールという寮に入っているのだが、ハリーが闇の魔法使いヴォルデモートと同じ能力を持つことから、その寮の組み分けが間違っていたのではないか、ということをダンブルドア校長に告げる。すると、 ダンブルドア校長は、ハリーとヴォルデモートの違いは、その、選択にある、と言う。 ハリーはグリフィンドール寮に入りたい、と心の底から願った。それが、ヴォルデモートとの違いであ

          "何を選択するか" じゃ

          白と黒

          最近、「人間関係リセット症候群」という言葉を聞いた。人間関係で何か嫌なことがあると、連絡先を全部消したくなったり、相手の全てが嫌になったりする現象のことらしい。 気持ちは理解できる この現象の根本原因は、"完璧主義" からくるらしい。完璧主義であるがあまり、すべてをリセットしたくなってしまうみたいだ。 最近、そんな思考の人が増えてるみたい。 完璧主義は、言い換えれば白黒思考のことだ。 思考回路に、白か黒しか存在しないのだ。 グレーが存在しない。 だから、何か嫌なことがあれ

          白と黒

          人生はディズニーランド

          友達の妹が、「生きていても何も面白くない、つまらない」と言っていると聞いた。 なるほど確かに。人生はつまらない。私もそう思う。人生自体は。 私は、人生はディズニーランドだと思う。 これはどういうことかというと、自分次第ということだ。 例えば、ディズニーランドに行って、園内で一日中ベンチに座り、1人で過ごして閉園時間を迎えても、何も面白くないだろう。 でも、楽しかったと思える1日にする方法はあるのではないか。 そのためにはまず、情報が必要だ。 ディズニーランドには

          人生はディズニーランド

          20歳になった頃のこと

          2020年は忘れもしない、私が最後の10代を過ごした年だ。 大学に入学して、今まで関わったことがないような、色んなタイプの人に出会って、自分の置かれてる状況が変わった。 変化が苦手な自分にとっては、今までとのあまりの差に心がキャパオーバーになってもおかしくなったと思うけど、頑張った方だと思う。 そんな変化の中で最も心に大きな打撃があったのは、おじいちゃんの死だ。 亡くなったと聞いた時、驚いたと同時に、そういう時期なのかと達観してる自分がいた。 それなのに、実際にお葬

          20歳になった頃のこと

          人が学びになること

          嫌なことがあった時の対処法として、 「学びとして捉える」という考え方がある。 仕事で上手くいかなかった でも、この失敗が次に活かせる テストで上手くいかなかった でも、弱点がわかったからそこを克服すれば、次に高得点が取れるかもしれない 何か選択を間違えた でも、またやり直せばいい このように、何かうまくいかなくても、学びとして捉えて、何とかなると思えば辛くない。だから私は、何か嫌なことが起きても、あんまり落ち込まない。 だけど、ひとつだけ、未だに慣れない学びがある。

          人が学びになること

          行動の個人化

          高校卒業してからつくづく思うのは、 人との出会いや何かの縁、きっかけが、個人個人の行動に依る割合が増えたということだ。 高校生までは、友達と仲良くなるのも夢を見つけるのも、自分の立ち位置や人との関わり方を見つけるのも、クラス内、部活内、学校外だったら塾とか?、がほとんどを占める。(勿論、高校生でも学校外の何かに所属して友達できることもあると思うけど) だから高校生までは、人と出会う時、自分の性格とは関係なしに、ランダムに振り分けられた20人〜40人ほどのコミュニティに入

          行動の個人化