行動の個人化

高校卒業してからつくづく思うのは、

人との出会いや何かの縁、きっかけが、個人個人の行動に依る割合が増えたということだ。

高校生までは、友達と仲良くなるのも夢を見つけるのも、自分の立ち位置や人との関わり方を見つけるのも、クラス内、部活内、学校外だったら塾とか?、がほとんどを占める。(勿論、高校生でも学校外の何かに所属して友達できることもあると思うけど)

だから高校生までは、人と出会う時、自分の性格とは関係なしに、ランダムに振り分けられた20人〜40人ほどのコミュニティに入り、そこで過ごす中で人と仲良くなることが多い。

その中で、まあまあ話す人、特別仲良くなる人、いつメンになる人、ちょっと苦手な人ができる。

このような状況にいる時、人は無意識のうちに人を相対的に見ている。

AさんよりBさんの方が話しやすい

CさんよりDさんはノリがいい

EさんよりFさんの方が趣味が合うから仲良くなれそう

無意識のうちに相対的に見ることで、自分が合う人、仲良くなれそうな人を見つけることができた。

高校卒業後、このような機会が減った。

大学に入ると、

授業で仲良くなる人

バイトで仲良くなる人

サークルで仲良くなる人

就活で仲良くなる人

というように、

自分が何の授業を選択したのか

自分が何の専攻を選択したのか

自分が何のバイトを選択したのか

自分が何のサークルを選択したのか

という、個人の選択した行動によってどんな人と知り合うかが決まっていく。
要するに、適当に選択をすればそれまでだし、自分らしい選択をすれば自分らしい可能性が増える。

そして、1人ずつと仲良くなることが増えた。

だから、この友達は授業の子、この友達はバイトの子、というように、友人たちは相対的ではなく絶対的な存在になる。

もし、各場所で出会った友人達みな、高校の頃のように同じクラスだったとしたら、また違った見え方になっていたかもしれない。

で、結局何が言いたいかというと

絶対的に人を見ることが増えるとすると、ちょっと懸念点がある。

相対的に人を見るような環境にいた時は、

人よりも、コミュニケーションが上手に取れるとか、人よりも運動が得意だとか、勉強ができるとか、顔が可愛いとかカッコいいとか、

相対的に見て人より何か優れていれば、人気者になれたり、友達がたくさんできたり、モテたり、色々うまく行ったかもしれない。

でも、絶対的な環境ではそうはいかない。 
それぞれの下した選択で決まるから、その人がその人たらしめる何か、が濃く反映されやすくなるはずだ。

人より高学歴だろうが顔が良かろうがコミュ力が高かろうが駄目なのだ。

その人らしく、自分らしく、個性的に生きていることが大事なのだ。

個性的に、自分らしく生きるから、自分らしい選択ができる。自分らしい選択ができるから、その先に自分に合う人に出会える。いい人間関係が築ける。

絶対的に見られる環境だからこそ、個性が際立つ。

もしかしたら、これは大学生特有なのかもしれなくて、これからまた大人になったら、そうでもないのかもしれない。

それでも、これから先、高校生の時よりは、

個性的に、自分らしさを大切にした方がいいのかもしれない、と思った。

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